愛と平和の弾薬庫 -11ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

脳みそなんかなくたって生きていける。それは事実です。でもその人生が充分に満足できるものとなるかどうかは非常に怪しい。それは現実です。


俺がその現実を目の当たりにしたのは、20代も終わりの頃でした。


もっと早かったら、どれだけよかったでしょう。

世の中には、脳みそを、母親の腹ん中とか、産院の廊下の角とか、どっかに忘れてきた人間と、

どこにも忘れずに、生まれてくる時にしっかり自らの頭部、頭蓋内にひだひだたっぷりな脳みそを装てんさせて出生してくる人間とがあるのだということと、そして、その二者のあいだにはそののち、盛大なる相違が生じちまうのだということを、せめて20代にちょーど乗っかったあたり、そう、あのばかばかしいセージン式とかに招かれtっちまうあたりにでも知ることができてたら、ああ、どれだけよかったんっしょう。


でも俺が脳みそのあるなし、その二者の人生の成り立ち方の大いなる相違点に気づかされたのは、とにもかくにもまあ、30才まであと1ヶ月というあたりだったのです。

それを教えてくれたのは、私にとってはけっこう重要と言える友人でした。

そいつは当時、俺んちに、俺のアパートに居候してました。

住まわせてたんです。僻地にある自分ちから学校に通うのは、留年した自分にはきついから、大学に近いあんたんちに居候させてくんないか、と言ってきたその年下の友人と、俺は暮らしを共にしとったんです。

そいつが脳みそを持ってたんです。

俺は、いいなあ、と思いました。


(つびこんてにゅーど)

阿弖流為(あてるい)軍登場まで
724年 陸奥鎮守将軍、大野東人、多賀城を築城――朝廷統括領域の設定。
749年 小田郡
(多賀城近郊)から大量の黄金産出――それまで黄金は唐から輸入するしかなかった。
    小田郡完全制圧。名取に軍団を組織。桃生城築城――朝廷による陸奥簒奪
(さんだつ)の開始。
    蝦夷の豪族を取り込み始める――蝦夷による蝦夷鎮圧。

770年 蝦夷鎮圧を役目としていた宇漢迷公宇屈波宇(うかめのきみ・うくはう)が任を放棄、陸奥へ帰還
774年 蝦夷、桃生城を攻撃――蝦夷ののどかな時代の終焉。
    以降、陸奥国、出羽国の各所で小ぜり合いが続く。

阿弖流為軍の登場
780 朝廷、胆沢(現・水沢市内)に築城(覚べつ城)を計画。
 朝廷側に身を置き時節到来を待っていた伊治公鮮麻呂(これはるのきみ・あざまろ伊治城を任されていた鮮麻呂)

     胆沢の阿弖流為を中心とする蝦夷軍の援護を得て、 陸奥鎮守将軍・紀広純(きのひろずみ)道嶋大楯(みちしまのおおたて)の首を取る。
  紀広純――陸奥鎮守将軍、陸奥按察使、内裏の参議
 道嶋大楯――牡鹿出自で朝廷側に組し大出世を果たしていた道嶋嶋足
(みちしまのしまたり)の弟。牡鹿郡大領

阿弖流為軍
   阿弖流為――胆沢を治める阿久斗(あくと)の跡取り。伊治城攻めの時、18才。
   母礼(もれ)――黒石の那珂禰(なかね)の跡取り。
             超切れ者の策士。阿弖流為の右腕となり、陰から軍を統率する。
   伊佐西古(いさしこ)――江刺の頭領。伊治城攻めの後に参軍。
   飛良手(ひらて)――鮮麻呂の密謀を多賀城に密告しようとした阿久斗の側臣。
                阿弖流為に捕えられるが、阿弖流為の懇願により阿久斗に許され、
                以後、阿弖流為に命をあずける下臣となる。
   多久麻(たくま)――伊治城攻略の密謀を胆沢に伝令した鮮麻呂の下臣。
   猛比古(たけひこ)――多久麻同様、旧・鮮麻呂の下臣。

〔各郡の頭領〕――伊治城攻めの後に参軍
    志和の阿奴志己(あぬしこ)
    気仙の八十嶋(やそしま)
    和賀の諸絞(もろしま)
    稗貫の乙代(おとしろ)

〔別格〕物部二風(もののべにふう)、物部天鈴(てんれい)
       蘇我氏により都を追放された物部氏の子孫。
       採掘した黄金により都と陸奥を行き来し、蝦夷を援護する。
       阿弖流為軍の本拠となる東和の地を提供する。
  (奥州安倍一族・藤原四代を援護した金売り吉次の祖先?)

