作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(82)」 | ロロモ文庫

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古酒

酒のことなら何でも知っていると言う文系評論家の古吉を取材する山岡と栗田。昼間からバーに行き、酒を飲む古吉に呆れる栗田。「お嬢さん、私があまり酒を飲むので呆れておられるようだね」「い、いえ」「私が一日中酔っ払っているのは恥ずかしいからなんだ」「え」「私は根っからの酒好き。酒こそ文化にスピリットを与えるものだ。わかるかね、スピリットは英語で精神とアルコールのことを言う。酒と人間の精神は切っても切れない関係にあるんだ」「はあ」

「特の蒸留酒でアルコールの度数の強いものをスピリッツと言う。まさに酒は精神そのものなんだ。素晴らしい文学を生んだ国には素晴らしいスピリッツがある。ロシア文学とウオッカ、フランス文学とコニャック、イギリス文学とウイスキー、アメリカ文学とバーボン」「はい」

「しかし、日本にはどんなスピリッツがあるのかね。日本にはスピリッツはない。だから日本にはろくな文学がない。俳句とは私小説とかモノマネのハードボイルドとは貧乏ったらしいものばかりだ。精神が貧困なんだ。私は文芸評論家として、日本にまともな文学がないことを恥ずかしく思う。酒飲みとして、まともなスピリッツのないことを恥ずかしく思う。余りに恥ずかしくて酒でも飲まずにいられない。だから私は一日中酔っ払っているんだ」

「あの、文学についてのご意見はともかく、強い蒸留酒なら日本にもあるんではないでしょうか。今は焼酎ブームだと言われてますし」「何。焼酎ブーム。来たまえ。その焼酎ブームと言うものがどんなものか見せてやる」

六本木のお洒落なバーに山岡と栗田を連れて行く古吉。「へい、お待ち。レモンチュー、ミルクチュー、パッションドリンク」「これがお酒なんですか。まるで清涼飲料水みたい」「こんな飲みで精神を高められると思うかね。しかも彼等の飲んでいる焼酎は甲類焼酎だ」「甲類焼酎?」

説明する古吉。「焼酎には甲類と乙類の二つがある。乙類焼酎と言うのは米やサツマイモなどを醸造して、いったん酒を作り。それを蒸留してできた焼酎。甲類焼酎と言うのは、サトウキビから砂糖を取った残りの廃糖蜜などを原料に、工業的に作ったアルコールを水で薄めたものだ。こんなものを飲んでるから、軽薄で希薄な精神が出来る。文学に限らず、深みのあるものは何一つ生み出せない」

乙類焼酎ならいろいろいいのがあると言う山岡。「薩摩のいも焼酎、熊本の球磨焼酎、長崎の麦焼酎」「ダメだ、そんなの。みんなアルコール分が40度以下じゃないか。40度以下の蒸留酒なんてスピリッツとは言えんよ」「沖縄の泡盛なら40度以上のものがあるはずだ」「泡盛だって?いくら度数が高くても、あんな洗練されてない酒はダメだよ」「洗練されてない?」

「泡盛なんて、蒸留した酒をすぐ飲んでしまうじゃないか。ウイスキーやブランデーを見たまえ。10年も20年も熟成させるんだ。泡盛なんか長期の保存に耐えるだけの品質を持っていない」「酒を文学に例えておきながら、酒についての知識がこの程度じゃ、あんたの文系評論家としての底も見えたな」「なに」「こんなものを飲んで喜んでいる連中も情けないが、西洋かぶれのインテリってのも情けないぜ」「貴様」「俺と一緒に沖縄に来てください」

泡盛の酒蔵に古吉を案内する山岡。「なんだ、この沢山の甕は」「古酒です。泡盛を寝かせたものです。一番古いもので100年のがあります」「え、100年」「泡盛の原料は米です。それに黒麹菌を働かせて作った酒を蒸留してできたのが泡盛です。それを甕に寝かせて、十分熟成させたものを古酒と言います。昔は100年以上寝かせた古酒があっちこっちあったそうですが、太平洋戦争の際、米軍の攻撃で多くの貯蔵庫が破壊され、今ではほとんど残っておりません」

「むう。いくら長い間寝かせても、泡盛なんかそんなに旨くなるはずがない」「論より証拠。飲んでもらうしかありません。これは20年ものです」「おや、山吹色だ。泡盛は無色透明のはずなのに。この香り、泡盛のあの癖のある匂いが抜けている。むう、これが泡盛か。なんとまろやかな味だ」

「これは40年ものです」「おう、香りがいっそうさわやかになった。むう、もはや、これは旨さの範囲を超えている」「熟成が進むにつれて、ますます豊かにますます優しくなっていく。これこそ最良の酒だけが持ちうる強靭さではないだろうか」

「これは50年ものです」「やめてくれ」「え」「こんないい酒は酔っ払った状態で飲んだんじゃ、真価がわからない。一か月ばかり酒を断って、身も心も清めて出直したい」「100年ものも待ってますよ」「お若いの。礼を言うよ。日本にもこんな素晴らしいスピリッツがあることを教えてもらって」「日本の文学者にも沖縄の古酒を飲みに来るよう勧めてくださいよ。そしたらいい作品ができるでしょう」「ダメだよ。そんなことをしたら、私の分がなくなってしまう」

それから数か月後。「あら、古吉先生だわ」「また、飲んでるな」「やあ、君たち」「いかがですか、日本の文学界は?」「文学?そんなもの、不幸な人間のやることだよ。最高の古酒を飲んで、豊かな気持ちになれば、文学なんてやってられないよ。君たちも文学なんてつまらないことを考えずに、古酒を飲みなさい。ははははは」