長良川を救え（中）
鮎子に聞く小泉。「長良川がどうして死ぬなんて言うのかね。こんなに鮎がいて、とても豊かな川じゃないか」「この川の本当の価値を知っている人間から見れば、もう半分死んだようなものよ。ただ水が流れているだけじゃ、川は生きていると言えないのよ」「むう。こうして釣りをしても、長良川は特別に変だとは思わないが」
小泉に聞く山岡。「この釣友会の目的は何ですか」「海や川の自然を楽しむのが第一。釣果はその次だ」「じゃあ釣り堀なんかで例会を開くことはないんですか」「あるわけない」「へえ、長良川と釣り堀とどう違うんですか」「え。長良川と釣り堀が同じと言うのか」「その通り。長良川だけじゃない。鮎について言うなら、日本の川はほとんど全てが釣り堀です」「ぬう。どういうことだ」
説明する山岡。「本来、川で生まれた天然の鮎の子供は、秋に海に出て、冬は水温の高い海で過ごし、翌年の春に川に戻る。ところはこの天然遡上の鮎がどの川も減ってしまって、外部から鮎を持ってきて、放流しなければならなくなった。放流する鮎で一番多いのは、琵琶湖で捕らえた仔鮎を大きく育てたものだ」
「早い話が日本中のどの川に行っても、釣っている鮎の大半は琵琶湖産の鮎なんだ。長良川はそれでも天然遡上の鮎が多いが、鮎子さんが今見せてくれた通り、放流の鮎の方が多い。この川で生まれ育ってない鮎を放流する。それを釣る。これが釣り堀とどう違うんですか」「ぬ、ぬう」「私、仕事があるから失礼するわ。鮎を釣るだけじゃなく、長良川のこともたまには考えてね」「ぬ」
そこに到着するマイクロバス。「川産料理「長良味」でございます。お迎えに上がりました」「やあ、沢井さん。わざわざすみませんね」「あら、虎男さん。今日のお客様はこの方たちだったの」「鮎子さん、どうして、皆さんと一緒にいるの」「え。ちょっとね」「さて、皆さん。鮎釣りの楽しみを満喫されたところで、次は長良川の味を堪能していただきます」「おう、いいね。長良川の味と言うのが嬉しいじゃないか。何を食べさせてもらえるのかな」「それは食べるまでのお楽しみ」
「お二人はお知り合いなの？」「はあ、実は」「一応、来年結婚することになってるのよ」「まあ、そうだったの。じゃあ、お仕事と言うのは、沢井さんのお店のお手伝いを」「鮎釣り名人の娘と川産料理の調理人が結婚するとはめでたいねえ」「ちっともめでたくなんかないのよ。今のままじゃ結婚できるかどうか」「あら、どうして」「……」
長良味に到着する一同。「川魚料理と言うのはよく聞くけど、川産料理とは初めて聞くな」「ええ。川魚だけでなく、川で取れる産物全部使って料理したいと思いまして」「今日は沢井さんに特別にお願いしてます。折角、長良川に来たんだから、鮎の他に長良川ならでは、と言うものを食べさせてもらおうと言う訳です」
「そりゃいい。で、長良川ならではと言う食べ物とはなんだい」「しじみです」「それから？」「ですから、しじみを」「山岡、まさか」「今日はしじみしかないんです」「ぬう。何が長良川ではだ。しじみなんかどこでも食える。山岡、私に恥をかかせようと言うのか」「論より証拠。食べてみればわかります」
沢井の作る、しじみのぬた、しじみとレタスのサラダ、しじみのチャウダー、しじきと三つ葉のかき揚げ、しじみコロッケ、しじみの炊き込みご飯、しじみの味噌汁を堪能する一同。
一番大事なことは長良川のしじみを使うことだと言う沢井。「長良川の河口、海水と淡水の入り混じったいわゆる汽水域でなければ、いくら調理法が正しくても、この味は出ません。長良川のすぐ隣を流れて、同じ伊勢湾に注ぎ込む木曽川でもしじみは取れますが、味は長良川の方が美味しいんです」「へえ、木曽川と長良川はすぐ隣なのに、そんなに味が違うものなの」「そこがなんとも自然の不思議なところです。わずかな環境の差が味に大きな影響を及ぼすのです」
しじみ料理に感銘を受ける釣友会一同。「しじみをバカにして実に恥ずかしい」「しじみがいかに大した食べ物であるか、よく勉強させていただいた」「しじみの素晴らしさを発見させてもらった」「長良川まで来たかいがあったと言うもんです」「鮎子さん、沢井さんの料理の腕は大したもんだ。この店は繁盛間違いなしだ。結婚しても大丈夫ですよ」
しじみを手にして呟く鮎子。「こんな小さな生き物が全てを物語ってるのね」「え」「私たちと一緒に来てくれませんか。見て頂きたいものがあるんです」呟く山岡。「俺のしようと思ったことを、鮎子さんが」
あれを見てくださいと言う鮎子。「あれのおかげで、私たちの結婚が簡単に行かないんです。あれは長良川のしじみを全滅させる。しじみだけじゃない。鮎も白魚もさつきマスも。長良川は死ぬ」「あれは。あそこに見える巨大で悪魔の要塞のように見えるものは？」「あれこそ、長良川を殺すもの。長良川河口堰」