2012年のGWに訪ねたメキシコの旅を綴っています。

 

 

 


 

 

お次はチチェン・イッツアへ向かいます。ウシュマルから直線的な道路はなく、メリダ近郊まで戻って東へ向かいます。


 

 

メリダ周辺のジャンクションで進行方向を間違え、東へ向かうつもりが西へ。笑

 
 

何とか軌道に戻し、一本道を東へかっ飛ばします。


 

 


空が広いのですよね。


 

 


ひたすらジャングルの中の一本道で、高い建物がなく、向こうの方まで永遠続く雲の景色がとても美しい。


 

 

そして、チチェン・イッツア遺跡に到着。ホテルへチェックインし、荷物を置いてホテル専用の出入り口から早速遺跡へ。

 
roroのTranceWonderな日々
 

早速お目見え。これが、かの「エル・カスティージョ」です。マヤ文明では一番有名と思われるピラミッド。


 

 


高さ24メートル、4面それぞれに階段が91あり、91×4+1で365日。1日を一段で表しています。


 

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春分と秋分の日に、太陽光がちょうど階段端のククルカン(蛇神)に当たる角度で設計されており、降臨したように見えるのは有名ですよね。


 

 


下からでは伺い知れないのですが、頂上には翡翠の目の赤いジャガーとチャックモールがあるそうです。


 

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以前は登れたものの、私の訪ねたときは進入禁止になっていましたよ。どこのピラミッドも損傷が激しいですね。


 

 


チチェン・イッツア(Chichén Itzá)は「水の賢者の住むところ」という意味だそうです。その名の通り、ユカタン半島には天然のセノーテ(泉)が多いのですよ。

 


 


ここは戦士の神殿。手前の広場はメソアメリカで最大の球技場です。


 

 


ここでもボールゲームが競われ、豊作祈願の儀式で生贄を捧げるための死闘が繰り広げられていました。


 

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広場に面する戦士の神殿の階段上に見えていますね、神の使者チャックモール。「早く次の心臓を。。」と高みから覗いて催促しているように見えますわ。怖


 

 


昨日もお伝えしましたように、神への生け贄は名誉であり天国への道が約束されるということで、当時の生贄志願者は多く、競うほどのものだったといわれています。私は疑っているけど。

 

 

 

 

 

 

そして日常的に生贄が捧げられていたため、対象となるうる範囲の地元の人間が居なくなってしまい、戦争までして生贄とする捕虜を確保したそうです。それ、もはや豊穣より生贄の方が主目的のイベントになってしまってるような。。

 

 

 

 

 

 

こちらは戦士の神殿を取り囲むように建つ千柱の間です。屋根があるわけでもなく、何に使われていたのか不明。


 

  


私、思うに生贄の心臓はチャックモール、生贄の生首はこの上に置き、祈り称えたのではないかと想像しています。大きさがちょうどいい。


 



こちらはカラコル、天文台です。天体の運行をあらゆる視点から分析し、季節の移行を正確に計算したとされています。春分、秋分もここで計算。

 


 


人類学博物館でご紹介したアステカカレンダー(太陽暦)=ハアブ暦と同時に、マヤの人々は1年260日のツォルキン暦を併用していました。365日と260日の重なる日が52年に一度訪れて、この年を災いの年として恐れたらしいです。マヤのカレンダーも、ここカラコルの観測によるものです。


 



こちらは「ツォンパントリ」と呼ばれる基壇です。壁一面に骸骨のレリーフがありますね。この上で本日の生贄を紹介したそうです。


 

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「ただいまご紹介に預かりましたクチュリと申します。えー、わたくしはツォルキン歴4566年、ハアブ暦3587年(西暦702年)のオク月シュキン日に、ウシュマルのオピチェンに生まれ、父の仕事の都合で幼い頃、ここチチェンに引っ越してまいりまして以来十数年。。。。」

