落合博満は秋田工から東洋大学へ進学しますが、大学を中退し、社会人野球・東芝府中のセレクションの受験を合格し、入社2年目の1975年に四番に定着し、翌1976年に東芝府中は創部23年目で初の都市対抗野球出場を果たし、翌年以降も、都市対抗に日本通運・電電東京の補強選手として3年連続で出場し、1978年ドラフト3位でロッテに入団します。
1980年は5試合連続本塁打のイースタンリーグ新記録を達成して、後期より一軍に昇格し、同年は15本塁打を放ち、1981年は開幕から先発として起用され、シーズンでも初めて規定打席に到達し、打率3割2分6厘で首位打者のタイトルを獲得。1982年は三冠王で獲得したが、チームがBクラスながら、最優秀選手にも選ばれます、
1983年は3年連続首位打者を獲得し、1985年は打率3割6分7厘、52本塁打、146打点の成績で2度目の三冠王を獲得した。打率3割6分7厘は当時の右打者歴代最高打率記録、52本塁打は当時のパ・リーグタイ記録、146打点はパ・リーグ記録で、日本記録となる得点圏打4割9分2厘をマークします
1986年は2年連続で3度目の三冠王を達成(打率3割6分0厘、50本塁打、116打点)。通算三度の三冠王は日本プロ野球界におい落合のみで、2年連続50本塁打はプロ野球史上初でしたが、シーズン終了後の12月23日に牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手との交換で、中日へのトレードが決定します。
1987年には、リーグ3位の打率3割3分1厘を記録し、1988年は32本塁打、95打点(共にリーグ2位)でチームの優勝に貢献しますが、打率は2割9分3厘とレギュラー定着以降初めて3割を割り、1989年は打率3割2分1厘、40本塁打、116打点の成績を残して打点王を獲得。両リーグ打点王は史上初で、8月12日の巨人戦では、9回一死までノーヒットノーランを続けていた斎藤雅樹から、逆転サヨナラ3点本塁打を放ちます。
1990年は34本塁打、102打点で二冠を獲得し、両リーグ本塁打王は史上初。1991年は打率3割4分0厘、37本塁打、91打点で本塁打王を獲得し、1992年は22本塁打、71打点の成績で、1984年以来の獲得タイトルなしに終わり、1993年は5月7日の横浜戦で、史上初の両リーグ200本塁打を達成し、同年オフ、巨人に移籍します。
1994年は不調に苦しみながら優勝に貢献し、1995年は打率3割1分1厘、17本塁打、65打点を記録し、4月15日の阪神戦で通算2000安打を達成。1996年は史上7人目の通算500本塁打、史上7人目の通算1500打点を達成して。同年オフに日本ハムに移籍します。
1997年は大杉勝男に次ぐプロ野球史上二人目の両リーグ1000安打を達成しますが、打率2割6分2厘、3本塁打、43打点に終わり、1998年は後半戦ベンチを温める機会が多くなり、この年限りで現役引退し、通算2236試合に出場して、3割1分1厘510本塁打1564打点65盗塁をマークしたわけです。
10位は119試合に出場して3割3分2厘25本塁打75打点6盗塁だった1983年。
9位は120試合に出場して2割9分3厘32本塁打95打点3盗塁だった1988年。
8位は129試合に出場して3割1分4厘33本塁打94打点8盗塁だった1984年。
7位は127試合に出場して3割2分6厘33塁打90打点6盗塁だった1981年。
6位は131試合に出場して2割9分0厘34本塁打102打点3盗塁だった1990年。
5位は128試合に出場して3割2分5厘32本塁打99打点8盗塁だった19822年。
4位は112試合に出場して3割4分0厘37本塁打91打点4盗塁だった1991年。
3位は130試合に出場して3割2分1厘40本塁打116打点4盗塁だった1989年。
2位は123試合に出場して3割6分0厘50本塁打116打点5盗塁だった1986年。
1位は130試合に出場して3割6分7厘52本塁打146打点5盗塁だった1985年となるわけです。