愛と平和の弾薬庫 -72ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

史実の羅列だけでは納得のいかない部分(長男国衡を退けての次男泰衡の継承、半年以上義経をかくまった上での襲撃、焼け爛れた義経の首級、敗走した先での配下の裏切り等々)をクリアするためには、泰衡は小心者だった、を翻さなければならなかったのだ!することで、すべての辻褄があったのだ!
高橋克彦はきっと、奥州藤原氏に関する歪んだ解釈(4代目にしてさすがに腐敗)を質さんがため、謎とされている部分を「謎なんかじゃないよう」と言わんがためにこの大長編に挑んだんだろう。
だってやっぱりなぁ、敗走に加わってる部下にやられるなんておかしすぎる。しかもその部下、頼朝にその首級をわざわざ届けてるんだぜ。名もなき人間はそこまでしない。高橋克彦が書いてる通り、陸奥の安寧を頼朝に託さんがために泰衡自らの意思で自分の首を届けさせた、と見るのが自然だ。だ!
皆さん、来年の「大河ドラマ・義経」、渡辺いっけいにはだまされないように!にに!
ああ、なんか、見たくなくなってきた。
坂上田村麻呂、蝦夷を征伐。
奥州藤原氏滅亡。
ひとことで片付けられていた我らが先祖の歴史を一気に解凍してくれたのが「火怨」と「炎立つ」の二冊だった。
東北は伊達政宗だけじゃないのだ。むしろ岩手にこそ「東北の本当の歴史」は刻まれていたのだ。「東北の真の英雄達」はいたのだ。
感動的な物語としてそれを教えてくれた高橋克彦に感謝!感謝!感謝!
素っ気ない文章、人物像が画一的、とか思っていたが、読み進むうちにしっかり魅了されている自分。はたして、しっかり書き分けられていたたくさんの登場人物。正確すぎるほどに的確な筆運び。
「高度な何か」とは、こんなふうに「さりげない」。
あぶないあぶない。気をつけよう。
「素っ気ない文章」などとほざいてへらへらしてるあいだに、後ろでニヤニヤしてる奴がいるかもしれないのだ。フッと鼻で笑われてるかもしれないのだ。
サテンドールでの風ズGIGは彰一の新曲も披露されたものの、なぜかトム色の強い印象が残った。ストレートなステージ。
「雨はみんなの肩に落ち、風はみんなの頬をなでる」(←ここ、コピペ)に感動。トムはこういう素材を歌にするのがうまいなぁ。「風に吹かれて」や「ヘルプ!」なんかを歌ったりもしてきた、その経験が、こういう曲を作ったり歌ったりする時に生きてくるんだろうな、とか思う。
彰一の歌は混沌とした世界――時として「彰一の頭の奥深い部分」、時として「地球上におけるあまたの生物および事象を抱えたまま宇宙も突き抜けちゃった世界」――から噴出、もしくは抽出してくる抽象物だが、トムの歌はあくまで真っ直ぐで、駆けるままに突き抜けていこうとする「Rock'n'Roll―added some(thumb) Blues」だ。――なんか、スプリングスティーンみたいだな。
だから途中から立ったのは、正解というより必然だったのかもね。――タカスィも立て~!股にはさんで立て~!
Gigのあと、11時から「やぐら茶屋」。同じ居酒屋チェーンでも養老之瀧とはえらい違い。食い物もうまいし、酒も「よしよし」の揃い方。芋焼酎の「黒甕」、うまかったね。何を話したのか、まるで覚えてない級に覚えてないが、○○ピーポーの気質を語った時のタカスィの言葉の的確さは覚えてる。まったくね、○○ピーポーには感受性が欠如している。俺も○○生まれの○○育ちなんだけどさ。過去の自分も含めて、まったくそう思う。
しかしよう、雨さえ降ってなけりゃフードなんてかぶらなかったんだ。そしたら帽子なくさないですんだのになぁ。クソッ。絶対タクシーの中だ。(電話したんだが「ニット帽の忘れ物は届けないですねぇ」と言われた)
では、トム、「最高級主食」をお召し上がりになってこれからもいい歌を。
☆本日仙台は20℃、なのだが風が強い。布団が干せなんだはいと口惜し。
ステレオピンプラグ(¥840)、しっかと買ったのに車に忘れてきた。
クソッと思いながらボイスレコーダーというのを開いたら録音時間は1分だけだという。3時半に寝て8時に目が覚めちまって、ただでさえモンヤリしてるところで次々にこういうことが発覚すると何もしたくなくなる。ビーチボーイズのCDなどかけて、さらにわけがわからなくなる。Dance Dance Dance.....。
「炎立つ」も「火怨」同様、登場人物がやたら感情過多である。みな、ひたすら涙にまみれる。文章もあっけない。そっけない。がしかし早く次のページが読みたくなるのだ。どんどん読んでしまう。エンターテイメントなのだな、と思う。エンターテイメント時代小説。感動巨編。経清バンザイ!清衡ガンバレ!義家アッパレ!……あと一冊半。ビデオ借りてきたくなってきた。(見ないほうがいいのかな)
そういや、来年の大河は源義経じゃなかったか?
プールへ行く途中、六丁の目から七郷へ抜ける両側二車線道路で対向車線からパッシング。ナヌッ!? とブレーキを踏む。
いた。前方もはや百メートル、怪しげな物のうしろでもぞもぞする警察官。パッシングのお陰で速度は落とせたものの念は念を、予定より一本手前で右折。
しかし……うしろからだと怒りの対称にしかならないパッシングが、前からだと、「ライト点いてますよ」になったり、今日のように「あいつらが待ち受けてますよ」になったり、なかなか右折できない時の「どうぞ」になったり、非常にありがたいものになるからおもしろい。
こんなふうに同じ表現が正反対の意思表示になるものって他には中々ないんじゃないだろうか。
☆BGM--Television"Marquee Moon"~Gryphon"Gryphon"

