千葉県香取市佐原ピラティスヨガ教室マミスタジオ主宰マミです
こう見えて、私は小学校・中学校と文化部
運動神経はよさそうって言われるけれど・・・
小学校では、合唱部。中学では、美術部。
かけっこは、クラスで後ろから二番目くらい・・・
球技は、サーブもシュートも届かない
球技は、サーブもシュートも届かない

そんな私が、高校に入り、ダンスに目覚め、同好会を結成

そこから、
私のダンス人生が始まり・・・
NYにも留学し
現在の職業ピラティスインストラクターにいきついた
道のりをストーリー形式で
書いていこうかなと思っています





















ダンス専門学校に進んだ私は、
専門学校卒業後、
ダンススタジオで受付事務をしながら
ダンススタジオで受付事務をしながら
そのスタジオでは、掃除・会計・事務・受付など
インストラクターの仕事だけではなくそれ以外の仕事もすべて
そこで働くインストラクター自身が行っていた
それだけでは収入は少なく
勤務日以外は、他に2つのバイトもかけ持っていた
毎日があっという間に過ぎていった
私がインストラクターになるための要素はなかなか満たされず・・
早くインストラクターになりたくても・・・
なかなか講師としてデビューすることができなかった
3年が過ぎた頃
スタジオに母が急に訪ねてきた
母は私の顔を見るなり
「マミ・・・顔が死んでいるけれど・・・大丈夫?
」

その言葉に、今まで堪えてきたもの
これでいいんだ・・・と自分に言い聞かせながら
毎日を過ごしてきた事
講師にはなりたかったけれど・・・このままでは
本当に自分が死んでしまうかもしれない
と思った瞬間だった
この言葉をきっかけに、このスタジオを離れる事を決めた
そして
そして
専門学校時代に短期留学の経験があり
いつか絶対に行く!と思っていた
NY留学が今の仕事ピラティスとの出会いになるとは
勿論予想もしていなかった
つづく
つづく