2018年3月に訪ねたパキスタンの旅を綴っています。以前書いた超簡易記事に、写真を大幅に追加し加筆しています。
 




朝。部屋でコーヒー飲みながら、陽が昇るのを見届けます。


車とドライバーが時間通りにホテルへ来ました。





と、この方は?





頼んでないのにライフル銃を持った警察が。


道中、万が一のためサッカルから遠方へ向かう他国の観光客を乗せた車には必ず一人、警察が警備で着くそうなのです。なんとフリー。


しかし、あれなんですよね。全然強そうに見えないんだこれが。笑 過激派が多勢で攻めてきたら、私たちイチコロ、即死な様相ですけど?笑




サッカルの街を抜けました。色んな所に乗ってるよね。


重量オーバー規制とか、乗員制限とかもなさそう。笑


道中、沐浴中の牛。

 
なーんか痩せこけちゃってるけど大丈夫ですか?


沐浴終わって何処かへ急ぐ牛たち。


パキスタン人の男性が着ているこの民族衣装は、ペルシャ時代から変わってないよう。


長閑だ。


あなたが乗ると、更に重いのでは?


平原が続き、2時間くらい経った頃かな。





モヘンジョ・ダロ遺跡に到着。警察も護衛で着いてきてくれるそう。


ここも世界遺産。紀元前2500年頃から栄えたとされるインダス文明の古代遺跡です。


おおお!ストゥーパ!まぁまぁ遺ってるじゃないですか。このストゥーパがあったせいで、当初、ここはガンダーラ王国の遺跡と思われていたのですよ。時代が全然違うのに!


ストゥーパの周りも、思ったよりは何か施設らしいものが遺ってる。


モヘンジョ・ダロは水をうまく使った都市文明と言われています。インダス川の汲み取りや生活排水の排出方法は、この時代では考えられないほど高度だったそうですよ。


この角度からだと、若干、エジプトのスフィンクス(顔なし)にも見えるな。笑


広い範囲に凝縮された遺跡は、見応え十分でした。


一帯を見終わって高所から辺りを見渡すと、東の平原の先に何かあるような感じ。





ライフルくんに、「向こうの方に見えるあそこも遺跡なの?」と聞くと、「あっちも遺跡だけど、アリババがいるから行かない方がいい。」と言われました。
 
 
 

 
何?アリババって?
 
 
 

 
「過激派武装集団の名前だ」「撃たれるかもしれないから、あっちには行かない方がいい」
 
 

 
 
行かない方がいい。。。





っていうか、





行けないよね?笑
 
 
 

 
そういうの、看板かなんか立てておいてくれないと、私一人だったら間違いなく行ってましたよ。





この辺りの街は、わりと過激派が潜伏しているようなので、あまり遺跡外をウロウロしないほうが良さそうです。
 
 
 

 
大体、こんなところで散弾銃などぶちかまされたら、その爆圧や音圧、流れ玉で、遺跡のこの脆い土が崩れてしまいかねない。それでなくとも乾燥による劣化が激しいのに、それだけは避けていただきたいです。





ずっと護衛してくれたライフルくんと記念にパチリ。色々とありがとう。



そうそう、ここへ入館する際、外国人は今日の日付と名前と国名、パスポートナンバー等を冊子に鉛筆で記入するのですが、私より前に訪れた人は、4ヶ月前の中国人1人、その前もさらに4ヶ月前のフランス人2人。
 
 

 
 
誰も来ないん?ここ。笑
 
 
 
 
 
併設されてる美術館へ行ってみました。


インダス川を渡って、メソポタミアなどとも深い交流があったようです。


しかしインダス川は度々反乱し、その度にここモヘンジョ・ダロは壊滅的な被害を受けています。


そして、その度に新たな建物を上部に建設。赤外線だか超音波探知だかによると、なんとモヘンジョ・ダロは7層にも重なって都市遺跡があると推定されていますよ。


王様が統治したような形跡はなく、土着宗教の神官が平和的に収めていたよう。


オモチャかな?


チェスの駒のようなものも発見されていて、凄い文化があったのだろうなと改めて感心します。

 
モヘンジョ・ダロに関しては、かなりマジメに調べて記事を書いていますので、もしご興味ございましたら下記リンクも読んでみてくださいね。
 
 



パキスタンの旅路は北から南下でしたので、段々と暑くなってくる。モヘンジョ・ダロは夏50℃を軽く超えるそうで、この日もここまでで一番暑く、私も段々と暑さにやられていく。






ちょっとまたフラフラしてきてですね。フライトには早過ぎるのですが、空港まで送ってもらうことにしました。





小さい空港で、私が着いたときはまだ入口の門さえ開いてなかった。ドライバーと警察が交渉してくれて、中で待機させてもらえることになりました。


ここで二人とはサヨナラ。ありがとう。ホント助かりました。





そして、私は空港の待合いやターミナルホールではなく、何もないガランとした小さな事務所のような場所へ通されました。アーミーと警察が紅茶とクッキーを出してくれた。なくなると追加してくれる。笑


この事務所は警察が代わる代わる出入りし、その度に彼らは声をかけてくれます。一人の大柄な若いアーミーは、少し離れた向かいのソファにずっと座ってました。もちろんその側にはライフル銃。






少し話をしましたが、暑さに疲れたのか若干ウトウト、のち爆睡。


私には珍しいのですが結構な時間、30分くらい座ったまま寝てたように思います。パッと目覚めると、まだアーミーの彼はそこに座ってスマホをいじっていました。「この人、暇なの?」と思い、また色々と話をしました。






彼は、パキスタン北部の山間にあるSWATという村に家があり、3ヶ月に一度の休みに帰れること。子どもたちに会うのを楽しみにここ(モヘンジョ・ダロ空港)で日夜頑張ってること。





地元はとても美しく、今度パキスタンへ来たら必ず行って欲しいと、彼の子どもたちや自分で撮った自然の美しいSWATの写真をスマホで見せてくれました。






ここへ通されてから3時間近くは経ったかなぁ。チェックインカウンターのオープンアナウンスが現地語で入り、それを英語で私に伝えてくれた彼は、一緒に部屋から出て空港施設側へ行きチェックイン。





「次にパキスタンへ来て、SWATへ行くときは必ず連絡する!」と、そこでサヨナラし、私は手荷物検査と金属探知を抜けて搭乗口へ。





ソファに座り、





ん?





ちょっと待てよ?





もしかして。。。





よくよく考えたら、





彼は暇だったのではなく、最初から私の護衛のためだけにあの部屋から離れず、ずっと一緒に居てくれたのだと気付き。。涙
 
 
 
 

 
さぁ、この旅、最後の国内線。


この旅、最後の都市へ飛びます。


 






モヘンジョ・ダロの詳しい記事はコチラ