伝統文化三味線に挑戦する -3ページ目

音のツボをおさえる

お師匠さんから初めに教わったツボの押さえ方を、

メモ書きしたものを頼りに、紙上に再現してみる。


人差し指の爪のど真ん中か、親指寄りで弦を押さえる。

指は立てて、直角になるように押さえる。


人差し指で押さえている時、中指や薬指はかるく添えようにする。

小指は決してピーンと伸ばさないで、これも折りたたんで

ふんわり棹に添えるようにする。


そう教えてくれて、お師匠さんは自分の人差し指をさりげなく見せてくれた。

ほっそりして、やわらかそうなお師匠さんの指の爪は尋常ではなかった。
真ん中からすこし親指寄りの箇所に、なんと糸幅の分だけの溝ができていた。

糸を押さえる爪が擦り切れて、半円形の糸溝がくっきりとでき、

人差し指の爪を、糸幅のぶんだけ削り取ったような状態だった。


糸ずれの摩擦と熱で、人差し指の爪が擦り切れてできた糸の道だ。

爪にできた一筋の溝は、三味線を弾くプロには当たり前なことなのだろうか。


三味線の初心者には、大げさにいうと戦慄を覚えるような情景だった。

稽古を重ねた歳月の重みと稽古の激しさを、チラリと垣間見た思いがした。
プロのすごさを、まざまざと眼にし、肌に感じた瞬間だった。


絶対音感が欲しいとは言わないが、

粋を会得するのは、並たいていではない。
トントン拍子に稽古が上達するなどは夢のまた夢である。
週1回の稽古に通い、教わったあとは次の週までに必ず自宅で
稽古のおさらいをすることにしている。


もともと音感がないから、稽古で音程をとるのには、
几帳面に教えられた通りにツボを憶えて守るしかない。

5の音は棹の継ぎ目。
6の音は、5の音に人差し指を置いた時の中指と、
教えられたとおりに、一つ一つおぼえた。


ところが、 厄介なことに三味線の糸は弾いているうちに
だんだん伸びてくるのだ。

糸が伸びれば、当然音程は下がる。
ツボはきちんと押さえているのに音は下がっている。


悲しいことに初心者であるわたしは、音程の狂いに気がつかない。

音感で音程を聴き取れない悲哀を感じながら、

ここでもたびたび調音器のお世話になる。

スイッチを入れ、音程が狂っていないかを確かめては、

天神の糸巻きを締めることになる。


稽古場でなら、お師匠さんが「3の音が下がってますね」
などと、調弦を指示してくれるが、自宅だとそうは行かない。
しばらく弾いて、ずいぶん下がった音を聞いてやっと気づく。
音を聞いて音程が分かる人が羨ましい。


しかし、その人もはじめから音程が取れていたわけではあるまい。
何度も音を聞くうちに、身に着けたのだろう。

弾いているうちに音がずれているのが分かるまでには、
まだまだ年季をかけなくては、到達できそうにない。

粋の域にはほど遠くても、心意気は

稽古を始めて半年ほどたったころ、
音程をとる稽古から、拍子を取る稽古に入った。


音程を聞き分けられるようになるのに難行しているのに、
加えて拍子を取るなどと、さらに難易度が一段と高くなる。
拍子とりの苦行を書く前に、まだまだ音程で四苦八苦したことなど
書いておかないといけないことが山ほどある。


親指のつぎは小指が痛くなり、ついに指にテーピングをした。
テーピングした指を、周りからはどうしたのかと訊ねられるのだが、
うかつに、三味線を習っているなどと白状はできない。
なにしろ会社のなかでは人知れず、始めた粋への挑戦なのだ。


粋への域にもなににも達していないうちに、ベラベラと
「三味線を習っていてね」
など、と話したのでは、
せっかくの粋への挑戦が台無しである。
粋もなにもあったものではない。

