2014年のGWに訪ねた南米周遊の旅を綴っています。

 

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マチュピチュの駅に着くと、「HIRAM BIMGHAM」乗車客はバスが待っています。確か、340US$にはマチュピチュの入場料も含まれていました。



 


バスはぐんぐんと険しい山を登っていき、マチュピチュのエントリーへ。世界遺産です。



 


おおお、ここがあのマチュピチュね。

 


 


よぅ、こんなところに都市を造ったなあ。



 


マチュ・ピチュは、15世紀のインカ帝国の遺跡です。ここアンデスのウルバンバ谷に沿って1440年頃に建設が着手され、1533年にスペイン人により侵略されるまでの約80年間にわたり人々の生活が続いていたよう。



 


インカ文明は文字を持っていなかったとされていますが、私はスペインの侵略時にすべて焼かれるか、破壊され残っていないだけと思っています。フェニキアと同じですね、その存在そのものを消そうとした。記述が全く何も遺っていないものですから、ここも何のために造られたのか明らかになっていないのですよね。


 

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一説によると、この都市はインカ王族や貴族のための避暑地として造成されたものとされ、王族の移動とともに一時的に最大約750名の住民が住んでいたとされています。



 


しかし、遺跡には大きな宮殿や寺院、王宮が備わり、職員の住居らしきものもあります。


 

 


また、治水技術に優れており、段々畑や、



 


この石臼のようなものに水を張って天体観測し、月や星の動きを捉えて農業に役立てるなど、一時的な居住空間ではなく、最先端技術を担う科学都市だったのではないかと推測しています。(飽くまでも持論。爆)



 


こちらは見晴らし小屋。




 


マチュピチュの全景を眺望できます。


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クスコもそうでしたが、インカはこの石垣の技術が素晴らしいですよね。






ペルーもよく地震が来ますがほぼ崩れません。この石垣技術のおかげで、500年以上経った今でも当時の建物の様子をこの通り残しています。



 


しかし、多くの人がここを訪れるようになった近年、石に上ったり落書きも散見されるなど、人為的な理由で傷んでしまったよう。

 


 


このため、神殿などは立入禁止となったり、入場自体を制限したり、また、必ずガイドと行動するような措置が取られているようですよ。



これは以前のニュース


 

 

 


この下に見えるのは太陽の神殿。冬至の朝、夏至の朝には窓から陽が差し込む太陽信仰に基づいた造りをしています。



 


チチェン・イッツアと同じですね。アステカやマヤ、インカは太陽信仰。日本もメソポタミアもペルシャ、エジプトも古代は太陽信仰です。

 

 

 

 


 

こちらはコンドル神殿にあるコンドルの形の石。コンドルのクチバシと羽を広げているように見えますよね。ここは、地上と天とを結ぶ神聖な場所で、神に捧げ物をしていたと考えられています。


 

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どこの遺跡に尋ねても私の関心ごとは水の流れ。ここも居住空間を形成し、各家庭に山からの水が流れるように考えて作られてる。こんな高い山でも。



 


インダスのモヘンジョ・ダロもそうでしたね。





遺跡ロマンは絶えませんね。ここを訪れた現代人である我々に、今も尚ロマンをもたらし、当時の栄華を想起させる遺跡というのは素晴らしいですよね。マチュピチュへ訪れると人生観が変わるという人も多いよう。




 


自分がまだ産まれてない時代の過去の遺物が、自分の未来を変革するというのもまたスゴイことです。人が遺跡を好んで訪ねるのは、豊かな感性や行動にいたるまで涵養できるからではないでしょうかね。過去から偉大なヒントを得て自分の人生を鑑みる。









これはやはり現地に行かないと、感覚として味わえないものです。