しとしとと、雨が降っている。森を濡らすその雨は大地を潤し、川となり、海へと注ぐ。大地の恵みだ。
小雨で白く靄がかかっている山のなか、今にもくちそうな掘っ立て小屋がある。小屋の前では、木刀を縦に、横に、袈裟斬りに、一心不乱に振る少年が一人。少年が刀を振るたび、風を切る鋭い音が響く。
ヒュッヒュッ
少年はもくもくと演武をしている。
少年は雨が好きだった。とりわけ、今日のような小雨の日が好きだった。静かに立っているだけで身も心も洗われ、清められるような気がした。
ふぅ……。
型を終え、座り込み、一礼。
少年は立ち上がると、座り込み泥んこになったズボンを払う。そして小屋から大きな鞄を運びだした。
腰に祖父の形見の日本刀。
今日は少年の旅立ちの日だった。
山の中にある家とふもとの村にしか行ったことのない18才の少年は、今日、上京するのだ。
少年は、祖父に育てられた。たった一人の肉親だった。
少年と祖父は、山河を駆け回り食べ物をとり、畑を耕し、持っている金は祖父の年金のみという生活を送っていた。
彼の教育方針は大変厳しかった。
強く、強く。生きるため、戦うため、守るため、愛するため、強く強く育てられた。日常的に行われてきた修行は熾烈を極めた。3つの時から体を鍛え始め、5つの時から刀を振り続けた。
おかげで、体は丈夫だが、少年は恐ろしくバカだった。
中卒で、しかも学校も休みがちだったのでは、しかたがない。
しかし、頭は悪くはない、ただ勉強をしてこなかっただけだった。現に彼は記憶力がよかった。
少年が17の時、師と仰ぎ、いつか超えたいと思っていた祖父が他界した。朝起きたら冷たくなっていた。
少年は遺言に従い、亡骸を山で一番大きな杉の下に埋めた。
少年は、祖父がなくなって思った。
"オレはもうこれ以上強くなれないのではないのか?"
倒すべき壁を失った少年は、生きる意味を、生き甲斐を無くしたも同然だった。
彼は焦った。
今まで以上にストイックに練磨に励んだ。
しかし、満たされない。相手がいなければ張り合いがない。
少年は悟った。首都、東京に行けば、人がたくさんいる。俺よりつええやつがたくさんいる。
彼は18才の誕生日に旅立つことに決めた。
それから少年は、土方の日雇いをして旅費を貯めた。
都会の知識を仕入れようと、片っ端から新聞を読んだり、中学校の恩師に聞きに行った。
そして、今日こそがその運命の日なのだ。
3月15日。18才、旅立ちの朝は小雨が降っていた。
201x年 3月
「ここが東京か!人がたーっくさんいるなあ!」
少年は渋谷駅の改札を抜けたところにある、地獄のような絵の前で声をあげた。
ボロボロのジーパンにブーツ、ヨレヨレの黒の七分丈のTシャツ、ボサボサに逆立った髪、左手には、布にくるまれた刀、右手には大きな鞄。田舎もんオーラバリバリだった。
ハチ公前に来た彼は、完全におのぼりさんと化していた。
とにかく人が多いのが嬉しかった。しかし、弱そうなやつばかりだった。
とりあえず、強そうなやつに喧嘩をふっかけられるまで、この広間にいようと思った。
しかし、人、人、人である。
少年は初めて来たこの街を新鮮に感じ、楽しく思った。楽しげで活気があふれ、人がたくさんいるこの街は、生まれ育った山とは全く違う環境ではあるが、少年は嫌いではなかった。
祖父がいつも言っていた。
自分が愛するものに何かあったら、その時は迷ってはならない。成すべき事を成すのだ。
愛するもの、初めてわかった気がした。
ぼんやりとハチ公を見上げていた、そのとき、「だ、だれかっ!捕まえてっ!ひったくりっ!」
少女の叫び声が響いた。
そちらの方を見ると、男が白い鞄を右手に提げながら走り去るのが見えた。
「こいつを見ておけ!」
少女の足元に鞄を放り投げ、男を追って走り出す。
50mほどで追い付く。
そしてそのまま男の上着をつかんで引きずり倒した。
少年は男のみぞおちを刀の鞘で殴り、気絶させる。
そのまま交番に引きわたし、少女のもとへ引き返した。
少女にお礼を言われ、少年が照れる。
少女が少年に名前を聞いた。
「どうもありがとう。どうしてもお礼がしたいんです。あなた、お名前は?」
「俺の名前は、尾白大河(オジロ タイガ)」
「私は、横路渚(ヨコミチ ナギサ)」
「礼なんかいらないぜ。そんなのがほしくてやったんじゃない」
