だーさん会社に行く、それと所信表明みたいなやつ? | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。顔

2013年のお正月明け。
だーさんは会社に行けなくなりました。
あれから丸2年です。

その前から体調は崩していたけれど、うつ病の起爆ボタンが押されたのは多分あの日だったのだろうと思っています。

今日から3年目。

正直、私は少し心配でした。

前日から緊張を隠せなかっただーさん。
なかなか寝付けずにいたし、時間が過ぎていくにつれ言葉数も減っていき、うなだれる時間も多くなっていました。

以前までの私であったら、大丈夫?って何度も聞いていたと思います。
それは、だーさんが心配だからというのもあったけど、私自身が心配だったからだったのだろうと思います。
けれど、昨日はあえて声はかけず、時間の流れるまま見守っていました。

私は多分、見捨てられ不安に陥るだーさんに対して、『私はこれだけだーさんの事を心配しているんだよ』と態度に表すことでだーさんを安心させてあげたかったのだと思うのだけれど、逆を考えれば私自身がだーさんに見捨てられる事を恐れていたのかも知れません。

これが共依存のメカニズムというやつです。うさ。

だーさんが

「寝ようっかー」

という時を待ち、一緒に寝室に入りました。

だーさんは眠剤を飲んだ後も部屋の電気を付たままスマホを触っていたけれど、私は何も言わずに見守りました。

前だったら

「電気消した方がいいんじゃない?」
とか
「寝る前はスマホいじらないほうが良いらしいよ」
とか言ってました。

大きなお世話ですよね。(笑)


先に少し寝ていた私だけれど、母性というんでしょうかね。(笑)
だーさんがベッドから這い出ると目が覚めるんです。

居間に行き、どうやら例のお酒をちょこっとラッパ呑みしていたような雰囲気や、一服している雰囲気を感じていましたが、それはそれで良いかと何も言わないで寝ていました。

ベッドに戻ってきた時、一言

「眠れないかい?」

って声はかけたけれど。

今朝、私は6時より少し前に目覚めました。
だーさんは寝息をたてて寝ていました。

私は、一通り朝の準備をし、ゴミ出しをし、タバコを買いに行きがてらに10分ほど散歩をしました。
日の出の太陽と、冷たい空気は脳みそをリフレッシュさせてくれます。

だーさんは、ギリギリまで寝ていました。
朝7時に起きてきて、歯を磨いてお薬とサプリを飲んでまた居間で横になり、

「あと、10分」

「あと、5分」

それを繰り返し、そのたびに

「20分だよ、30分だよ」

って声をかけました。

「会社、どうする?」

そう聞くと

「行く」

と答えました。

ギリギリになり

「ローザちゃん~眠いよぉ~~~~~眠いよ~~~~」

と甘えるだーさん。

私は、小さな子どもを世話するように着替えを手渡し、カバンとメットを用意し

「気をつけていってらっしゃい」

と見送りました。

私は、自分でもどこまでが手を出して良い範疇なのか、どこからが共依存なのかわからなくなっている部分はあります。

自分を犠牲にしているつもりはないけれど、だーさんのためにならないことをすることは良いことではない。
けれど、どこからがだーさんのためで、どこからがだーさんのためではないのか、自分で見分けがつかなくなっています。

だーさんが抱えているAC思考や発達障害ゆえの思考とどう折り合いながら接していくことがベストなのか、私はいまだ暗中模索なのです。

でもね、ここのところODとリスカはありません。
あ、リスカっぽいことはあったけれど。

私からしてみたら『ほんの些細な事』であっても、だーさんによっては些細ではない事ゆえにODやリスカに繋がってしまうのだと思います。
見極めはとても難しいのです。

今年は私自身の『精神的自立』を目標に頑張りたいです。頑張る

そう言いながら、今年もウダウダと弱音を吐くとは思いますが・・・・。
改めまして、本年も宜しくお願いいたします。ぺこり



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