780年 再建中の多賀城の完成を遅らせる(朝廷側からの次の攻撃を遅らせる)ための攻撃。
      桃生城を攻めつつ、多賀城に火を放つ。
 
781
年 阿弖流為、飛良手とともに2500頭の馬を引いて冬の栗駒山を越え鬼切部(鬼首)へ。
      征東副将軍・紀古佐美(きのこさみ)の軍勢の急襲に備える。
      (征東将軍は藤原小黒麻呂ふじわらのおぐろまろ
      紀古佐美の軍、25,000(内、騎馬軍2,500が伊治城の北方一刻半の位置(現在の宮城岩手県境あたり)に進軍。

 迎える阿弖流為軍、4,000(騎馬軍2,500
      阿弖流為軍の戦死者76名。朝廷軍、戦死約600名、負傷者3,000人。
      阿弖流為軍の歴史的勝利。
      藤原小黒麻呂からの朝廷への報告は「対等の戦」。
 
  以後、陸奥按察使兼鎮守将軍に大伴家持(おおとものやかもち)が赴任、7年間の平穏。
 
788
年 桓武天皇、多賀城に50,000の兵を動員。
      紀古佐美、征東将軍就任。
 
789
年 安倍墨縄
(多賀城軍)2,000を率い巣伏にて日高見川(北上川)渡河を決行。
      上流から流れてきた大木の群れに遭遇。
      ほぼ同時に対岸から1,000の騎馬軍からの火矢を浴びる。
      入間広成
(多賀城軍)、歩兵4,000を率いて鵜の木で渡河。
      巣伏から流れ着いた流木
(阿弖流為軍が流した大木の群れと壊れた安倍墨縄軍の筏)に筏を流される。
      退路を断たれたのを知らずに進軍していくと2,000の騎馬軍に遭遇。
      河へ戻って泳いでの渡河を試み自滅的に壊滅。
 
     朝廷軍、戦死・溺死者1,061名。阿弖流為軍の戦死者89名。
  阿弖流為軍の大勝利。
      紀古佐美、帰都後、仏門へ。
 
同年秋 阿弖流為、母礼、伊佐西古、天鈴に導かれ長岡京へ。
      坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)と会う。
      阿弖流為にとっては再会。(田村麻呂の父、苅田麻呂が征東将軍だった少年時代に会っている)
      なぜ桓武天皇が蝦夷攻略に躍起となり始めたか、田村麻呂の口から聞かされる。
      ――平安京への遷都を推し進めるためには朝廷の威厳を高める必要がある。
         その「材料」とされる蝦夷
  
      都から帰り、志和の阿奴志己東日流(つがる)の赤頭にそそのかされ朝廷側に
      付いたことを聞かされる。
      赤頭――都並みの町、東日流を治める棟梁。
            戦乱から遠く離れた地で安穏の立場阿弖流為たちの戦いに否定的。
 
793
2月 坂上田村麻呂、征東副将軍を任ぜられ、多賀城に入る。
      征東将軍は大伴弟麻呂
(おおとものおとまろ)
      田村麻呂、地勢を完璧に掌握する等、慎重論を唱え、軍議から外される。

      阿弖流為軍、束稲山・東岳に次々に砦を建造。
      田村麻呂を外した10万の弟麻呂軍、衣川に陣を張る。
   3月 飛良手猛比古が500を率いて衣川の弟麻呂軍を急襲、150の馬を奪う。
      弟麻呂、腹いせに(無人となった)衣川の町を焼き討ち。
      副将軍・百済王俊哲(くだらのこにきししゅんてつ)率いる5万が束稲山を攻撃。
 
     阿弖流為軍、数々の奇策・奇襲、伊佐西古、俊哲の目の前まで迫る
      朝廷側の死者10,000、蝦夷側550――阿弖流為軍の大勝利。
  弟麻呂、「勝利」を朝廷に報告し、遷都の祝いとする。
 
796
年 坂上田村麻呂、陸奥按察使
(むつのあぜち)陸奥守(むつのかみ)、鎮守将軍として多賀城に赴任。
798年 坂上田村麻呂、ついに征夷大将軍に。
799年1月 田村麻呂に、「
阿弖流為・母礼・伊佐西古孤立」の報告が届く。
80010月 田村麻呂一番の家臣・御園、束稲山・東岳の砦を燃やす。
801年1月 伊佐西古1,600の江刺軍を胆沢の柵に移動。
      胆沢・黒石・江刺による最終蝦夷軍、4,000となる。
   3月 田村麻呂軍40,000、衣川に進軍。前沢に陣を置く。
      阿弖流為母礼3,000の騎馬軍で前沢の陣を急襲。
      田村麻呂5,000の騎馬軍を出し迎え撃つ。
      最初にして最後の平地における真正面からの蝦夷軍対朝廷軍。
      両者ほぼ同数の犠牲者、田村麻呂にとっては屈辱。
  阿弖流為軍、東和金成山の砦に退却。
 
