2011年6月に訪ねた中東の旅を綴ります。
この年は、東北の太平洋沖で大地震が起きました。東日本大震災です。
私はあの時、たまたま横浜の自宅におりました。前夜に少々飲み過ぎ二日酔いが酷く、仕事を休みにしてベッドで横になっていたときでしたので、あの揺れには参りました。あらゆる意味で。
皆様も、あの地震では色々と考えられることがあったのではないかと思います。私もあの地震で人生に対する考え方が180°変わりました。
思えばあの地震を経験するまで、私は様々な事に対してのんびりと構えて生きていました。
海外旅行にフォーカスすると、日本人が一般的に行くメジャーな国や都市を何度もリピートし、他の国へ冒険することもあまりありませんでした。
このタイトルを見ていただくと分かる通り、11年前まではまだ30ヶ国余りしか訪ねていなかったのですよ。
行きたい国はありましたが、「いつか行きたい」「定年退職してから行こう」「死ぬまでに行ければいいや」くらいしか思っていなかったのですよね。
それがあの地震で、
「いつか行きたい?」「定年してから?」
「死ぬまでに行ければ?」
「明日、死ぬかも知れないのに?」
いつ行くの?
今でしょ。
私の海外旅行熱が一気に加速したのは、正にあの地震を経験してからなのです。
日本に住んでいる限り、天災は免れない。
「やりたいことを後回しにするのはやめよう。」「何事もすぐ行動に移そう。」
旅行だけでなく、あらゆることに対してそう心に誓ったのですよね、あのとき。
そして今からちょうど11年前、震災関連で日本全体が混沌としていた時期に、私はその年度にもらったリフレッシュ休暇を使って中東を巡ることにしたのです。
それでは、様々な出会いのあった中東の旅の記録を綴りたいと思います。
まず、入りはヨルダンの首都アンマンから。Turkish AirlinesでIstanbul経由のフライトです。
地震後のNRTは超混雑していましたが、国外への脱出組は一通り終わって空港は静か。実は地震直後の2011/3後半にトルコへ旅しています。これは地震前から決まっていた旅です。その時の様子はまた別の機会に。
そしてこのとき、日本のみならず中東も、シリアやイエメンで情勢不安が始まっていました。
IST(イスタンブル)でAMM(アンマン)行きのトランジットは1時間と短め。飛行機に乗り、席周りを見渡すとほとんど外人。しかし、通りを隔てた隣席に私の母くらいの歳の日本人女性が一人でポツンとしており目が合いました。
「どちらまでいらっしゃるんですか?」
と聞かれたので、
「ヨルダンのアンマンです。」
と伝えたところ、
「あら!私もです。」
え?えええ?
アンマン?アンマンへ行かれるんですか?
しかも、お一人で?
私の母親くらいの歳の方が、この時期に一人でアンマンへ?
あちらも驚かれたようで、「何しに行かれるんですか?」と仰るので、「観光です」と応えると、「アンマンに観光?」「珍しいですねー。」
え?あなたこそ。
「アンマンはお仕事ですか?」と尋ねたところ、
「娘がJICAでアンマンのパレスチナ難民キャンプに派遣されてて」「日本酒を持って来いってうるさいもんだから。」「荷物が重くて超過分、ウン万円もかかりました。笑」「一人だから不安で不安で、宜しくお願いしますー。」
東北に住むそれなりの歳の母親に、アンマンまで一人、酒を持ってこさせる娘ってどんな人よ?爆
もう、是非お会いしたい。笑
ヨルダンは国教がイスラム教なので、アルコールはなかなか手に入らないのかも知れない。そして、娘さんは酒豪なのだろう。東北出身ならやっぱり日本酒が恋しいかもしれないですよね?因みにご自宅は被災されてないと仰ってた。
イスタンブルに遅延で着き、猛ダッシュで乗継搭乗口まで行きたいのですが、ウン万円も超過した預け荷物以外に、お母様の機内持ち込み荷物の量が半端なく、
「これ、本当にお母さま一人で持ってこられたのですか?」
というくらいの大袋に、日本酒一升瓶が何本も。
それだけじゃないんですよ、バーボンからジンから様々。
しかも一つじゃない!それが2バッグ。IKEAの青い袋くらいあるデカ袋2つに瓶酒がこれでもかっ!てくらい入ってる。笑
そもそも、こんなに機内に持ち込めるんだっけ?到着時に没収されないの?
