連載5【長澤松平風聞記】 その5 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

今回の話の内容は、

 

岡崎市岩津町にあった妙心寺と

 

京都府深草にあった円福寺が

 

明治16年に寺号交換(じごうこうかん)をした

 

という話である

 

寺号交換とは、お寺の名前を交換するだけでなく

 

お寺そのものを入れ替えることを指す

 

そのため、建物、土地はそこに残したまま交換するので、

 

見た目は今まで通り、なんら変わりはないのだが、

 

お寺の寺号から過去帳、ご本尊、持ち運べるもの全てが

 

取り替えられてしまうのである

 

なぜ、そのようなことが行われるのかというと、

 

その時代その時代における

 

さまざまな要因が重なって、

 

傾きかけたお寺を再興させるために

 

他の興隆しているお寺を頼って、寺号交換をし

 

傾きかけたお寺を救うという、対処法のひとつなのである

 

しかし、いくらお寺のためとはいえ

 

昔からそこでご先祖様を代々祀ってきた一族にとっては

 

悲劇である

 

交換されるお寺同士が近ければまだいいが

 

ご先祖様や、一族の過去帳が交換された、

 

今までとは違うお寺で管理されることになるからである

 

遠くなればなるほど、ご先祖様に会いに行きづらくなる

 

それに、お寺のご本尊まで移動するとなると

 

同じ宗派とはいえ、改宗させられたぐらいの衝撃である

 

京都にあった円福寺は、信州深草派の中心となった

 

寺院であったが、

 

たび重なる戦や、時代による明治政府の圧力により

 

これでもかというほど、勢力が削ぎ落とされてしまった

 

そのお寺と岩津の妙心寺を交換させるとは

 

偶然とは言えない、何か、深い思惑が隠されているように思われる

 

ゆくゆくは、岩津の妙心寺の勢力を削ぎ落とすために

 

松平から勢力を取り上げるために

 

 

わざわざ京都の円福寺は、あそこまで落とされたのではないか

 

そんな気までしてくる

 

きっとそうだわぁ

 

そうに違いない

 

 

現在も、京都に行ってしまった妙心寺は存在するが

 

その場所の探しにくいこと

 

他に大きな建物を所有する妙心寺という

 

同じ寺号のお寺があるため、

 

混乱する

 

寺号交換された、岩津の妙心寺は

 

新京極の、蛸薬師(たこやくし)の境内にあるため、

 

検索しても非常に見つけづらいんだわ

 

逆を言えば、見つけづらいお陰で、守られている部分もあるかもしれんね

 

しかし、

 

いまだに、その時代の圧力が、そこに存在しているかのようである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▶︎岡崎市の妙心寺が京都へ移った経緯は、コチラを参考にどうぞ

 開いたら、下の方へスクロールしていってねぇ。

 

 

▶︎行ってみよう❣️京都から来た、岩津の円福寺はコチラ

 

 

 

▶︎行ってみよう❣️ 岩津から来た、京都の妙心寺はコチラ