2024年6月逝去有名人ベスト10(日本人) | ロロモ文庫

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10位は埼玉県出身の騎手でJRA通算7637戦383勝の戦績を残し、重賞勝利5勝で、重賞初勝利はニホンピロプリンスに騎乗した1996年のマイラーズカップだった6月1日に亡くなった1974年生まれの小林徹弥。

9位は東京都生まれの建築家で、代表作は千葉市の「幕張メッセ」(1989年)、東京の「代官山ヒルサイドテラス」(1969年)、「スパイラル」(1985年)、「京都国立近代美術館」(1986年)である6月6日に亡くなった1928年生まれの槇文彦。

8位は主なポジションはスクラムハーフで、日本代表キャップは12で、日本代表の主将も6年経験し、1952年のオックスフォード大学戦では、兄の英明と共に日本代表初キャップを兄弟で同じ試合で出場し、獲得するという日本初の快挙を達成した6月2日に生まれた1932年生まれの土屋俊明。

7位は東京都大田区出身の作家で、代表作は芭蕉忍者説の流布に貢献した最初の作品とされる「奥の細道殺人事件」である6月15日に亡くなった1933年生まれの斎藤栄。

6位は1994年、「鴎…カモメ」でデビューし、1996年、第六回NHK新人歌謡コンテストで「女の漁歌」を歌い、グランプリ受賞し、その年の第47回NHK紅白歌合戦に出場した6月6日に亡くなった1973年生まれの門倉有希。

5位は浪商高では1966年に夏の甲子園大阪府予選準々決勝に進出しますが、再試合の末、北陽高に敗退し、進学した明治大学ではリーグ通算75試合出場し、262打数79安打打率3割0分2厘1本塁打23打点。ベストナイン3回の実績を残し、卒業後に日本楽器に入社し、1971年から2年連続都市対抗野球に出場し、1972年の都市対抗では左翼手、4番打者として起用され、チームは初優勝を飾り、1972年ドラフト7位で中日に入団し、4試合に出場して3割3分3厘0本塁打0打点をマークした6月5日に亡くなった1949年生まれの辻哲也。

4位は大阪市生まれの作家で、「狂躁曲」でデビューし、同作は1993年に崔洋一監督により「月はどっちに出ている」として映画化され、「血と骨」で第11回山本周五郎賞を受賞し、同作も崔洋一監督によりビートたけし主演で2004年に映画化された6月29日に亡くなった1936年生まれの梁石日。

3位は前名の桂朝丸時代に日本テレビ製作のワイドショー「テレビ三面記事 ウィークエンダー」でリポーターを務めた6月12日に亡くなった1947年生まれの二代目桂ざこば。

2位は1947年に「四つの恋の物語」で映画デビューを果たし、1950年の映画「また逢う日まで」で、日本映画ではタブーだった接吻のシーンを窓硝子ごしのクロースアップで演じ、1989年の映画「ゴジラvsビオランテ」では女性官房長官役で出演した6月9日に亡くなった1931年生まれの久我美子。

1位は東北高から1956年に毎日オリオンズに入団し、1964年にマイク・ソロムコと交換で阪神タイガースに移籍し、1975年に安仁屋宗八との交換で広島東洋カープに移籍し、1975年は先発ローテーションの谷間を埋めてカープの初優勝に貢献するなど、通算628試合に登板して121勝120敗2セーブ防御率2.71をマークした6月3日に亡くなった1937年生まれの若生智男となるわけです。