藤井龍二「ロングセラー商品誕生物語(9)」 | ロロモ文庫

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セロテープ

明治半ば、歌橋又三郎は日本橋に「歌橋輔仁堂」と言う薬局を開設していた。「歌橋さん、ピック氏硬膏と言うものを作ってもらえないか。ピック氏硬膏と言うのは皮膚病に使う膏薬だが、品質が不安定のため、いいのを探しているんだ」仕事で知り合った東京大学の土居博士からピック氏硬膏の試作を依頼された又三郎は息子の憲一ともに、ピック氏硬膏を完成させた。

大正7年、憲一は品川に歌橋製薬所を設立した。その頃、アメリカからゴム絆創膏が輸入された。「これはピック氏硬膏と同じ製造方法でできそうだ」ゴム絆創膏は1890年、アメリカのジョンソン&ジョンソン社で開発され、日本でも明治時代、陸軍により研究され作られていた。「ゴムを溶液で溶かし、人工的に乾燥させればいい」大正9年、絆創膏を発売すると大いに売れた。

大正12年、関東大震災発生。陸軍大将が緊急用に絆創膏を全部買いたいと、憲一に申しでる。昭和に入ると新しい技術を開発し、絆創膏の品質も向上。次々と新製品を発表し、歌橋製薬所は日本一の絆創膏メーカーとなっていた。時代は戦争へ突入し、昭和19年、歌橋製薬所が軍需工場となる。国の企業整備令により、全国24の絆創膏メーカーが歌橋製薬所に統合され、名称も「日絆工業株式会社」となり、憲一が社長に就任した。

昭和22年。「社長。こんなセロハン粘着テープが欧米で人気だそうです」セロハン粘着テープはアメリカのスリーエム社が開発したもので、自動車の塗装に使われていた。「懐かしいな。ウチも10年前考案し、軍に納入していたぞ。あの当時は一般的に受け入れられないろ思い、それ以上開発しなかった」「でも、これなら絆創膏の技術を使えば容易です。やりましょう」「よし。アメリカに負けない製品を作ってやろう」

昭和23年「セロテープ」発売。ディスペンサーも同時に開発。最初は新しい商品のためまったく売れなかったが、1年後、紙や布の粘着テープが売れ出すと「セロテープ」も認知されはじめた。昭和28年、文具界で人気となりボールペン、マジックとともにセロテープは三大文具と言われるまでになった。昭和36年「ニチバン株式会社」となる。セロテープは現在も文具の必需品として不動の人気を保ち、年間7000万個の出荷がある。

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