そうでなくとも、着いたとき相当税金を取られるのでは?
もうこの母娘、面白過ぎる!笑
私は相変わらずの小荷物でしたので、その何十キロもある大袋を2つ持ってアンマン行きの搭乗口までダッシュ。
ISTからAMM便は席が遠くなったので話はできませんでしたが、AMMに着きターンテーブルからスーツケースが出てくるのを待っているとき再び会いました。
お母様の荷物がわんさかなので「空港まで迎えに来てるはず」の娘さんとの待ち合わせに、私も付き合うことに。
付き合うというか、その鬼娘を一目見たい!爆
荷物を受け取り、Arrival出口を出たのは現地時刻10pm前。しかし、娘さんらしき人は見当たらない。
しばらく待っていると、猛ダッシュでこちらへ走ってくる日本人女性が。
「お母さん、ごめん!」「途中、トイレ我慢できなくて!」
いきなりブッ飛ばしてるわ。笑
彼女の方も、母親以外に一緒に日本人がいてびっくりしたようで、私を見てキョトンとしていました。
そして、「日本人の方ですか?」
そうだと応えると、「えーっ、すごいビックリ。」「何しに来られたんですか?」「駐在ですか?」
観光だと応えると、「珍しいですねー。」
母親と同じ返答。
上述のこともあり娘さん、どんな人かと思いましたが、かなり腰の低い気の効くタイプの元気溌剌人。
そして彼女が、「タクシー待たせてあるので一緒に行きましょう」と、なぜか同乗。
さらに車中で、「今、とある日本人の方々とバーベキューをしていて」まだ続いているので「30分くらいお付き合い願えませんか?」と誘われたのです。
長時間フライトなうえ、既に現地時間10pm過ぎてたのですけど、「30分くらいならいっか!」と、その足でそこへ向かうことに。
すると何と!
アンマンの超高級住宅街マンションに着き、何人ものセキュリティが立つ先へ。
部屋に入ると、うちより広いバルコニーに日本人が数名、こじんまりと静かにパーティをしているではないですか。
ナニココ?
そこに住んでいるのは、日本の某大手商社ヨルダン支店長様。参加されてる日本人の方々もその関係者と、在ヨルダンの日本大使館員、そしてその駐在妻などのセレブたち。
こんな世界なんだ。。
ホント、驚きでした。しかもヨルダンに着いた瞬間から。笑
支店長宅にいらした先方の方々は、彼女から「母親を連れてくる」と聞いていたので、更にもう一人、知らない日本人がやって来てこれまたキョトン。笑
「えーっと、ヨルダンに何しに来られたんですか?」
「観光に。」
「お一人で?」
「はい。」
「珍しいですねー。」
また同じこと言われた。そんなに珍しいかあ?ヨルダンなら日本人の旅人は結構いますよ?
母も娘も話が面白く、彼女等を中心に皆で談笑が続きました。そして皆の飲み方が半端なくてですね。私もつられてビールやワインを飲み放題。
気付いたら3時間以上も滞在しており、結構みんな酔っ払いでお開きすることに。
支店長専任のドライバーが私をホテルまで送ってくれることになり、チェックインしたときは3amを回っました。
初っ端から飛ばしてしまった。
それにしても駐在員ていい暮らししてるのねー。もう、その一角に入っただけでも雰囲気が全然違う。
写真は撮りませんでしたが、マンションはアンマンの街を見下ろす高台で、夜なのにその景色の良さが伺える。部屋も広くてインテリアもオシャレでセンスいい。支店長の奥様は現役モデルと仰ってたかな?とにかく素敵な暮らしぶりでした。
この頃の日本は、地震と原発被害で先が見えず混沌としていましたのでね。
日本情勢を他所に全く別の世界が広がっていて、久々にリラックスできたと感じました。
明日より、彼女ら母娘と行動します。
そろそろ海外へ行くか!
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