「まあまあ、そんなこと言わず!とりあえず、こっち来てくれませんか?クレープご馳走します」
いきなり手を掴んできた。この子なかなかに押しが強い。大河は、流されてしまった。
クレープくらいならいいか。腹へったし。
「え?あぁ、それくらいならかまわないが、あれだ」
「なんですか?」
「堅苦しいから敬語は無しにしようぜ」
彼女は、少し考えるとうなずいた。
「そうだね。あそこにクレープ屋さんがあるの。食べながら話そうよ」
渚がニッコリと微笑んだ。
大河は、この渚という不思議な少女のペースにはまってしまっていた。
年は15くらいか。背は低く、体のラインも起伏が少なく、小柄な印象だ。
パッチリとした二重、小さな口、さらさらな髪はショートカット。
白のゆるいふわふわレトロなワンピースに薄い水色のデニムベストを重ね、ネイビーのレギンスと、可愛らしい茶色いぺたんこ靴。
大河は、こないだ雑誌で学んだ森ガールと言うやつだ、と思った。
渚はニコッと微笑んではいるが、どこか頼りなさげで無理しているように見える。おどおどする様子は小動物のようだ。
不思議なやつだ、と大河は思った。
屋台のそばのベンチで並んでクレープを食べながら、渚は大河に尋ねた。
「18歳?年上かと思ったら、同い年なんだぁ」
「俺はお前のこと15歳くらいのガキんちょだと思ったがな」
「あはは、ひっどーい」
笑う彼女を見て、大河は思った。この子ばつぐんにかわいいぜ、田舎の舞ちゃんよりかわいい!舞ちゃんはかわいいけど、性格がなぁ……。
大河が田舎の幼なじみの舞ちゃんを思い出していると、
「私、あなたのこと知りたいな。おっきい鞄持ってるし、上京したばかり?
「ああ、師匠が死んじまってな。田舎にいてもつまらないし、人のいっぱいいる都会に来てみたわけだ。まあ、武者修行だな。」
「だから、そんなもの持ってるんだ」
「ああ、こいつは師匠、じいちゃんの形見だ」
「そか……」
渚が身を乗り出した。
「ねえ、このピアスさわってみて?」
「ああ、かまわない」
変なやつだな。大河がピアスにさわろうとした、その時だった。
彼女の右耳に輝く、真っ赤なピアスに変化があった。まばゆく光を発し始めたのだ。
風が吹き、ザワザワと木々が揺れる。朝焼けのように辺りは真っ赤な光に染められた。
「あ、あつい!」
「おい!平気か!」
彼女は熱と衝撃に苦悶の表情を浮かべ、ベンチから転げ落ちた。
渚が苦しそうに喘ぎながら言う。
「あなた、やっぱり『選ばれた戦士』だったのね」
「なんだ?それは?」
「あなたがこの世界を救うってことよ!」
彼女が必死に叫ぶ。
大河の助けを借りて、彼女はなんとか立ち上がると言った。
「このピアスをさわって!」
大河が触ると、赤い光は彼の体に吸い込まれていく。
「う、うおぉぉぉぉぉ!」
バリバリバリバリ!
衝撃は周りの木々の枝が折れるほどだった。
あたりは、閃光に包まれた。
ピタリと、光はやんだ。
「な、なんだったんだ」
ピアスをさわった右手の手の甲の中央に、三本の爪痕のようなアザができた。まだジンジンと衝撃の名残が感じられる。
「やっぱりあなたは……」
渚が喋りかけたその時、
ドドォン!!
轟音と共に地響き。
巨大なロボットが現れたのだ。
「やつらよ!あなたに気づいて消しに来たんだわ!」
「な?やつらって?」
「一月ほど前から地球を荒らし回っている侵略者、ムガール宇宙船団よ!どうしよう、舞も隼人もいないし」
なんだ?全く訳がわからない。
「お、おい?侵略者?新聞には、載ってなかったぞ!」
「載せられる訳無いじゃない!混乱を煽るだけよ」
「なら説明しろ!一体どうなってるんだ!」
「今この街を救えるのは、あなたとその相棒しかいないってことよ!」
「相棒だと?どういうことだよっ」
ギシギシ
巨大なロボットがこちらに向かって来ている。
渚が言った。
「ビビドリウムの結晶に触れたからわかるでしょ?アザが呼んでるんでしょ?叫んで!その名を!解き放って!その鮮やかな力を!」
「解き放つ……」
その言葉を聞いて、不思議と体に力がわいて来る。
解る。何て叫ぶのか、アザが教えてくれる。
戦え、怒れと呼んでいる。
彼女が叫ぶ。
「今こそ相棒を呼ぶのよ!!誇り高き猫科の戦士を!!戦うのよ!立ち上がるのよ!」
大河は右手のひらを太陽にかざすと、力の限り叫んだ。
「来い!ビビドライガー!!」