天に叫ぶ無用之介(2)
語る朝吉。「俺は一年前に家を出て以来、ずっと江戸に住んでいたんです。ガキの頃から身に染み付いてしまった盗人癖が収まらず、江戸でも盗人で飯を食ってやした。盗人仲間じゃ、野ネズミの朝吉ってちょっとは知られた顔にもなってきたやした」
『なに、侍屋敷を狙う?しかし、虎松の兄貴、侍屋敷を狙うなんて、命がいくらあったって持たねえぜ』『へへへ、うめえ話があるんだ。何しろ、向こうさんから入ってくれと頼んできたんだ』『え、どういうことなんだ』『まあ聞け。予代藩の江戸屋敷の勘定方を務めている赤垣って侍とその仲間が、藩の金を使い込みやがったんだ。ところが、近日中にお調べがあるってことがわかったから、赤垣たちが大いに慌てたわけよ』
『なるほど。それで俺たちに泥棒に入らせて、そのせいにしようってわけだな』『その通りだ。向こうが入りやすいように考えてくれるんだ。こんな結構な仕事はねえぜ』『しかしよ、金を盗んでもいねえのに、俺たちのせいになるのは』『バカ野郎。楽にやろうって仕事だ。そうそうこっちの都合のいいことばかりがあるものかい』『そ、それもそうだな』
「そして、俺たちは、その夜、予代藩の江戸屋敷に忍び込んで、簡単に盗みをしたけど、近くの木の影から俺たちを見ていた夜回りのじいさんがいたことを、油断しきっていた俺たちは気づかなかったんです」
『へへへ、赤垣の旦那、うまくいきましたね。それじゃあ、お約束の半金』『その必要はない』『わ、何をしやがる。騙したな』『騙したのではない。お前たちが迂闊だったのだ。お前たち、夜回りに顔を見られてしまったのだ』『えっ』『夜回りが番所に駆け込み、当屋敷に知らせがあり、お前たちにはもう手が回ってる。このまま捕まってもらったのでは、我々が困るからな』『うわああ』
「虎松の兄貴は、赤垣の旦那に斬られてしまった。俺は必死で江戸を抜け出した。でも、奴らはとうとうここまで追ってきやがった。おまけに俺にかかった賞金目当てに賞金稼ぎが俺の匂いを追ってきやがる。もうどうにも逃げ切れるものじゃねえ」「しかし、その赤垣らが俺をつけるってのはどういう事かな」「おそらく、旦那が俺を追っている賞金稼ぎだと思って、旦那の後をつけていれば、俺のところにたどり着けると思ってるんじゃねえでしょうか」
「むっ、お前、陣羽織を着た顎に傷のある総髪の賞金稼ぎに狙われなかったか」「あ、そいつが一番しつこく追い回しやがるんで」「やっぱりそうか」「旦那はあの男をご存じなんで」「うむ、その男と俺が一緒にいるところを奴らが見て、俺もお前を追っていると思ったんだろう」「そうだったんですかい」「……」
「旦那、どうもお休みのところ、すみませんでした」「俺に首を取られることは諦めたのか」「俺のようなケチな首を仕事にする旦那じゃなさそうだ」「朝吉、とか言ったな。お前のすることはお前の勝手だが、じいさんや弟には関係ないんだぞ」「へい、わかってます」「弟たちの見ていないところを選んでやるんだぞ」
旅籠を出る無用之介を待ち受ける朝吉。「お前か。弟たちに迷惑のかからないところに夕べのうちに発ったと思っていたぞ」「そのつもりだったんで」「どうした。俺にまだ何か用があるのか」「旦那、助けておくんなさい」「む。夕べは首を取れ、今日は助けろ、か。夜が明けてみたら、命が惜しくなったと言うわけか」
「違う。そうじゃあないんだ。俺の命などもうどうなってもかまやしねえ。俺の留守の間に、奴らが俺尾の家をつきとめやがって、じいさんと弟を人質にさらっていきやがったんだ」「なに」「じいさんと弟を返して欲しかったら、月泉寺の山門のところまで来いって、手紙だけが家ん中にありました」「いやな手を使いやがる」
