こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は千葉県流山市流山にあります流山赤城神社です。

御祭神は赤城神と大己貴命。

鎌倉時代の創建と言われておりますが、詳しい時期は明らかになっておりません。本殿内の棟札に「再建立元和6年申九月 別当赤城山神楽寺」と記されております。また、所蔵の幣帛を納めた箱書きから享和18年(1733年)11月5日に「正一位赤城大明神」の神階が神祇管領兼雄より叙されている事が分かります。
社殿が鎮座している高さ15mの山は群馬県の赤城山が噴火し、土塊の一部が流れついてできたもので、「山が流れ着いた」事から流山という地名が付けられたと伝えられております。また、別の言い伝えによると赤城山のお札が流れ着いた事からとも言われております。

 

流鉄流山線の列車に乗って流山赤城神社の最寄り駅、平和台駅までやってきました。開業時の駅名は赤城駅で、後に赤城台駅に改称され、昭和49年(1974年)に現駅名になりました。

 

駅のそばには「初詣は赤城神社へ」と書かれた立て看板がありました。

 

平和台駅から歩いて10分ほどで流山赤城神社の前に到着しました。

 

参道入口に建つ門には大きな注連縄が掛けられております。

 

注連縄は毎年第三土曜日・日曜日に行われる祭礼に先だって神社の清掃や祝祭などが行われる宮薙の日(現在は第二日曜日)に氏子さんや自治会の方々によって作られます。

 

「赤城神社の大しめ縄行事」として流山市の無形民俗文化財に指定されております。

 

門の後方に社号標が建っております。

 

社号標の後方に神社再建四百年記念の玉垣造営記念碑があります。

 

参道を進むと鳥居が建っております。

 

鳥居をくぐり、参道を進みます。

 

参道を進むと御神木のむくろじの木が立っております。

 

流山赤城神社の社殿が鎮座する山の麓には多数の石碑が見られました。

 

その中の一つに小林一茶の句碑があります。

 

石段を上ります。

 

石段を上り切ると狛犬がおりました。両方とも口が開いているように見えますね。

 

狛犬の後方に手水舎があります。

 

拝殿前には初詣客が多く並んでおりました。

 

こちらは拝殿の前にいる狛犬です。

 

流山赤城神社の社殿の周りには境内社があるのでお参りします。

 

こちらは流山赤城神社の拝殿右手にあります筑波神社です。

 

筑波神社の左手には聖徳太子の石碑があります。

 

こちらは聖徳太子の石碑のそばにありました石碑です。文字が書かれておりますが、読めませんでした。

 

こちらは聖徳太子の石碑のそばに立っている木の下にありました石碑です。辨財天と書かれておりました。

 

こちらは聖徳太子の石碑の左手にありました石碑です。

 

石碑には「粟」の文字が見られました。後方の貼り紙には「針供養之神」と書かれていたので粟島神(淡島神)の石碑と思われます。

 

流山赤城神社の社殿右手後方には水神宮があります。

 

鳥居をくぐると水盤があります。

 

鳥居と水盤の先に水神宮の祠があり、手前には狛犬がおりました。

 

流山赤城神社の社殿左手後方には松尾神社があります。

 

鳥居をくぐると松尾神社の祠があります。

 

こちらは松尾神社の祠の右手にありました祠ですが、詳細は分からず。

 

こちらは流山赤城神社の社殿左手にあります末社で、稲荷神社、天神社、三峯神社、船玉神社、足尾神社、弁財天、羽黒神社、大黒天の合殿です。

 

末社は平成25年(2013年)5月に放火で焼失しましたが、翌年の2月に再建されました。

 

末社は焼失しましたが、大黒様の木像が黒焦げで割れ目が入りましたが、ほぼ原形をとどめた状態で残り、現在も末社内に祀られております。

 

こちらは末社のそばにありました愛宕大権現と秋葉大権現の石祠です。天照八幡大菩薩などの名も見られます。

 

流山赤城神社は基本的に普段は無人ですが、お正月だったのでお守りなどの授与や甘酒が振舞われておりました。

 

御朱印の授与も行われているので持参した御朱印帳に書いて頂きました。以前お正月にお参りした時にも御朱印を頂きましたが、当時頂いたものと比べ朱印が異なります。朱印が新しくなったのかな?

 

御朱印の授与はお正月にしか行われていないと思っておりましたが、お正月以外にも頂けるようです。

 

流山赤城神社のホームページによると、次回は4月21日の午前中に頂けるそうです。

 

 

よろしければポチっと投票お願いします!!

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

 


御朱印ランキング