 大通りから道路3本奥まったところにその町の商店街がある。町自体は決して新興地ではない。が、広めにとった歩道、まだまったいらなアスファルト、それぞれの店の色鮮やかな真新しい塗装、けっこうユーガにたたずむ商店街である。そんな町にはたいがい広めな公園がある。そしてそんな公園にはたいがい水洗設備の整ったわりかしきれいな公衆トイレがある。この町の場合も例外ではなく、俺が今まさにひきつらんばかりに必要としている公衆トイレがあった。
 あった。
 あったあ!
 営業車に鍵をかけるのももどかしく、アンモニア臭きわめて抑え気味のその素敵なトイレに、俺はズリズリ駆けこんだ。放水!である。ウオッ! ときたもんだ。セメントの天井を這う完璧な安堵のため息。そこで声がした。
 「なーにでかいため息ついてんねん」
 大阪弁だろうその声は〈大〉のほうの部屋からだった。むろん聞き覚えのない声だ。ほとんど知らん町の公園の公衆便所に潜んでいて突然俺を驚かそうなんて、そんなヒマ人は俺の知人にはいない。ヒマな人間は少なくないが少なくともこんなヒマ人はいない。だいたいにして、ヒマな人間とヒマ人とはイコールではないのだ。
 ヒマな人間とは、そう、例えば「窓際族」って奴だ。たっぷり時間はあるんだがもてあましてる奴。それに対しヒマ人は、昼間ギッチリ働いて家に帰ると、そうよなあ、例えばフライフィッシングの疑似餌づくりなんぞに没頭してる奴。そんで出来上がった疑似餌を職場で見せびらかして女性の同僚から「よっぽどヒマなのよね」なんて言われちまったりする。そんな奴。その時、同僚の女も<ヒマ人>と<ヒマな人>の違いをわかってなかったりするんだが、まあそこんところは置いとくとして、えてしてこの手はついつい根をつめすぎて寝る時間が足りなくなったりする。てえことは、ヒマ人ヒマなし――なんて言葉も成立するってわけだ。
 さらにはそれ以前に、だ。ヒマ人は「閑人」なんぞと書いたりもするぐらいで、根本からが違うんである。
 てなことはともかく……
 ふむ……。
 みょうちくりんなこの大阪弁に返事すべきか否か、俺は半秒ほど考え、結局ムシすることにした。そう決めるとたった半秒でさえ悩んだ自分が悔やまれた。だいたいにして、普通こんな声に返事などしない。
 と――大の部屋の男がまた声をかけてきた。
 「どうしたんだよ、ん?」
 べつにどうもしない。もちろん返事もしない。しかしだ。それにしてもこの〈大の部屋〉の男、よほどのアホなのか、こういうコミュニケーションに慣れてるのか。もし声をかけた相手が怒り出したりしたら、とか考えないんだろうか。それとも、もしそんなことになってもやられないだけの自信があるからこんなことをしてるんだろうか。ついこんなことを考えちまうってのもまたシャクに触るが、考えちまうもんはしょうがない。だって、もし俺がチョー短気なチンピラだったりしたらどうするんだろう。へたすりゃ命にかかわるかもしれないじゃないか。いや、最近のテレビなど見ているとチンピラなんかよりもっと恐ろしい奴らがいる。それも合法的にそこらへんにうじゃうじゃと。中学生だ。俺がもし最近の、それも思いっきり陰険な中学生だったりしら、それも仲間がそばにたくさんいたりしたら……。おお、はぶまーしー。俺はただの肉塊にはなりたくない。俺なら絶対こんなことはしない。
 でも〈大の部屋の男〉は俺に声をかけてきた。で、俺はそこらのチンピラでもなけりゃ、中学生でもない。ただの〈ウンちゃん〉だ。てなことをとりとめもなく考えているうちに放尿分の水分は尽きてきた。さあさあ……。俺は自分の可愛い象さんをズボンにしまいこみ、手洗いの水道をひねり……そこでまた中の男が言った。
 「なんだよ、ムシかよ!」
 語気が荒くなっている。俺はほんのすこうしムッとした。妙なコミュニケーションを吹っかけてきて勝手にいらついてんじゃねえ。
 かまってたってしょうがない。俺はセメントの小さな建物から出ようと歩き出した。今日は土曜でとことん暇だから一刻も早く駅へ戻り並ばねばならないのだ。たとえほとんどの客がワンメーターだろうが、0よりはマシだ。しかし……
 「なあ、頼むからよう、助けてくんねえかなあ……」
 頼む? 助ける? わけがわからん。が、助けてと言われちゃあ放っちゃおけない。俺だって一人の、一応は一個ばかりは心を持った人間なのだ。しかしだ。こやつが手のつけようのないほどのヒマ人だったりしたら……。どんな暇つぶしに付き合わされるかわかったもんじゃない。お笑い種にもならないような、仕掛けたほうだけが喜ぶ暇つぶし。
 とりあえず俺はひとつの態度をとることにした。声に反応して一応は立ち止まったことを伝えるんである。
 俺はズリズリと足を引きずり、フウーッ……、さっきよりも大きなため息をついた。これで俺が、一応は「助けてくんねえかなあ」って言葉が気にかかったことが伝わるってもんだ。だが、「大の部屋の男」は何を言ってくるでもなかった。まさかな、と俺は思った。自分が外の人間を引き止めちまったことに今さらビビッてんんでもなかろうな。もしかして、それとも安堵してるのか? 俺がとどまってやったから。