 
      胆沢に入った田村麻呂、和賀・閉伊・志和・気仙・稗貫・岩手の長(おさ)を招き、
      朝廷から和議を取り付けることを約束する。
  

   8月 田村麻呂、8,000の兵を東和に進める。兵団の指揮は御園。
      伊佐西古、猛比古と共に3000を率いて砦を出る。
      伊佐西古43)、御園と相討ちして果てる。猛比古も戦死
      朝廷側死傷2,000、蝦夷側400
 
802
3月 阿弖流為軍に加わらなかった蝦夷達(和賀・閉伊・志和・気仙・稗貫・岩手)との
        和議を取り付けた田村麻呂、都から多賀城へ戻る。

        阿弖流為軍がさらに半減1,800したと聞かされる田村麻呂。
    4月 胆沢の柵に戻った田村麻呂の元に飛良手が遣わされ、阿弖流為からの要望を伝える。
        ――最終的に残った1,000の兵を許すなら阿弖流為・母礼ほか主だったもので投降する。
 
    415日 阿弖流為、胆沢と黒石の450に将50を引き連れ正式に投降。
           阿弖流為と母礼以外は開放される。
     813日 河内にて、埋められて晒された阿弖流為
39と母礼47、鋸引きにて斬首。
           刑場に晒された二人の首の前で、飛良手
47、田村麻呂の介錯を受ける。           

 

脳みそなんてなくても生きていける。そのことを証明するためだけに生きているような気がする今日この頃、みなさまに置かれましてはどんな感じなんでしょうか。とか急に質問なんてしてみたくなるのは、相手にしてくれてる人がいると決めつけてるからなんだが、どうだろう、これでいいんでしょうか。


知るか、という声が聞こえてくればこれ幸い、やっぱ俺は一人なんかじゃない、と安堵する。あんどあんどっててめえはあんどだけが喜びか、アンドーナツでも食ってやがれ、とか、そんな声も聞こえる。それが内なる声、すなわち自分の頭の中からこだましてくる声だと気づくまで、さて、あなたは何年かかりましたか。私はなにげに中学二年のあたりで気づきました。


ほら、脳みそがない人間にだって、中学くらい通えたんです。その記憶さえとっておけるのです。この空っぽの頭ん中に。よくできてら。


でもね。


脳みそなんかなくても、誰だって生きていける。でもそれが、十分に満足できる人生かといえばそれは怪しい。それも確かなことではある。悲しいが、哀しいが、仮名Cがそれは認めねばならない。

脳みそがなくても愛想がいいとか、脳みそなんかなくても何にでも真剣に、強い気持ちで取り組むことができる、つまり努力を惜しまない性格である、とか、そういう生き方ができる人はまあ、いい。

でも、俺は、そう、ろくな人間になんない、と母親や小学校の担任に面と向かって言われた人間なのである。


あれは小学校の教師としては、最低の人間だったと俺は今でも思っています。

しかし、どのへんが最低だったのか、なぜ俺は問い質さなかったんだろう。

あ、脳みそがないから、そこまで思いつけなかったんだ。

ああ、やだやだ、脳みそがある人生のほうがやっぱよかったなあ。


(つびこんてにゅーど)

なぜそんなに自信たっぷりに言い切れるのか。

ひとつには、自然から与えられた安堵を感じられるから。

誰かが相手になってくれてると思いこむことで得られる安堵も感じられるし、

自然に、実は無視されてることからくる安堵も感じられるから。

これらのいくつかの現象と錯覚が安堵の上に安堵を重ねていく様を

しっかり実感できているから。実感している自分を確認できるから。



(つびこんてにゅーど)

やはりこの心地よさは俺に向けられたものじゃないんだ。

そう思うと、なぜかまた安らぎが深くなった。

不思議だ。なぜ自分に向けられた好意じゃないと思って安らげるのか。

自分の神経がよくわからなくなる。脳みそがないだけじゃなく、

神経回路もぶち切れてるんだろうか。

いや、そんな気はしない。なぜかそのへんには自信を覚える。

俺の神経回路は断ち切れてなんかいない。きっちりつながってる。


途方に暮れたまま俺は橋の上に立つ。

橋の上に立ち、足下を流れる川の流れの音を聞く。

脳みそがなくても耳がある、と思う。

心地よい。ひたすら気が休まる。

なぜだろう。

なぜ川の流れる音は俺をほっとさせてくれるんだろう。

俺はこれまで何か、川に何かしてやったか?

