先日のような怒りに燃えている時というのは、その気持ちを試されるような出来事に遭遇するようです。決して求めて行ったわけでも、そういうことが好きなわけでもないのですが、目の前で起きてしまったのです。



それはとある手芸用品店でのことでした。店内で15分間だけのセールがあるというのでこれは行かなきゃと急ぎました。その途中、二人のお店の関係者がお客さんに絡まれているのが目に入りました。あらまあ気の毒に。とはいえ普通に通り過ぎますよね。



無事セール品をゲットして戻ろうとすると、まだ二人は絡まれています。相手はタチの悪そうな男。その男がすごんだ時に一人が逃げようと動いた瞬間、あろうことか男はそちらに近づき、二人は引き離され、一人は恐怖のどん底です。もう一人の女性も固まって動けません。



私、一度はその場を通り過ぎたものの、誰かが何かしなければ変わらないかも。



気が付くと、「すいません、その方にお聞きしたいことがあるんですが」と、男に話しかけていました。心臓はバクバクです。



「そっちに聞きゃあいいだろ」、というので、「はい」と、ケータイを持ったまま固まっている女性を確保し、私の身体の陰で店長さんに連絡をしてもらいました。その時もう一人の女性はどうやら講師の方だというのがわかったので、連絡がついたのを確認し、男に向き直り、「やはりその先生じゃないとだめなんです。先生にお聞きしたいんです」「先生、お聞きしたいことがあるんですけど」と続けました。とにかく怯えきった女性をその場から救い出さなきゃ。



先生は、会ったこともない私から先生と呼ばれ困惑しながらキョトン。



男は何を思ったか「お前いくつだ」と聞きました。そういえばさっき先生にもその質問を繰り返していましたっけ。何かあるんですかね。



素直に答えたくもなかったので、「あなたより年上よ」、と答えました。二度目はゆっくり。



その瞬間空気が変わりました。



どうやらそいつは自分より弱いものを徹底的に追い詰めるタイプのようで、相手が自分より上だとビビるみたいです。「年上よ」が効いたとは。



店長も到着してちょっと野次馬が数名足を止めたこともあり、スキを見せて緊張が緩んだ時に「こっちへ」と、女性を売り場の陰に保護して抱きしめてあげました。



先生は恐怖から解放され、しゃくりあげるように泣き、気丈に連絡をいれた女性の目から大粒の涙が幾筋も流れました。



へんな男です。手芸店と言えば女が多いところですから、もしかしたら最初からいちゃもんを付けるために店に入ってきたのかもしれません。とんだ事故です。二人は何も悪いことをしていないのに心理的に大きな傷を負いました。



ただ、違和感を感じたのは、それだけのことがあったのに、お店の方がだれも大丈夫?という声かけをしなかったこと。そのあと椅子のある所に移動したのですが、付き添ったのも私なら荷物を運んだのも私。これはよく見かける「駐車場内でのトラブルに当方は一切責任は負いません」のような掲示板と同じと見なされるレベルなのかな。



あるいは、自分の持ち場を守ることに必死で、そばで起こっているトラブルには関心がないのかしら。



すっかり暮れてしまった帰路を急ぎながら胸はまだバクバク。小さな事件でしたが私としては持てるだけの勇気を振り絞った大きな事件簿でした。それにしても年が1番の決め手になったとは複雑です。トラブルはいつでもどこにでも起きますが、やっぱり平和がいいです。

武装組織によるフランスの大規模テロに強い怒りを感じます。



人の命を奪うことにどんな理屈も理由も通用しません。



仕事柄、海外に目を向け、違う文化を持つ人達を理解しようとか、つながることの楽しさを伝えたいと思ったりとか、海外へ飛び出す生徒たちを見守ることも多いですから、生徒達の活躍したいと思う場や、夢を実現したり、世界を広げたいと思う場が危険な場となってほしくありません。



世界は若者たちが夢を実現する場であってほしいと思います。



なぜ、自らの大切な命を自爆で奪ってしまうのでしょう。それも理解できません。生まれてきたからには存在する理由があるし、生きる自由があるはずです。人生をもっと有意義に、楽しかく幸せに生きる権利があるはずです。



まだ何もわからず、何もできなかった若かりし頃、「乙女の頃」と言い換えても良いかしらね。てへ。あの頃私は本当にいろいろな人に助けられました。無償の真心に触れ、とても感動したことが沢山あります。あまりに未熟ゆえに、お礼を返すことなどとてもできませんでした。歯がゆい思いがありました。けれど、それだけに、できる立場になった時に、同じように人にやさしくしてあげよう!と誓いました。



人から大事にされたり、暖かくされると、冷えていた心は溶けてしまいます。



残念なことに、攻撃したり、自爆したりする人たちは、ひょっとしたら、暖かくされたことがなかった人たちなのか、と思います。気の毒なことです。破壊することは簡単だけど、創造することは大変なこと、暖かい愛を知ってほしい、と思います。



知人のフランスの方は、自国のこんな凄惨な事件を見ながらも、シリアからの難民がより厳しい立場になっていくのではないかと心配されていました。「憎しみをえることはできない」と訴えた遺族の方の意見と重なりました。



