伝統文化三味線に挑戦する -4ページ目

歯を食いしばっての調弦

調音の初手は、三味線を畳の上に置いて、糸を右手で弾いて調音した。

それが初心者の基本のようである。

2度か、3度か初手の調音をしたあと、本手らしい調音の仕方を教わった。

膝に三味線をおいて撥で弾きながら糸巻きを巻くのである。


初心者でありながら、熟練者に仲間入りする気分を味わえる調弦方法だ。

しかし、稽古を始めだちのころは、調音の糸巻きを巻くのに非常に力がいった。

文字通り歯を食い縛って、糸巻きを巻いていた。

コツが分からないから、無駄な力を掛けているのだが、分かるまで仕方のないことだ。

お師匠さんは女の手で、やすやすと調音の糸巻きを巻いているのに、

男の私が、歯を食いしばって巻いている有様である。


右手で撥、左手で糸巻きだから、三味線をあつかう様(さま)になるのだが、

歯を食いしばっての調弦ではだいなしである。

見た目にも、さまになるのまでには、まだまだ相当の稽古と時間がかかりそうである。

伝統芸能の粋を会得するのは、やはり年季がものを言う。

三味線の音をあわせる

音源発生装置の撥を買いに行ったことは、以前に書いた。

撥と一緒に、三味線が膝からすべり落ちないように固定する膝ゴムや、

棹を滑らせる指掛も買った。

どれも必要なものばかりだが、中でも欠かせなかったのは、調音器。

三味線を調弦するための音程を確認するものだ。


絶対音感は、幼児期に形成されるらしい。

私の幼年時代は、音楽とはほぼ無縁だった。だから、音を聞いても音程は聞き別けられない。

一の糸のD音にするためには、音程を下げればいいのか、あげるのかもおぼつかない。

そこで、調音器が強力な助っ人として活躍する。


撥で弾いた一の糸の音がD音の下なのか、上なのかを針が振れて正確に表示してくれる。

この針が振れて、真ん中に来るように糸巻きを巻いて音程を合わせていくのだ。

三味線の稽古の時には、まず最初に調音をするので、その度に助けてもらうことになる。

ここまでくれば優雅になる

三味線の音色

三味線は、打楽器と弦楽器を兼ねている。

皮を張った胴の部位は太鼓で、3弦の糸を弾いて出た音は駒(コマ)を伝わり

太鼓で共鳴して三味線の音となる。

音緒(オネ)から指2本分ほど太鼓の中心寄りに置いた駒と呼ぶ付属部品が

打楽器であり弦楽器である三味線の音色をかもしだす重要なカギを握っている。

音緒というのは太鼓の下部で、3弦の糸を止める素材のこと。


駒が弦から太鼓へと三味線の音色を伝える伝導装置とすれば、

三味線の音色を最初にはじき出す発生装置といえるのが、撥(バチ)である。

形状の大小からすると装置とは大げさな言い方だが、

部品と言ったのでは その重要な機能が十分表現できない気がするのでそう呼ばせてもらう。


こう知ったかぶりに書いている三味線の話は、

なにを隠そう お師匠さんが稽古の時に話して教えてくれたことばかりである。

間違っているところがあれば、それはうろ覚えの私の記憶違いで、

きちんとお師匠さんの話を覚えていなかった部分と言うことだ。


撥、糸、太鼓が三味線の音色をだすための3大基本要素となる。

しかし、三味線固有の音色を出すとなると、当然そのための卓越した技術を要する。

それを習う稽古場に、4月から毎月3回通っている。

撥を買う

お師匠さんの付き添いで和楽器屋さんに、撥を買いに行った。

老舗の和楽器屋さんで、品のよさそうなおじさんが撥を出して説明してくれた。

最初に並み程度の品、つぎに中程度、そして最後に上の撥を並べての説明だった。

撥は普通べっ甲で作るのだが、継ぎ合わせたものと、1枚物とがある。

透き通った茶色の模様が撥の先から根元にかけて浮かび上がって見える。

その色合いだとか、模様の具合によって品物のよしあしは峻別できるそうだ。

茶色が濃いと剛性が強く、透明になるとねばり気が出る(逆だったかな?)そうで、模様と色合いによって撥のしなりや強さが出てくる、と説明された。


当然、品物がいいものほど値は上がっていく。

値段を尋ねると、並みのべっ甲の撥だと5万くらいから。

一枚物の上等品だと15万円以上も。

初心者ではあるが、並みの物では伝統文化の粋が身につかないような気がして、相応の品物を選ぶことにした。

選んだ撥は模様がころ合いよくて、茶色の占める割合も多くて、

お師匠さんもいい品物だとお墨付きをつけてくれた。


道具の準備はこれでできた。

高価な撥を自分のものとして持つことになったからには、

伝統文化の粋をめざして突き進むしかない。

退路は断たれた。もはや後戻りはできない。

いざ、伝統文化の粋へ。

と、己を鼓舞することしきりだった。


初めての稽古場と伝統の粋

初めての稽古の場には、見学で出かけることになった。

私の前の時間帯に三味線の稽古をしていたのは、後で聞くと高校生だった。

これが、上手いのである。高校生とは思えない撥さばきで音色が弾きだされる。

稽古だから、ときおり中断したりもする。中断のたび、お師匠さんがひと言二言つぼを教えては、また一緒に弾くのである。

お師匠さんは地唄を唄い、三味線の稽古をつけるのだが、唄と楽器のとり合わせが実にすばらしい。唄いながらの演奏。透き通る伸びやかな高い声と、低い三味線の音色。

地唄三味線の音色を稽古場の畳の部屋で聞きながら、この伝統文化の粋がいいのだよな。

と、一人合点していた。


実は稽古場に出かけるまでは、三味線を始めるのに、まだためらいが残っていた。

追い払ってくれたのは、伝統文化の粋だろうか。

自分がその高校生と同じように弾けるようになるはずがないのに、

「やっぱり、やってみよう」と、粋な音色を紡ぎ出せるような錯覚にとらわれて、決心を固めた。

その決心をさらに後戻りできなくしたのは、撥である。


稽古に使う三味線はお師匠さんが貸してくれるのだが、

撥は使う人の癖がつくから自分の撥を持つように、とお師匠さんがおっしゃる。

それで、結局その翌日だかにはお師匠さんの紹介で和楽器屋さんに撥を買いに行った。

撥を買ってしまえば、もう後戻りできない。

こうして私は伝統文化の粋に近づきたくて、弟子入りすることになった。