ラタキアを離れアパメアの遺跡へ向かいます。Eの場所にあります。





アパメアまでの道中はの~んびりとした草原の風景と、その長閑な風景におよそ似つかわしくない破壊された空き家が続きます。





家屋と思われる建物のほぼ全部が破壊された残骸。人間て、最初こそ「ナンジャコリャ!?」と憤怒と嫌悪感に襲われるも、そのうちこれが当たり前の風景になってしまう。そこに過去、どれだけ凄惨な場面があったか想像に難くないにも関わらず。自分でも不思議です。





さて、ラタキアからアパメアは直線道路がありますが、ドライバーはかなり遠回りをしました。google mapの位置情報を見て「何故に南下?オカシイナ」と思っていたところ、米国人ローレンも同じように思ったらしく聞いてくれました。







すると、最短道路は現在ISIS(要は米国CIA)が抑えており通れないとのこと。







遠回りしたドライバーは道を間違えて更に遠回りし、そのおかげで別のチェックポイントを通過せざるを得ず、余計な道でシリア軍に引っかかり時間を要するなどしてだいぶ時間がかかりました。




 



ドライバーは超陽気な「良い人」を絵に書いたような私好みのダンディでお茶目な男性。私はドライバーの後ろに座っていたので、運転疲れを時折見せるドライバーの肩を叩いてあげるなど、みんなでイジって車内は常々和やかムードです、車の外は壊滅的な光景ですが。






更にアパメア近辺まで来ると、数日前にゲリラとの衝突があったためか、チェックポイントは厳戒態勢。








そして、そこも何とか抜けてとうとう着きました。





アパメアは、セレウコス朝の四大都市(テトラポリス)のひとつです。、軍馬や物資などを集積する軍事都市でもありました。





エジプトから北方へ抜ける交易路上だったこともあり、セレウコスの繁栄を極めた紀元前4世紀末から紀元前1世紀くらいまでは、人口が50万人に達したそう。





その後、ローマやペルシャなど、どこがしかの配下になる度に襲撃を受けて衰退し、最終的には地震でとどめを刺され放棄されました。




パルミラの裏に隠れてあまり目立たないですが、素晴らしい遺跡ですよ。





思い返せば、何となしにシリアへ行こうと考えていたのが戦前。2011年。




ヨルダンを訪ねた際に、ここで出会ったJICAの女性に誘われました。

その時は彼女のお母さんも一緒だったので行きませんでしたが、私はヨルダンの後に単独レバノンへ入国し、ベイルートから足を運ぼうとしていたのですよね。しかし、レバノンの次のトルコも詰まっていたのもあって行かなかった。




あのときはまだ遺跡や世界の歴史に興味がなかったので、今この時にイラクやシリアなどメソポタミア文明や、フェニキア、パルミラを訪ねることができたのはタイミング的に良かったかもしれません。


タイミング悪かったら(遺跡に興味ない頃だったら)まず来なかったであろうアパメアやパルミラ。




今の私にはこれほど楽しく興味深い場所はありません。




この列柱は1.5kmに渡って続くのですよ。今でこそ半分以上倒れてしまっていますが、当時の壮観さときたらパルメラ以上だったのでは?と想像します。




今はこんなに崩れ落ち寂しい感じで、天気が悪いのも相まって栄枯盛衰の物悲しさを一層引き立たせていますが、紀元前の建築が二千年以上経っても立体的に遺っているというだけでも、私は凄いことだと思うのですよね。






日本の建築を鑑みると分かりやすいと思いますが、現在の建物の一体どれくらいが2,500年後に遺っているか?




そう考えると、この何気なく積み重なった石にも古代人の知恵が詰まり尊いと思うのです。





ところで、ツアーで来るとコレがツラいのは時間を制限されること。ここも、紆余曲折あり着いたのが夕方。陽が暮れる前にアレッポまで行かなくてはと、アパメアはなんと30分と言われましたよ。この広大な遺跡を30分で回れるか!っつの。最低3時間は必要だぞ!





まぁ、でも後ろもありますのでしょうがないですよね。私達のガイドは足が不自由なため、広い遺跡は一緒には回りません。最初に一通り説明してくれたあとフリータイムです。





ローレンはあまり興味ないようで、10分くらいで車に戻りました。私はダッシュでアパメアを眺め回りました








そして30分で車に戻ったつもりが、、、








一時間経ってました。爆








実は私、遺跡に関しては毎回必ず30分はオーバーします。パルメラは一時間以上遅れたかな?爆







それほど遅れたら大概の場合ムッとしますよね。私が待ってる立場ならそう思う。ところがこれが、ドライバーとガイドの目にはあまりにも私が熱心に見えたらしく、「こんなにもシリアの歴史に興味を持ってくれるなんて」と何故か喜び称賛してくれるという。笑







また、ローレンはパルミラでは早々と暑さにやられ、車近くの日陰で伸びていたそうで、ゆっくり休めてちょうどよかったと言ってくれました。







パルミラ以降、遺跡に関して度々遅れる私に、「またか」のような空気が定着しており、私自身も罪悪感なく。爆
ホントスミマセン、マジ迷惑。






それでも時間が足りなくて、内心悶々。笑







もしかして、私の遅刻を加味してアパメアは30分と言ったのかも。と裏読みしたりして。笑






さあ、アパメアを去ります。今度は個人単独で来るぞと誓い、シリアで私の一番行きたかったアレッポへ向かいます。






ところで、前回の記事にも書きましたが、欧米メディアは(もちろん日本の無能メディアも)国外へ脱出したシリア難民が帰国できないことを「アサド大統領の報復を恐れて」など政権のせいにしていますが、それは全くのフェイクです。






アパメアからアレッポの道沿いに続く街の破壊され方がハンパなく凄まじい。ここはトルコ軍と彼ら率いる謎のテロリストたち(ISISではないそう)にやられています。もうホント私、トルコに対する感情がシリアに来て一変しましたわ。米国CIAやDS、イスラエルに対しては昔から嫌悪感しかないですけど。







大体、難民となって各国に散ったシリア難民は、ここまで破壊された街に帰って個人で何ができます?お金ない。車ない。スーパーない。家財ない。資材ない。工具も機材も何も無いこの街にフラッと帰って生活できますか?家族単位で復興できますか?





建物の体を保っているならまだしも、傾いたり崩れかけた建物は壊して建て直し。専門業者もいない。業者いても依頼するお金ない。家の中はもぬけの殻。すべて盗まれ破壊されている。設備、生活必需品、家電を1から揃えないとならない。車ないと買い物も行けない。食べるものない。こんなとこで生活などとても無理です。人っ子一人いないのですから。





だから帰りたくても帰れないのですよ。






日本はネオナチウクライナへの何兆円にものぼるドブ金を一切やめ、シリアの復興に向けるべきだ。ウク支援という名のもとで日本の税金がネオナチどもの武器に変わり、戦争は終わらず弱小ポンコツウク志願兵の死体が増えるだけなことにいつになったら気付く?






また、シリアでは再々度イスラエルによる空爆があったようですね。気狂いイスラエルに対し、イランは本腰入れそうな雰囲気になってきました。イスラエルから各国の大使館が退去しているという記事も目にし、一方で各国のイスラエル大使館前でのガザジェノサイドへの抗議活動は日に日に増しているようです。







まぁ、因果応報、そうなりますよね。偽クソユダヤ、イスラエル破滅のときも近いかも知れません。