自分では何もできません。怒りを自分の胸の中に燃やしていることしかできません。臆病かもしれません。ただ、絶対に間違っている。世界は良い方向に向かうべきだし、未来を生きる子供たちのために、良い方向に向かう努力をしなければいけない、と思います。



私ができることは、人と人をつなぐ道具として英語という言語を教えること。幸せのため、平和のために役立てられるよう、微力ですが続けたいと思います。

日本語と英語では使う筋肉が違います。




良い発音をするには、英語に使われる筋肉を、意識して動かすことです。
当たり前かもしれません。でも、生徒たちにいくら言ってもその発音にならないのが悩みの種です。



たとえば、wの音。waterは日本語のウオーターでは弱いのです。思い切り口をとんがらかしてウと言わなければ伝わらないのですが、日本語にその音がないので言っても言っても言えないのです。いつも使っていなければ、その筋肉を動かすことはできません。だけど言わなきゃ伝わらないし。伝わる英語にしなきゃいけないし。



解決策の一つは口周りと頬の筋肉を鍛えること
それは表情筋です。
表情筋を鍛えるということは表情が大きく豊かになるということ。



とかく表情が乏しくて何を考えているのかわかりづらい、というより誤解を受けやすい日本人にとって、表情を豊かにするということは言葉を話すと同じくらい大事なことです。



それを繋げた発音とセルフエステの講座がありました。



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小川直樹先生とセルフエステの超絶世の美女、出口アヤさんとのコラボ。
いつもながら小川先生の楽しい講座。そして驚きの連続。目からウロコがポロポロです。



お顔のエクササイズ。
エステをする前に写真を撮り、終わってから写真をとりました。



ぜんぜん違う!顎の線がスッキリしてリフトアップ。
別人ですーーーいやいややっぱり私ですけど(笑)



それから毎日セルフエステ。
口輪筋、大頬骨筋、小頬骨筋をせっせせっせ。
肌も明るくなった気がします。
血行が良くなって老廃物が掃除されたせいでしょうか。



生徒のためと思いつつ、自分のためになった講座。



はて、発音は良くなったかしら(笑)

嬉しいこと、楽しいこと、素敵なこと、いろいろなことが次々と起こった10月。



皆様はいかがでしたか?きっと盛りだくさんの行事で忙しく過ごされたかと思います。



私も毎日いろいろあったのですが、残念なのは書かないうちに記事が古くなってしまったこと。



たとえば、佐倉のふるさと広場、コスモスの最終に間に合いましたが。。。今はもう遅いかな。



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「摘み取り100円」とあったので、下の株を掘っていきましたら、これは花が少ないからお金が取れないよ、といって50円返してくれました。なんて良心的!ありがとうございます。我が家で細々咲いています。



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成田空港ボランティア観光のコースに多古があるので、下見に行ってみました。多古と書いて「たこ」と読みます。多古で生産される多古米はかつて日本一に輝いたこともあるそうで、この道の駅で売っている卵の太巻きずしは絶品です。



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渡り鳥がもう飛来しています。





日蓮宗の本山。1319年建立というので、ざっと700年前からあるお寺。



「日本寺」とかいて「にちほんじ」と読みます。



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千葉にも隠れた古い名所があるのですね。この日はこの本堂で、平家物語を語るイベントが行われていました。深い歴史を感じます。



でも、道の駅から徒歩40分。迷いながら坂道往復2時間はきつー。個人で行くのはいいけれど、観光案内はちと遠慮したいですね。



6月はアジサイが岸辺を彩りますが、日がどんどん短くなる秋。家路を急ぎました。



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記事が古くなってもボチボチ書いていきたいと思います。ボチボチご一緒して下さいね。今日もお付き合いいただいてありがとうございました。

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楽しい!



嬉しいことに彼女は、私が持っていた案内板を見て、カウンターに行き申し込んだのだそうです。



ツアーを十分に楽しんでくれた様子の彼女は熱く語ってくれました。
もしその案内板に気づかなかったら!もし目の前のポスターを見なかったら!もしもカウンターに行かなかったら…、こんな楽しいことはなかったかもしれない!と



しかも!彼女が日本に上陸して一番最初に何気なく撮った写真の中に、案内板を持った私が写っていたのです!なんとまあ光栄な!帰り道はウキウキでした。



世の中には何歳になっても、新しい出会い、新しい経験、新しい驚きがあるものですね。



そっか、驚きというものはひょっとして、年齢に関係なく、いつでもどこにでもあるものではないのでしょうか。本当はきっと太古の昔から遠い未来に至るまで、尽きることなく無数にあったしこれからも無数にあるのでしょう。私たちはこの短い一生の中で一体いくつの驚きに出会い、気づくのでしょうか。



彼女が言うように、気づいたら大きな喜びに出会うこともできるのです。年をとったからといって驚きがなくなるわけではないのでしょう。それに気づく心があるかどうか、なのかもしれません。



大切な大切なことを教えてもらった気がしました。