ラタキアを離れアパメアの遺跡へ向かいます。Eの場所にあります。
アパメアまでの道中はの~んびりとした草原の風景と、その長閑な風景におよそ似つかわしくない破壊された空き家が続きます。
さて、ラタキアからアパメアは直線道路がありますが、ドライバーはかなり遠回りをしました。google mapの位置情報を見て「何故に南下?オカシイナ」と思っていたところ、米国人ローレンも同じように思ったらしく聞いてくれました。
すると、最短道路は現在ISIS(要は米国CIA)が抑えており通れないとのこと。
遠回りしたドライバーは道を間違えて更に遠回りし、そのおかげで別のチェックポイントを通過せざるを得ず、余計な道でシリア軍に引っかかり時間を要するなどしてだいぶ時間がかかりました。
ドライバーは超陽気な「良い人」を絵に書いたような私好みのダンディでお茶目な男性。私はドライバーの後ろに座っていたので、運転疲れを時折見せるドライバーの肩を叩いてあげるなど、みんなでイジって車内は常々和やかムードです、車の外は壊滅的な光景ですが。
更にアパメア近辺まで来ると、数日前にゲリラとの衝突があったためか、チェックポイントは厳戒態勢。
そして、そこも何とか抜けてとうとう着きました。
アパメアは、セレウコス朝の四大都市(テトラポリス)のひとつです。、軍馬や物資などを集積する軍事都市でもありました。
エジプトから北方へ抜ける交易路上だったこともあり、セレウコスの繁栄を極めた紀元前4世紀末から紀元前1世紀くらいまでは、人口が50万人に達したそう。
パルミラの裏に隠れてあまり目立たないですが、素晴らしい遺跡ですよ。
今はこんなに崩れ落ち寂しい感じで、天気が悪いのも相まって栄枯盛衰の物悲しさを一層引き立たせていますが、紀元前の建築が二千年以上経っても立体的に遺っているというだけでも、私は凄いことだと思うのですよね。
まぁ、でも後ろもありますのでしょうがないですよね。私達のガイドは足が不自由なため、広い遺跡は一緒には回りません。最初に一通り説明してくれたあとフリータイムです。
ローレンはあまり興味ないようで、10分くらいで車に戻りました。私はダッシュでアパメアを眺め回りました
そして30分で車に戻ったつもりが、、、
一時間経ってました。爆
実は私、遺跡に関しては毎回必ず30分はオーバーします。パルメラは一時間以上遅れたかな?爆
それほど遅れたら大概の場合ムッとしますよね。私が待ってる立場ならそう思う。ところがこれが、ドライバーとガイドの目にはあまりにも私が熱心に見えたらしく、「こんなにもシリアの歴史に興味を持ってくれるなんて」と何故か喜び称賛してくれるという。笑
また、ローレンはパルミラでは早々と暑さにやられ、車近くの日陰で伸びていたそうで、ゆっくり休めてちょうどよかったと言ってくれました。
アパメアからアレッポの道沿いに続く街の破壊され方がハンパなく凄まじい。ここはトルコ軍と彼ら率いる謎のテロリストたち(ISISではないそう)にやられています。もうホント私、トルコに対する感情がシリアに来て一変しましたわ。米国CIAやDS、イスラエルに対しては昔から嫌悪感しかないですけど。
大体、難民となって各国に散ったシリア難民は、ここまで破壊された街に帰って個人で何ができます?お金ない。車ない。スーパーない。家財ない。資材ない。工具も機材も何も無いこの街にフラッと帰って生活できますか?家族単位で復興できますか?
建物の体を保っているならまだしも、傾いたり崩れかけた建物は壊して建て直し。専門業者もいない。業者いても依頼するお金ない。家の中はもぬけの殻。すべて盗まれ破壊されている。設備、生活必需品、家電を1から揃えないとならない。車ないと買い物も行けない。食べるものない。こんなとこで生活などとても無理です。人っ子一人いないのですから。