 「大丈夫か……」

 俺の声だった。心にもない思いがにじんでいる。

 昔はこんな男じゃなかったはずだ。後部座席に向かってヘラヘラしているうちに、いつのまにやらこんな声の出せる男になっちまったのだ。あーあ。

 中からの反応はなかなか返ってこなかった。やっぱ行っちまうか……?一瞬そう思った。でも何かがそうさせない。俺も一応は人間なのだ。

 「おい……」

 また心配げに〈外の男〉、俺が言う。しかしちょっと苛立ちが混じっちまった。まったく人間らしい。誰か他の人間と入れ替わってもまったく問題ない。かわいくって涙が出てきそうだ。でも誰も俺とは変わっちゃくれない。入れ替わってくれる奴なんていない。それでいいんだが。

 「だあれも助けちゃくれねえんだ……」

 優しげな声を発する男じゃないほうの男の声だ。すっかり泣きが入ってる。いい兆候だ。こんなんにかまっちゃいられない。俺にそう思わせてくれるからだ。立ち去る気分にさせてくれるからだ。しかもその言葉の表してる所がいい。自分の正体をばらしてるようなもんじゃねえか。

 俺は決め付けた。こいつあホームレスだ。さあ、とっとと仕事に戻ろう。だが、やっぱり俺は立ち去れなかった。自分を省みちまったからだ。そういう男なのだ。つまらんところで自分を省みちまう男なのだ、俺ってやつは。この場合、いま俺はこう思ったんである。相手はホームレスらしい。だから? だったらてめえは一体なんなんだ? 俺は何だ? ただの〈ウンちゃん〉じゃねえか。

 しかしだ、俺は誰かに泣きついたことなんてない。泣きたくなったことぐらいいくらだってあるし、実際だあれもいない部屋で泣いちまったことだってある。でも、誰かに泣きついたことなんてない。でも、やっぱり立ち去れなかった。

 「甘ったれんな……。ったくよう……」

 返答はなかった。自分の口から出た言葉はそのまま俺に返ってきた。甘ったれなよな。またため息だ。なんでいちいち自分に返すんだ、俺は。

 潮時だった。俺は足をズルズル引きずり車へ戻ろうときびすを返した。

 「アーーーーーーッ!!!」

 はぁーー? なんなんだ、一体……?

