作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(83)」 | ロロモ文庫

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おせちと花嫁

九州場所で優勝した若吉葉のお祝いに山岡と栗田を伴って、島高部屋に行く大原。「若吉葉関は今年3回も優勝した。もう押しも押されぬ大横綱だよ」「おかげさまでなんとか一人前なれました」「次は嫁取りだな」「大原さん、そのことでお願いがあるんです。実は若吉葉に縁談がいくつもありまして、最終的に二人の花嫁候補が残りました」「ほう」

「二人ともいい家のお嬢さんで甲乙つけがたいんです。一人は大きな料亭の娘さん、もう一人は材木問屋の娘さん」「そりゃたいしたもんだ」「こっちも目移りしちゃって。そこで大原さんどっちがいいか決めていただきたいんです」「私がかい。それは大役だな」

ううむと唸る大原。「何を基準にすればいい。横綱の奥さんは将来、横綱は引退して親方になった時、部屋を切り盛りしなければならない。それには単に器量がいいとか、芸事ができると言うのではだめだ。周到な心遣い、気配りのできることが必要だ。料理も上手くなくてはいけない」

そうだと呟く大原。「もうじき正月だ。2人におせち料理を作らせればいい。それで料理の腕がわかる。それにおせち料理は、いろいろな料理を取り合わせなければならない。お重を何重にするか、一つ一つのお重をどう演出するか。それを見れば、その人がどれだけ心遣いの行き届いた人かわかる」「それはいい。若吉葉、それでいいな」「は、はい」

若吉葉に聞く栗田。「先程、お茶を持ってきてくれた女の方はどなたですか」「部屋つきの呼び出しで、今は亡くなられた千吉さんの娘さんで澄子さんです。私が入門したのと同じころから部屋で働いてくれてます」「親方、澄子さんは花嫁候補にはならないんですか」「え。死んでしまった呼び出しの娘で、身寄りもないからうちの部屋に置いているんです。横綱の嫁になれる立場じゃないし、器量の方もちょっと」「まあ」

築地場外市場を取材する山岡と栗田。「凄い人出ね」「これで29日を過ぎたら、もっとすごくなる」「あ、あの豆問屋にいる人。この間、島高部屋にいた澄子さん。こんにちは、お買い物ですか」「あ、東西新聞の方」「黒豆?ああ、おせち料理の」「ええ。でも、うまくいかなくて。おかみさんに任され三年目なんですが、二年とも失敗でした。皮にシワが入ってしまて、うまく出来上がらないんです」「黒豆を煮るのは難しい。教えてあげましょう」

岡星に澄子を連れて行く山岡と栗田。「昨日、お預かりした黒豆です。一晩、水につけておきました」「澄子さん、今日から五日間通ってください」「はい」「皮が裂けた豆は取り除いてあります。そのまま煮ると、全体の仕上がりが汚くなりますから」「黒豆の色素はアントシアン系の色素で、金属イオンと結びつくと、キレイに発色する。だから鉄鍋で煮るか、或いは釘と一緒に煮てやると、いい色に仕上がるんだ」「そうなんですか」

「30分ほど経って、沸騰した頃に水をいれてやる。これはビックリ水と言う。黒豆は中味が固いので、煮ると先に皮が膨らんで、シワがはいってしまう。そこで冷たい水を入れてやると、皮は縮もうとする。それでシワが取れるんだ」「それが豆がふっくらシワが入らず仕上げるコツなのね」「シワが入る原因はもう一つあるが、それは後にしよう。弱火でじっくり夜まで煮続けるんだ。そして明日もひたすら煮続ける」「大変なのは覚悟してます」「夕方までは岡星さんの鍋の面倒を見てもらおう」

黒豆を煮て三日目。「おう、ふっくらと色もよく煮上がった。ここからがコツのいるところだ。火を止めて、鍋を冷ます。煮汁がぬるま湯程度になったら、水を少しずつ足して、徐々に冷やす。一度に冷やすと皮にシワがはいる。とくに豆が温かいうちに空気に触れると、シワが入りやすいので、空気中に豆をさらさないこと」「はい」

