末期癌だった父が、亡くなりました。
最期を見届けたのは、兄だけでした。
亡くなる前日、父が危ない状態になったので病院から母へ電話があり、母から兄と私へ連絡がありました。
私は午前中のうちに職場から駆けつけ、兄は夕方に到着しました。
その日は2回ほど、心拍数が著しく低下し、血中酸素濃度も30%くらいまで落ち込む状態になりました。
親戚を呼んだりなどしているうち、日が暮れてからは数値がそれぞれ向上して安定し、
母だけ病院へ泊まり込みました。
翌朝、母が簡単な家事をするために家に戻りたいとのことで、兄と交代しました。
両親と兄は都内在住、病院も23区内。私は千葉県在住です。
実家と病院はクルマで10分〜20分程度でしょうか。
兄は母が1〜2時間程度で戻るのを知っていたので、昼頃から仕事へ行くつもりで病床横で読書をしていました。
そんな折、ふたたび数値が悪化し、看護師さんや主治医のかたがバタバタと病室を出入りなどしている間に、
眠るように息を引き取ったそうです。
(8月以降、父は喋ることもままなりませんでしたが、ここ数日も、多臓器不全で、半分以上眠っている状態だったそうです)
苦しまずに逝く、というのは、終末期対応で母が一番望んでいたことなので、それは不幸中の幸いでした。
母が病床を外している間、兄と二人だけのときに逝ったのは、父が企ったのかもしれません。
男同士で何か話があったのかもしれません。
父が息を引き取って、程なく私の携帯が鳴りました。
その日私は休暇で出社しておりませんでした。
妻に事情を話し、子どもたちを早退させ、一家揃って病院へ向かいました。
病室へ着くと、主治医の先生の計らいで、点滴や酸素吸引器、心電図等を測る機械、などなどをつけたまま、
つまり死者ではなく患者の状態で待っていてくれました。
私と家族の到着を待ってから、記録に残る死亡診断をし、その時刻が正式な死亡時刻となりました。
こうして父の5年間に渡る闘病生活が終了しました。
患者の状態で待っていてくれた事について、これは本当にありがたかったですし、嬉しかったです。
霊安室で横たわっている父に私自身が会ったり、子どもたちを会わせるよりも、
面会に来たときに見ていたのと同じ状態の父と、子どもたちが最期の別れをすることができました。
父はこのときまだ暖かく、そして柔らかかったです。
主治医による死亡診断が為されたあと、父は体を拭かれ、多少の化粧を施され、霊安室へ移されました。
病院から、信用のある葬儀屋へ連絡が行き、担当者がやってきます。
そこからは、葬儀屋さんに頼ることが多々在りました。
実は死の1~2ヶ月前、母と兄と3人で話をする機会を、私の発案で持ちました。
- 喪主はどうするのか。
- 通夜・葬儀はどこで行うのか。菩提寺なのか火葬場なのか。
- 納骨は、祖父や親戚一同が入っている墓で良いのか。
- 家は、父の死後は母しか住まなくなるがどうするのか。
- 独身の兄が実家に戻るのか。
- 母が私の現在の住居近くに越してくるのか。
などなど。
ある程度話をしておいたので大枠で困ることがありませんでしたが、
それでも細かく決めていかなければいけないことがあります。
- 通夜と告別式の日程
- 通夜と告別式の会場の大きさ(もちろんキャパによって予算が異なる)
- 上記は会場やお坊さんの都合を確認しながら進める必要があります。
- 調整は全部葬儀屋さんがやってくれました。
- 祭壇のデザインと大きさ
- 花台のデザイン
- 通夜振る舞いの種類と量
- 初七日で出す食事の種類と量
- 香典返しの金額と種類
- 受付をしてくれる身内を2人ほど選定
まず困ったのが、来場する人数が読めない、という点でした。
- 父の兄弟と母の兄弟と、
- 未だにつながりのあった父の同級生、
- 父の昔の職場のかた、
- 私の上司と兄の職場のかた、
が来場が予想されるかたがたでした。
予想人数に見合う会場が空いておらず、やむなく一回り大きな会場を予約し、
お坊さんの予定もおさえてもらいました。
結果、予想を超えた人数の来場があり、嬉しい誤算となりました。
父の同級生や仕事つながりのかたとお話をする機会もあり、それは私にとってとても良い経験となりました。
火葬炉へ棺を入れる直前、肉体の父とは最期の別れとなります。
4歳の長男を抱っこしていたのですが、自然と涙が溢れ、長男を見せながら
「つないだぞ!」と父へ伝えました。
8月に入院して後、お骨になって父は自宅に戻りました。
四十九日法要で納骨されるまで、自宅で母と過ごします。
兄が実家に寄る頻度が上がるでしょう。
土曜日、母から事務的な確認事項で私に電話があったのですが、雑談の中でこの日も兄が来ていたことがわかりました。
母は一月前ほどから自宅の整理をしており、不用品をリサイクルショップへ何度も出しています。
納骨が終わるころには、その作業も一段落するかもしれません。
納骨や遺品整理が終わってしまうと、母の様子も変わってくるかもしれません。
注視しておきたいと思います。
ここのところ自覚のある症状があります。
どうしても毎日同じ過ちを繰り返しています。
どうしても、ほぼ毎食、お腹いっぱい食べてしまいます。
そして苦しくて動けなくなったり、
眠くて使い物にならなくなったり、
ということを繰り返しています。
思えば、これはものごころついてからずっと続いていることかもしれません。
生まれて初めて、食事の量を調整し始めてみようと思います。
たけしさん本書いたのか。
『アナログ』と劇的な人間 | ニュース和歌山
http://www.nwn.jp/column/20171111_shouron/
ちなみに本文中の福田恆存は「ふくだつねあり」と読みます。
氏の『人間・この劇的なるもの』も読みたい。
とりあえず俺と踊ろう 2017-11-09
とりあえず俺と踊ろう 2017-11-10
http://psichiatra.blogspot.
石川りょうさんをご存知ですか?
本来、政治家とは、大勢の人に選ばれるみんなの代表であり、積極的にまちづくりに関わり、困っている人に手を差し伸べることのできる仕事ではないでしょうか?
私は子どもの頃から政治家になりたいと思っていましたが、それは政治家という仕事が、そのように誇り高く格好いい仕事だと考えていたからです。私はそんな議員のイメージを取り戻します。
そうなれば、もっと多くの若者や優秀な人たちが政治家を志すようになり、それが地方議員(議会)のレベルアップ、そして地方政治の発展につながります。
これからの日本は、中央からではなく、地域から、ひいては一人ひとりの国民から牽引されていくボトムアップの時代になると考えています。そのような時代に求められているのは、一人ひとりの市民の力を引き出し、市民の皆さんと一緒に成長していく「民主主義の使徒」としての地方議員なのではないでしょうか?私はそのような政治家(地方議員)を目指しています。