 しかし俺は去らなかった。ヤベエ、ととっさに思ったのだ。このまま立ち去るわけにはいかない。この叫び声から想像されるようなことがあの中で起こっていたとしたら、もしそんなことになってたら、あとからどんな疑いをかけられるか知れたもんじゃないのだ。
 周囲を俺は見渡した。イヌの散歩のお姉ちゃんとジャージ姿のじいさん。あの声にはまったく気づかなかったらしい、それとも聞こえないふりをしてるのか、何事もなかった顔で自分らの予定を遂行している。だったらそれきりにしてりゃいいようなもんだが、やはり俺は便所へ戻った。一応は人間なのだ。真っ当な神経や心を持った、誰と入れ替わってもそうたいした変わりのない。
 しかしこんな経験は初めてなので、何をどう言ったもんやらである。何も言わず、俺はドアを叩いた。ドアはロックされていなかった。ゆっくり、内側に開いた。安堵とも驚きともつかないため息を、俺はついた。おいおいおい、である。俺は一体何をしてたんだろう。わざわざこんなふうに自分の声を聞くなんて。
 いい加減にしないとな。

スパゲティは300gぐらいだな。大盛りなのだ。大根は5センチぐらいに切って皮をむいたらそれ以上切ったり、ましてや煮たりせずにシャカシャカおろす。納豆はふたパック。できれば刻みネギと一緒にねとねとマゼマゼ。
スパゲティのちょいと芯の残った状態をアルデンテと言うんだそうだが、なんと言うのかなんてことはともかくその状態がやはりおいしいので、そんぐらいまで茹で上げる。九分ぐらいだったりする。
茹で上がったらしっかりお湯を切りましょう。で、皿にあけるんだが、ちょっと深みのある皿でないといけないね。皿の底がすっかり隠れる程度にそばつゆを注いだら、オクさんのほうの皿にちょっと余分にスパゲティを盛る。
この「ちょっと余分に」というところが大事だ。「働いて帰ってきたおれ」を大事にする心遣いというものなのだ。
スパゲティとそばつゆを軽くまぜて、大根おろしをのせる。のだが、この時おろしの汁気を適度に切らないとビチャビチャになってしまい、味も薄くなるからドバドバッとはかけない。そっと指ですくう感じでスパゲティの上に移動させる。ジアスターゼは汁気のほうにあるんだが、あんど、奥さんはジアスターゼが大好きなのだが、しょうがない、水っぽくなっては「失敗」なのだ。
さあ、最後に納豆をど真ん中に乗せたら出来上がり。
「お疲れ様」とひとこと添えて、「うむ!」と返事があったらいただきます。
刑務所に入りたかった!? だったら「面識がなかった」人間を殺したりしてねえで告解擬似洞でも婆供覇してみろ!
徒党組んで自分殺してんじゃねえ!お前らをそんな情けない人間にした、そんな「三つ子の魂」植え込んだ、お前らのような奴らを製作した「真犯人」をこそ痴真吊りに上げろ!
19才と28才、キミ達は正しい。他人様に迷惑をかけなかったキミ達は偉い。まったくそうあるべきだ。自らの心に宿った怒りを、不安を、キミ達は正しい形でぶちまけた。報復先をキミ達は間違えなかったのだ。それは断じて逆恨みなんかじゃない。外から見てどんなに偉い親だろうが、どんなに立派な家だろうが、キミ達の心をつぶしたのは間違いなくその親であり、家なのだ。家から出たらよかったろうになどとほざくのは頭のいいやつだ。どこかで切り替えのできる人間に育ててもらえた「恵まれた奴ら」なのだ。気にするな。刑務所の中でたくさん本を読んで、たくさん何かを書き続けなさい。決して卑屈になるな。断じて「お仕着せの反省」などするな。ちょろい奴になって出てくるな!
国家的自家中毒は進んでいる。狂ってるのは誰か、真に問うこともなく。毒はどこにあるのかも口にできないままに。バカばかり見せられて。乗せられて。流されて。やられてばっかりのまま。
突き抜けろ!見つけろ!生きろ!
月に一度の「土日休」(土・明け番、日・公休)。自分のことはさておき、伴侶とのんびりである。多分「Dr.コトー診療所」にどっぷり四時間半浸かるのであろう。「シュレック」も録ってある。そして所々で「勝手に脱会した男」は思うのだ。ああ、彼らは今日、あそこで笑い合ってるんだろなぁ、などと。縁があったらまたどこかで「新しい間柄」で出会いましょう。きっとそんなことにはならないんだが。
高橋克彦、「火怨」以来2冊目の読書。中世、「蝦夷」と呼ばれ朝廷から蔑まれたこの世界のなんという滋味深さ。仕事中の半日に一冊目の半分まで読み進めた。
遠野の郷といい、平泉近辺の歴史といい、「泉沢家」の故郷はなんと魅惑的なことか。
高橋克彦は岩手県出身。