テーピングした無残な指を見るにつけ、面子にかけても、

せめてこのくらいの心意気だけは持っていたい心境なのである。

音のツボで親指の痛み

首振りのあとの難業は、音のツボだった。
1の糸の開放弦はD音で、3の糸は一オクターブ高いD音になる。
教本では算用数字で1と表記される。

開放弦の1の音のつぎには5の音を、三味線では教わる。
棹の一番上のつなぎ目が、5の音にあたり覚えやすいからだろう。
つなぎ目を目印に、左の人差し指で棹を押さえて弾けばいいのだ。


稽古のたびに、教わるツボの箇所が増えていき、
5、6の音のつぎは2の音、3の音などになる。

ツボの音程が聞いて分かるようになるのは、確かに難業なのだが、
実はほかにもっとたいへんな苦行をすることになった。


ツボを押さえるときの左手はゆったりと、していなくてはならないのだが、
そこが、下手の悲しさ。初心者にはどうしても力が入ってしまう。
ツボを押さえる人差し指は棹にグイグイ押し付けている。
そのほかの指もつい力が入る。
とりわけ親指と小指は、知らず知らず反り返っている。
しかも半端でなく思いっきり反り返っている。
気がついたのは、親指の痛みからだ。


お師匠さんからは、
人差し指は直角になるように弦を押さえる。
中指、薬指はかるく添える。小指は伸ばさないで、
折りたたんで棹に添えるように。
と左手のさばき方は、ふんわりなるように、
と確かに教わった。
だが、稽古をしだすとその注意もどこへやら。


下手なうちは、いらないところほど力が入るものだ。
親指のふんぞり返りようは、はやくから当分の間続いたと見え、
稽古に通い始めた4月から3ヶ月過ぎたころには、
親指の痛みが気になりだした。
食事のとき、左手で茶碗を持つと痛みで親指に力が入らない。
間もなく、腱鞘炎だと気がついた。

お師匠さんに話すと、改めて親指の添え方の注意をしてくれた。
三味線を弾いて痛いところがあるのは、姿勢が正しくないからだと。
以来、テーピングをして痛みを抑え、稽古のときは意識的に
ふんぞり返りをなくすように心がけている。

撥の振り方ならぬ、首振り

調音ができたら、やっとその日の三味線の稽古が始まるのだ。

稽古で最初に弾いた曲は、福寿草。

生田流地唄三味線の古典的な初心者用の稽古曲のようである。

歌詞は「♪床に飾れる福寿草…、こがねの色もゆかし~うれし」と唄う、
めでたい時の地唄である。

三味線を始めて2週目ころからこの曲の稽古になった。

めでたい曲なのだが、初心者がそれなりに弾けるようになるまでには
相当の難業が待ちかまえている。


稽古ができるようになるまでには、教本の曲を見る。
右手は撥を引く。左手は音程をとるために糸のツボを押さえる。
音程がずれていれば、指をツボまでずらす。
この3つの動作が同時にできなくてはならない。

このため、教本、押さえたツボ、弾く糸を順繰りに見る
首振りから稽古が始まるといっても過言ではない。


上手になれば、なんでもないことなのだろうが、初心者にとっては
稽古ができるようになるまでのこの同時動作は欠かせない苦行だ。

まず、教本の稽古曲の音階は、いまどこを進行しているのかを眼で追う。
次に、音感がないから、きちんと音が出ているかどうかは、ツボの箇所に

よって判断するしかない。そこで、左手の指が押さえているツボの箇所が

正しいかどうか棹を見る。
最後は、撥で弾く糸を間違えていないか確認するのである。
正面、左上、右下と順に眼で追う都度、首を振る。


福寿草は、稽古で最初にぶつかる曲だから、
音程も拍子も変化の少ないやさしい曲なのだが、
下手なりに弾けるまでに1ヶ月はゆうにかかった。

その上、さらにおまけの難業が待っていたのだ。

福寿草はこんな花をしてます