藤井龍二「ロングセラー商品誕生物語(12)」 | ロロモ文庫

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キューピーマヨネーズ

明治38年、水産講習所の学生・中島薫一郎は日光のホテルで英語の勉強を兼ねてアルバイトをしていた。明治42年、小さな缶詰食品問屋に入社した。薫一郎を尋ねる東武電鉄のギル。「これからは日本国内だけでなく欧米相手に仕事する時代だ。私と一緒にイギリスで仕事をしよう」当時、海外で勉強するためには農商務省の海外事業練習生と言う試験に合格するのが早道だった。

大正元年、薫一郎はイギリスに到着するが、第一次世界大戦が激化してきた。「これでは何もできなくなる。アメリカに行こう」大正五年、アメリカ。「アメリカ人はマヨネーズをかけてよく食べている。ゆでたジャガイモと卵や玉ねぎにマヨネーズを和えてもいけるぞ。アメリカ人が大きいのは、こんな栄養のあるものを食べているからだ。植物油と卵と酢でできたマヨネーズは栄養のあるソースだ。日本で作ってみよう」

大正5年帰国。「若い女性も地味な着物姿だ。洋風化はまだまだだ」大正7年「中島商店」を設立。翌年、食品製造業「食品工業」を設立。「マヨネーズを作る時期を待とう」大正12年、関東大震災。復興は急速に進み、東京の街は一気に洋風化していった。「女性が洋服を着るようになったぞ。今だ」

大正14年、初めての国産マヨネーズの製造販売を開始。薫一郎は大正8年に「キューピー」を商標登録していた。これは当時人気のあった人形からつけたものだった。薫一郎の作ったマヨネーズは当時アメリカで作られていたマヨネーズの2倍の量の卵黄を使った黄身タイプのコクのあるものだった。

太平洋戦争勃発。「卵や油が不足だ。質の悪いマヨネーズを作ればキューピーの名にキズがつく。製造は中止だ」昭和23年。「卵も油も手に入るようになった。よし、製造再開だ」昭和32年、「食品工業」から「キューピー株式会社」に改称。翌年、ポリエチレンボトル容器を開発。現在では酸化を防止する多層構造になっている。

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