「俺の命は惜しくねえが、俺がただのこのこ行ったんじゃ、じいさんや弟も俺と一緒にぶった斬られるのは目に見えているんだ。旦那、こんなお願いができた筋合いじゃねえことはわかってますが、俺には他に力になってくれるものがねえんです。お願いだ。弟たちを助けておくんなさい」「……」
山門で赤垣らと対峙する朝吉。それを木影から見つめる無用之介。「ふふふ。逃げずによく来た、朝吉。褒めてやるぞ。お前のようなコソ泥でも、肉親を思う心には変わりがないらしいな」「……」「どうした。もっと近づいてこい。お前の勇気も所詮そこまでなのか」「その前に聞かせてくれ。じいさんと弟はどこにいるのだ」「心配するな。大事な人質だ。かすり傷一つつけてはおらん」「お、俺の聞いてるのは弟たちがどこにいるかってことなんだ」「山門の近くの辻堂に縛って放り込んである」
無用之介が辻堂に向かったのを確認して、刀を抜く朝吉。「よし、行くぜ。いやあ」「むっ」「へへへ。斬れるものなら斬って見ろ。泥棒稼業で鍛えたこの足にゃあ自信があるんだ」「おのれ」「へへへ」「待て」「くそっ。辻堂に弟たちを助けに行く気だぞ」「けっ、いくら足に自信があったって、追っている我々を尻目にそんな神業ができるものか」
あっと喜びの声を上げる朝吉。「じいちゃん、三吉」「あんちゃん」三吉を抱きしめる朝吉。「だ、旦那」怒鳴る赤垣。「貴様、邪魔する気だな。何者だ」「ふざけたことを聞くな。邪魔する気なのは見ての通りだし、何者だと聞くまでもなく、お前たちの敵のはずだ。これ以上、この兄弟たちに構うと、俺も刀を抜くことになる。やめたらどうだ」「うぬ、ほざいたな。斬れ」赤垣たちをあの世に送る無用之介。「旦那、ありがとうございました」「俺は賞金稼ぎだ。賞金首のお前は助けたんじゃない」
そこに現れる猪衛門。「見つけたぞ、賞金首」「あっ」「へへへ。用無し犬の先生。悪いが手を引いてもらおうか。そいつの首を狙っていたのは、俺の方が先口だ」「……」「もう一度聞くぜ。手を引くのか、引かねえのか」
待ってくれと猪衛門に頼む朝吉。「今は待ってくれ。今はじいさんや弟がいるんだ」「それがどうした」「じいさんや弟に泣きは見せたくねえ。今は見逃してくれ」「寝言はそれだけか」「え」「寝言はそれだけかと言っているんだ」朝吉を叩き斬る猪衛門。「あっ、あんちゃん」「さわるな。俺の獲物だ」「バカ。よくもあんちゃんを殺したな。あんちゃんを返せ」「うるせえ。ガキに用はない。とっとと消え失せろ」
朝吉の死体を引きずる猪衛門に、待てと叫ぶ無用之介。「ん。なんだ、そのツラは。用無し犬の先生よ。まさか、この賞金首を横取りしようと言うんじゃないのだろうな」「抜け」「なに」「抜くんだ」「腑抜けになっていただけじゃなく、賞金稼ぎの仁義もなくしていたのかい。へへへ、横取りできるものなら、やってもらおうか。用無し犬の先生」「……」
「あんた、俺の腕を知ってるつもりだろうが、人を初めて斬って、ガタガタしていた時の俺とは、もうわけが違うんだぜ。それに比べて俺の方はあんたの腕を百も承知だ。おまけに耄碌しかけた野良犬と、今を盛りの狼との対決じゃ、初めから勝負は見えている」「言っておくが、口で相手をカッカさせて慌てさせようと言うのは、野良犬の喧嘩じゃ初歩の手だぞ」「行くぞ」
逆手抜きで構える無用之介。「ふふふ、なるほど。俺の手の内を知っているので、そんな小細工をしようと言うんだな」「……」「無駄だ。抜け」「……」斬りかかる猪衛門。それを刀で受け止め、もう一つの刀で猪衛門を斬る無用之介。「へへへ、刀は二本あったのだっけ」「……」「さすがは俺の尊敬する用無し犬の先生だ」
絶命する猪衛門。泣き叫ぶ三吉。「嫌いだ。侍なんてみんな嫌いだ。あんちゃんが死んじゃった。うわあああ」呟く無用之介。(人はみな悲しみを作るために生きているのだろうか。そして野良犬はその悲しみを血の色で汚すために生きているのか。人の悲しみを彩るために、血で汚れた俺の牙が天に向かって咆哮するのか)