こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は東京都台東区今戸にあります今戸神社です。

御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、福禄寿。

康平6年(1063年)に源頼義・義家父子が奥州の安部貞任・宗任討伐の際、浅草今之津(現在の今戸)京都の石清水八幡宮を勧請し、今戸八幡が創建されました。
永保元年(1081年)、謀反を起こした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するさいに戦勝祈願をし、勝利した事から義家は社殿を修復しました。
その後、戦乱兵火に遭うたびに再建される事がしばしばありましたが、徳川家光は再建のために官材を下し、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて寛永13年(1636年)に再建されました。
大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が焼失しましたが、後に再建され、昭和12年(1937年)7月に白山神社を合祀し、現在の社名である今戸神社に改称されました。
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失しましたが、昭和46年(1971年)11月に現在の社殿が造営されました。

 

今戸神社の近くを流れている隅田川です。

 

天気が良かったので近くにある東京スカイツリーが綺麗に見えました。

 

隅田川を渡った後、北に上がります。

 

今戸神社の前に到着しました。

 

鳥居の横に立っているイチョウの葉が綺麗に色づいておりました。

 

鳥居の前には「招き猫発祥の地」と「沖田総司終焉の地」と書かれた看板があります。

 

今戸神社は招き猫発祥の地を名乗っておりますが、由来については諸説あります。

 

 

また、沖田総司終焉の地については結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時、今戸神社を仮住まいとしていた事から来ておりますが、現在の有力な史料によると、松本良順の手引きにより千駄ヶ谷の植木屋、柴田平五郎宅の納屋に匿われ、同地で死亡したとするのが定説との事です。

 

鳥居をくぐり、参道を進みます。

 

参道脇には神輿庫がありました。

 

参道脇にも葉が綺麗に色づいたイチョウの木が立っておりました。

 

こちらは参道にいる狛犬ですが、今戸焼の職人が宝暦2年(1752年)に寄進したもので、台東区の有形文化財に指定されております。保護や盗難防止の為か、網でガードされておりました。

 

吽型の狛犬のそばには度数拜禮碑がありました。

 

狛犬の後方で参道が分かれております。

 

曲がらず先に進みます。

 

先に進むと境内の西側に出ます。

 

真っすぐ進まず右に進むと手水舎があります。

 

手水舎のそばには台に乗った犬(で良いのかな?)がおります。台には「皆様ようこそ奥浅草に」と書かれておりました。

 

にっこり笑っております。

 

こちらは手水舎の近くにいる狛犬です。

 

吽型の狛犬のそばには沖田総司終焉之地碑と今戸焼発祥之地碑があります。今戸焼は江戸時代から明治時代を中心に今戸やその周辺で製造された焼きものです。

 

 

狛犬の後方に今戸神社の拝殿があります。

 

拝殿内には二匹の招き猫がおりました。招き猫の手前にはウサギがおりますが、お参りしたのが去年の12月で、令和5年の干支だった事からウサギがいたと思われます。後、ちょっと見えづらいですが、福禄寿の木像があります。今戸神社は浅草名所七福神の福禄寿の札所となっております。

 

拝殿の手前にも招き猫がおりました。

 

拝殿でお参りを済ませた後、社務所で今戸神社オリジナル御朱印帳を頂きました。表紙には拝殿にいた招き猫が、裏表紙には可愛らしい福禄寿が描かれております。

 

色は何色かありましたが、今回は水色の御朱印を頂いております。

 

現在、今戸神社の御朱印は持参した御朱印帳には書いて頂く事は出来ませんが、オリジナル御朱印帳を頂くと、最初のページに御朱印が書かれております。

 

挟み紙には「神様ありがとうございます」と書かれておりました。

 

 

御朱印の日付を見て違和感を覚えた方がいらっしゃるかも知れませんが、前回投稿した記事で紹介した流山赤城神社の御朱印の日付より前の日付になっております。実は流山赤城神社の記事を投稿した後、今戸神社の記事を作成していなかった事に気付いたので、紹介が遅れてしまった次第です…。

 

 

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