連載90【室町幕府・三種の神器・新田義貞の最期・犬頭神社】尊氏の決意固めし矢作川その十 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

私が歴史取材をしているうち、

 

特に気に入っている話がふたつある。

 

そのうちのひとつが、今回書かせていただいた話。

 

宇都宮泰藤(うつのみややすふじ)という上和田の城主が、

 

京に晒されていた新田義貞の首を

 

奪い返しにいく話である。

 

 

 

実は、もうひとつの気に入っている話も、首を奪い返しに行く話。

 

こちらは奥平の人質として、武田に殺されてしまった

 

仙千代(仙丸)ちゃんの話。

 

仙千代は鳳来寺にて殺された上に、首を晒された。

 

その話を知った仙千代の乳母が、

 

額田から家臣と共に

 

仙千代の首を、奪い返しに行くのである。

 

その時に、仙千代の首を包んだ打敷(うちしき)が

 

現在も残されている、

 

展示会にて現物を見たことがある。

 

流石に血痕が残る面は裏返されていた。

 

品のいい女性用の小袖を

 

内敷に作り替えたもの。

 

内敷とは、仏壇で仏具の下に敷く豪華な布のこと。

 

そんな内敷を持って走るとは

 

乳母にとって仙千代がどれほど大切だったのかが

 

痛いほど伝わってくるようだ

 

 

 

 

 

 

自分にとってかけがえのない人、

 

自分以上に大事な人、

 

たとえ、どのような姿になったとしても

 

その人を必ず奪い返す、という

 

悲しくも激しい思い

 

深い愛情に

 

涙せずにはいられない

 

 

 

この記事の最後の方は

 

新田義貞の首を奪い返しに行った話だけど

 

義貞の首を手に入れた時は、

 

泣いたと思うよ・・・

 

 

そして、尊氏がこの土地を寄進した理由は

 

当時の世情とは違う、

 

もっと深いところにあったと、私は思っとる

 

 

 

 

 

 

 

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