改めて思うこと | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

おはようございます。

昨日は昼前に飛び込みで仕事のヘルプの連絡が入り、心の準備(笑)があまり出来ていなかったのですが多少予測はしていたので快諾してお仕事に行ってきました。

一昨日、翌日のスタッフの確認していて人数足らないんじゃね?と思っていたので想定内でもあったわけでして。

本日も午後からお仕事です。

だーさんはネガティブ思考だから「いいように使われてるんじゃないか」と考えるけれど、私の考えとしては「困った時はお互い様だしその分稼げるやん♪」と前向きなわけで。

私もまだ下積みの身分だから精神的に緊張状態が続いています。
肉体も心も早く慣れたいんですよねー。
人間関係の確立も暗中模索だし。

でもね、だーさんのうつ病をきっかけに自分自身のことも色々と省みる事が出来たんです。
私も良い人と思われようとしていたこととか、人を観察してココロを探る癖があるとか、高圧的な人間がとても苦手な事とか、傷つきやすいとか。

だから共依存になっちゃったわけですけどね。(笑)

だーさんの為じゃなく自分のためにカウンセラーさんのブログを読んだり、病気の人、家族の人、それぞれの思いの内を読んだり、自助グループに行ったりして、気付かされた事が沢山ありました。

私は昔から自分のことを明るいフリをしている根暗って思っていたのだけど、それって根暗な自分を人に見せたくなかっただけなんだなぁと気付いたりもして。
明るい自分も自分だし、根暗な自分も自分なんですよネー。
全部ひっくるめて私なんだなって思えるようになりました。

今の仕事もね、結構遣り甲斐あるんです。
特殊な仕事だから色々難しい部分はあるけど、私の視野を広げてくれるし勉強にもなる仕事。

人もね、いい人たちばかりです。
でも、私は元来人見知りだから、早く溶け込めるようにちょっと無理してます。

いい人だけど「私のやり方は正しい」と思ってる人もいます。
昔だったらなんだかちょっと不愉快な気分になったりしたけれど、今は客観的な目で見られるようになりました。
また、そういう人って大概気が強くて口調がキツいので正直に言えば少し苦手で。
でも、今までだったら無意識に自分の敵のように感じて距離を置いてなるべく関らないようにしてきたけれど、今は良い部分をみつけて褒めたり出来るようになってきました。

うつとの遭遇によって辛く、苦しく、悲しい思いもいっぱいして失ったものも色々あったけれど、得たものもあったんだなと思います。

希望を持とうと思いながらも、心の中では希望もへったくれもないじゃないかってずっと思っていました。
でも、今は少しずつ、一歩ずつ前進しているんだなって思えます。

これからも時々は希望もへったくれもないじゃないかって思う事もあるかもしれないけれど、前に向かって進んでいきたいです。


本日もご訪問いただき有り難うございました。^^