それとも川は、俺なんてぜんぜん相手にしてなくて、他の誰かを心地よくさせようとこんなしゃらしゃら心地よい音を常時させてるんだろうか。俺はそのご相伴にあずかってるだけ?

確かに俺は誰かが俺の相手になってくれてるのを感じる。

それは小さくとも確かに一個の意志を持った誰かで、川とか太陽とか地球の地面そのものとか、そんな自然の何かじゃないはずだ。

揺らぎ、動く、意思だ。



(つびこんてにゅーど)

さてと、そろそろ本気で決めなくちゃならないんだろう。

どっちに行くべきか。

なんてね。

強がったってしょうがない。

俺には行きたい場所なんてない。ずっとなかった。

どっちに行きたいか、まったくわからないまま生きてきたんだね。

それが現実だ。現実の俺だ。逃げようのない現実だ。

逃げる努力を怠って生きてきた俺の現実だ。

ここはどこ? 私は誰? ってやつだ。


今さら取りに行くくとさえできない。

脳みそだ。

忘れた。くれ。と言ったところで母親には何のことかもわかるまい。

ろくな人間にならない、と言い切った女なのだ。

もし持ってても寄越さないに決まってる。

ただ、見知らぬ他人を見る目で、何のこと? とか言うだけなのだ。


(つびこんてにゅーど)

だが別に俺は信じてるわけじゃない。

誰も相手にしてくれてなくても、実は一向にかまわないのだ。

俺が、誰かが俺を相手にしてくれてる、と思えることに意味がある。

たとえ実際には世界、いや、宇宙全体から見放されてたとしても、

俺がそう思わないことに意味があるんだ。


案外育ちがいんだな、お前。

とかなんとか思うやつもいるかもしれない。

俺なんてとてもじゃないが完全に世界、いや、宇宙から見放されてる

としか思えないぜ。だってそんな境遇なんだ、人生なんだ、とか言って。

お前なんか誰かが相手にしてくれてる? そんなふうに思えるなんて、

実はガキのころにしっかり誰かに相手してくれてたからなんだろ、

違うか?って。

 

そうかもしれない。もしあんたの言う通りなら俺は世界で一番の幸福ものだ。

たとえ実際には、世界、いや、宇宙全体が俺にそっぽを向いてるとしても。

とにかく俺は感じるままに感じるんだ。

誰かが俺の相手をしてくれてると。

たとえ365日、一切誰とも口を利かなかったとしても。


(つびこんてにゅーど)

誰かが相手にしてくれてる。

そんなふうに思えることは悪いこっちゃない。

なんかこう、腹が落ち着く、つうの?

ふっと息がつける感じ、つうの?


もちろんそんな安心できるような感覚になれるのは、

相手にしてくれてる誰かってのが、そっとどこで静かに俺を見てくれてるからで、

これがやたら鉄砲ぶちかますだけの警官や、やたら刃物振り回すだけのやくざ屋さんや、

やたらこぶし振り回すだけのボクサーや、やたらつかみかかってくるだけの相撲取りだったら、

まさかそんなに落ち着けるわけがない。息つく暇もありゃしない。


ありがとう、誰かさん。

俺はあんたに感謝する。感謝することぐらいしかできないから。


(つびこんてにゅーど) 

そうそう、生きてく場所どころか、行くべき場所さえわからねえ、って話だった。

いや、別に誰と話してるわけでもないんだがね。

でもこうして語ってると不思議なもんで、

誰かが俺の相手をしてくれてるような気になってこないでもない。


だったらどうだろう、俺は思い込んで生きていくことにしようか。


誰かが俺の相手をしてくれている。

誰かが俺を、まるで脳みそをちゃんと兼ね備えた生き物として見てくれていて、

相手をしてくれている。


そう思い込んで生きちゃいけないだろうか。


いけるいける。


だってなんだかそういう気分になってきてるもんな、すでに。とっくに。気づく前から。

ありがたや、錯覚。ありがたや、おめでたい性格。

ありがたや、こんな脳たりんに育ててくださったお母さま。


で、どこでどうやって生きていこうか。


(つびこんてにゅーど)