「この度は、晴れて生贄に選出いただくなど、大変光栄な使命を仰せつかりまして。。。」







等の自己紹介や生贄の抱負でも述べたのでしょうか?爆






 

何度も書いているように、スペインに攻め入られたとき、美しい街はおろか文献も徹底的に焼き埋め尽くされたので、アステカやマヤといった文明の確たる遍歴は実はほとんど不明です。チチェン・イツアは広大な土地に遺跡が点在しますが、ログがないので用途不明な遺跡も多々。未だ解明に至っていません。


 

 


当時の言語を話せる人もほぼいないので、文献が残っていたとしても解読不能でしょう。


 

 


アステカやマヤの文明を知れば知るほど、残虐かつ無慈悲な当時のスペインのやり方にアッタマキマス。


 

 


それにしても、古代文明から現代に至るまで、ここに限らず春分と秋分に何らかの儀式をする世界の地域は多いですね。古来から、農業にとってとても重要な起点となる日だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

日本でも毎年、春分、秋分の日は祝日です。歴代天皇も毎年この日に宮中祭祀を執り行ってきています。やはり、これ何度も繰り返しますが、人間に必要なのは農業なのですよ、産業じゃない。ましてやITなんて究極は要らない(自己否定。笑)。

 

 

 

 

 

 

最近、日本は農業を否定し昆虫食を激推ししているようですが、昆虫は爬虫類の食べ物です。賢明な皆様は決して口にされませんように。

 


 

 

 

 

考えてみたら生贄もコオロギもcovidもVもマスクも同じようなものですね。共通しているのは洗脳です。時が経てば「なんで生贄すれば雨が降るなんて信じたんだ?」と思うのと同じように、「なんでコオロギなんて食べてたんだ?」「なんでcovidを超絶殺人ウィルスだなどと思い込んだんだ?」ってなところですが、渦中にいると盲信してしまいがちですよね。







今の日本など見ていると、人々は完全にテレビに洗脳されているように感じます。テレビを持たない私から見ると、それは信じられないほどのマインド・コントロールですよ。テレビ盲信の知人とは、もはや別世界に生きているかと思うほど。







何度も申し上げますように、日本の大手主要メディアはフェイクとプロパガンダばかり流し、真に重要なコトは決して載せませんのでね。







信頼できるサイトをご自身で調べて評価し、間違っても「テレビが言ってたから」「政府が言ったから」「厚労省が掲げたから」「医者に言われたから」という安易な決定をくだされませんように。奴らは一切あなたに対して責任を負いません。「奴らの言行は詐欺と思え」くらい疑ってご自身で調べてくださいませね。

 

 

 

 

 

 


さて、一通り見学してホテルに戻りました。今夜宿泊する「Mayan Hotel」はチチェン・イツア遺跡のすぐ隣にあり、遺跡への専用出入口もある便利なホテル。

 


 

朝のマフィンしか食べてなかった。ホテルのレストランへ行き、

 
 

今日はもう運転しないのでビール。
 

 

いくつか料理を頼み、

 

 


シーザーサラダを目の前で作ってくれました。ええのよ、そんな大袈裟にせんでも。笑


 

 


美味しそ。


 

 


生ハムメロンと、


 

 


ボルシチのようなスープだったかな?


 

 


サーモン、


 

 


これ、なんだったっけな。よー食べとるな。


 

 


レストランからカラコルが見える。


 



夜になると、エル・カスティージョでナイトショーが行われています。再度入場。

 


 


見学者多し。


 

 


なるほど。春分、秋分の日は、このようにククルカンが舞い降りるのね?


 

 


春分や秋分の日はこの辺りメチャクチャ混みそうで、実際の降臨を見ることは一生ないと思っていました。なのでこの様子を伺い知れて良かった。

 


 


そうだ、今日はメリダからずっと運転だったんだ。その距離およそ300km。明日もさらに走距離を延ばします。