大学2年で中退。在学中に学生相談所で紹介された焼き肉レストランで数年アルバイトし、その後2・3か所でアルバイトしてから写植という職種に魅力を感じて10年働いた。そしてタクシー運転手に。
タクシーは忙しいようで暇で、そしてとにかく頭を使うということとは縁遠かった。写植屋にいたころと比べたら、働いていないに等しかった。それくらい自分というものを使わずに済む職種だった。
こうして結局、俺は「働かない人生」を選んだのだった。
18歳で初めてロック評論を書き、ハタチでロッキングオンというロック雑誌を刊行した渋谷陽一さんはその後、一度も立ち止まらなかった。数種類のジャンルの違う雑誌を刊行して大きなロックフェスも作り上げた。
自分にしかできないことをやり続けた、渋谷陽一さんはとにもかくにも「働いた人」だった。
何かを為そうとか、何かを残そうとか、そんなことよりもとにかく目の前にやるべきことがあればやった人だった。
そんな人の魂のど真ん中にあったのが常に「Rock」という音楽だった。
Rockのために働き、俺たちにRockを植え付けて、育ませた人だった。
ありがとうとしか言えない。