今日は、1991(平成3)年3月24日に行われた第2回ローゼンホーマ記念のことを。

 

 

 

 

 

当日の福山エースです。

 

紙面上部にある「夢9ハロン!!北の大地へ届け“ローゼン讃歌”」のコピーがいいですね♪

 

何だか照れくさくもありますが、これはファンも関係者も、それこそ事務局の職員に至るまで、多くの人たちの共通の思いだったのではないでしょうか。

 

 

そして左側には、出走各馬の顔写真。

 

これがすごく良いと思うんです。

 

今だとスポーツ紙などに同じような例はありますが、当時はかなり先進的でした。

 

あの名物コラム「メイン直撃インタビュー」もそうですし、福山エースの“ファン目線”の紙面づくりは、今もって特筆すべきものであったと言えます。

 

 

さて、この年は佐賀で西日本アラブ大賞典が創設され、福山から参戦のグリンダイオーとキタノテイモオーが見事、ワンツーを決めていました。

 

遠征の2400m戦プラス中1週の厳しい条件では、グリンダイオーが回避するのもやむなし。

 

しかし、キタノテイモオーは元気に参戦です。

 

地元での前哨戦を快勝、1800mのレコードも持つトヨクラバイオー。

 

前哨戦はトヨクラに屈したものの、前の月に1600mレコードを樹立したばかりのアサリユウセンプー。

 

楠賞以降はグリンダイオーの陰に隠れてしまった感があっても、潜在能力は互角のムサシボウホマレ。

 

好メンバーがそろっていました。

 


レースは、アサリユウセンプーがダッシュ良く飛び出して、まさに影も踏まさぬ鮮やかな逃げ切り。

 

好位追走からしぶとく走り切ったムサシボウホマレが健闘の2着で、楠賞馬のワンツー。

 

マツダダンサーが3着でキタノテイモオーは4着、体調不安がささやかれていた1番人気のトヨクラバイオーは6着に沈みました。

 


ローゼンホーマの名を冠したレースは、2回目にしてその最良パートナー、那俄性哲也騎手が優勝しました。

 

名馬を記念して作られたレースで、その馬の主戦騎手が優勝するのは非常に珍しいケースだと思います。

 

他にはトウケイニセイ記念の菅原勲騎手ぐらいじゃないでしょうか?

 


私は、⑧アサリユウセンプーから、調教抜群③ムサシボウホマレ、応援馬②キタノテイモオー、鞍上で一発期待①マツダダンサーへの流し馬券に②-③を加えた4点で勝負し、ズバリ的中できました。

 

翌週には福山を離れる予定だったため、悔いを残さぬよう(?)朝から競馬場に張り付き、10レース中9レースを的中させたこの日の私は、まさに神懸かっていました。

 

しかしながら、よもやこれが馬券人生のピークになろうとは、この時点では知るよしもなく… orz