「そして砂糖水に漬けるが、いきなり濃い砂糖水に漬けると、浸透圧によって、豆の中の水分が外に吸い出されて、皮にシワがよってしまう。だから漬ける砂糖水は徐々に濃いものにする。そして最後の日に、望む甘さの砂糖蜜に漬け込んで出来上がりだ」「甘味をふくませるのにそんなに手間をかけるなんて」「おせち料理の中では地味な黒豆だけど、こんなにも作る人の心が込められてるのね」

黒豆を煮て五日目。「最後に砂糖蜜の中に漬け込んで出来上がりだ。このまま冷蔵庫に入れておいて、あとは正月に重箱に盛り付けるだけだ」「山岡さん、本当にありがとうございました。これで横綱は部屋での最後のお正月を喜んでもらえると思います」「最後のお正月?」「横綱は来年早々、結婚し部屋を出られます。私の作るおせち料理を食べていただけるのはこれで最後です」「澄子さん、若吉葉関が好きなのね」「とんでもない。私は部屋に置いてもらってるだけ。横綱のことを好きだなんて言ったりしたら、バチが当たります」「そんな」

正月になり、島高部屋におせち料理を持って来る料亭の娘。「昔風の重詰めのおせち料理なんて美味しくないから、うちではこういう料理をお正月にするんです」「ほう、ローストビーフ、スモークサーモン、鶏の丸焼き。ご自分でお作りになったんですか」「とんでもない。私は命令しただけです。私はそれでいいと思います。私は頭脳で料理人は手足です。横綱と結婚したら公私とも忙しくなるでしょうが、このやり方で上手に人を使えばやっていけると思います」

料理の先生にお願いして、江戸時代の大名の正月料理を再現したと言う材木屋の娘。「鶴の腿肉の香味焼き、亀の肉の煮つけを中心にした大変おめでたい料理で、横綱にぴったりのおせちと思います」「これは豪勢だ」「鶴の肉は禁じられてますが、父が政治家に働きかけて、特例として手に入れることができたんです」

判断に迷うと島高に言う大原。「こんな豪勢なおせちは見たことない」「そんなこと仰らずに判定をお願します」そこに現れるおかみと澄子。「参考に我が家のおせちも持ってきましたわ。この澄子が作ったんです」「おいおい、そんなのをこんな豪勢なおせちの前に出したら恥をかくよ」「まあいいじゃないか。それも並べてもらおう」

どっちも甲乙つけがたいと唸る大原。「横綱の意見も聞かないとな。横綱、どっちのおせちが美味しかったかな」「うちのおせちの黒豆が一番美味しいと思います」「え」「この黒豆、色もキレイだし、ふっくらと最高の味です。地味な料理だけど、こんなに美味しく豆を煮ることのできる人を私は嫁さんに欲しいと思います。親方、私をどうか澄子さんと結婚させてください」

「な、なんだと。ふざけるな。折角いい家のお嫁さんを二人も花嫁候補にしてやったのに。私のメンツを潰す気か」「何がメンツだい。現役時代、最高位関脇のお前さんが、横綱の若吉葉になに威張ってんだい」「う」「横綱、よく言ってくれた。私がうちのお重を持ってきたのは、お前と言う男の器量を見るためだったんだ。きらびやかな見てくれに迷わされて、本当の味がわからないようだったら、大横綱にとてもなれっこないものね」「おかみさん」

「澄子の気持ちは私が良く知ってる。喜んでお前の嫁になるだろうよ」「おかみさん」「横綱、得意手は?」「はい。ぶちかましてのがぶり寄り。怒涛の寄り身です」「その調子で親方を寄り倒しなさい」「はい」「なんてこった」「わははは。親方、こりゃ勝負あったな」