福山競馬場歴代所属騎手 【イントロ】

 

福山競馬場歴代所属騎手 【さ行】

 

 


さ行の現役騎手は、佐原秀泰騎手と下村瑠衣騎手の那俄性哲也厩舎の兄妹弟子コンビ。

 

ともに移籍騎手で、高知への再移籍後に色違いの勝負服を着用する2人の絆は、福山けいばがかたちを変え、今も息づいていることを実感させてくれます。

 

 

とりわけ佐原騎手のここしばらくの活躍はめざましく、全国各地の競馬場でレースに乗る姿が見られます。

 

また、下村騎手の廃止直前の福山への移籍には、無責任な外野があれこれ言う声を聞いたりもしましたが、福山で乗りたいと思ってもらえたことがファンとしてたいへん嬉しかったことでした。

 

 

高知と福山の名前を売り出す大活躍、ますます応援したいと思います。

 

 


(佐原秀泰騎手とカイロス[先頭] / 2013(平成25)年、3歳1組。ピントが合ってなさすぎてボツ作にしていた写真を発見。消さないで良かった!?)

 

 


一方、さ行のビッグネームといったら豪腕・鋤田誠二騎手でしょうか。

 

何といっても通算2,191勝は、生え抜きジョッキーの最多勝記録!

 

“ハングオン”と称された高速コーナリングはカッコ良かったですね~。

 


そういえば私の周囲の馬券オヤジたちは、他の騎手は名字で呼ぶのに、なぜか鋤田騎手だけは「せいじ」と呼んでいました。

 

父の鋤田久調教師の現役時を知るオールドファンにとっては、歴史の流れを実感できる、息子みたいな存在だったのかな。

 



(鋤田誠二騎手とイエローホーマー / 1994(平成6)年、第27回福山菊花賞)

 


鋤田久騎手だけでなく、さ行には他にもオールドファンが懐かしく思い出すだろう騎手が大勢いらっしゃいます。

 

昭和40年代前半にリーディングジョッキーを争ったのは、鋤田久・末廣八十夫・千同武治の“3S”でした。

 

ここに寺田忠、東森實など各騎手が加わり、し烈なリーディング争いが繰り広げられていたのですから、当時のファンが熱狂したのもうなずけるところです。

 

 


さ行には下村騎手のほかにもう1人、福山競馬場史上初の女性騎手の白津万里騎手の名前があります。

 

デビュー前から新聞やテレビの取材が殺到した白津騎手、注目されたことで良かったこともあったかと思いますが、気苦労が絶えなかったのではないでしょうか。

 

 

主な騎乗馬のうちのニホンカイジョオーは、アサリユウセンプーが勝った1991(平成3)年の第2回ローゼンホーマ記念当日の最終レースで3着に逃げ粘り、複勝で400円ちょっとの配当をもたらしてくれましたので、胡本騎手のミストスターと同様に個人的な思い入れで(笑

 

 


配当ということでいえば、周藤直樹騎手は私の福山競馬場での最高配当額をもたらしてくれた恩師(?)。

 

2013(平成25)年の第36回クイーンカップで、8番人気のラブミープラチナを2着に持ってきてくれて、馬連9,150円の高配当となりました。

 

 

「内々を我慢しながら立ち回れば、ひょっとしたら勝つところまであるかも」と予想したところ、経済コースをロスなく回って低評価を覆す好走を見せてくれたおかげで、ズバリ的中。

 

馬単なら万馬券でしたので、福山競馬場の万馬券を廃止までとうとう得ることのできなかった私にとっては、最も万馬券に近付いた瞬間だったといえるのでしょう。

 

 


調べていった中で興味深い成績推移を見せていたのは、末廣卓己騎手。

 

 

たいていの騎手は、キャリアハイがどの時期にくるかは様々ではあるものの、引退に向けて騎乗数も勝利数もゆるやかに減っていくものです。

 

ところが末廣卓己騎手は、1989(平成元)年までは勝率が8%程度だったのが、そこから引退までの5年で10%を超えるところまで勝ち星を積み重ね続けたのです。

 

 

その勢いを思えば、引退は惜しまれるところだったかもしれませんが、末廣八十夫調教師の跡を継ぐという至上命題があったはず。

 

怪物オールセンプーが引退したら自分も引退しよう、と決めていたのかもしれませんね。

 

 

 

【2019/2/2追記】

 


先月の『昭和40年代のスタンドと競走風景』で騎乗が判明した、坂元龍夫騎手を追記しました。

 

画像を見る限りでは、勝負服は「黄・黒左たすき」にも思えますが、このあたりはもう少し調べる必要があるでしょうね。

 


それと、面白い話を聞きまして、白津万里騎手がデビューする際、「目指せ父の500勝」という横断幕が張られたんだそうです。

 

つまり白津壽己騎手は、長くはない現役時代に500勝以上を挙げた腕達者だったのですね。

 

まあ、キクマサやダイサンミヤモトの手綱を任されたぐらいですから、驚くほどのことではないと思いますが!