ロックベーシスト 西本圭介 -146ページ目

ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

 

こんにちはケースケです。

 

名古屋からですが、今年は栄の街もクリスマスムードは薄いですね。

僕自身も全くそんなムードもなくマンションで休暇とってます。

 

暇すぎなので画像加工して遊んでいます(笑)

 

コロナも終息のムードもなくて、むしろコンサートの中止が相次いでいて、やばい感が増してますね....

 

 個人的に、この一年で感じたことはコロナ感染防止しないといけないという前提ですが、人災のほうが大きいと感じるわ。

TVは煽るニュースしかしないし、たしかに感染拡大はやばいけどさ、根本的な対策を政府がせずに毎日BADニュースを流すのは違うくないかい。

 

だってね、自分の身の回りで感染して重症になった人はみたことない。

自分の知り合いに聞いても、みんな「あそこらへんの人が陽性だったらしい」みたいに田舎の噂レベルでさ、本当に重症になった人の身近な話題聞かないのさ。

そう思わん? 変なの

 

コロナは軽視はしていないけどさ、別に風邪や喘息や病気なんて日常なんじゃないん?

本来、健康管理や衛生管理は普通のことやろ。

 

数年前に奥さんが正月に救急病棟に運ばれたことがあった。

喘息が酷くて入院した。

コロナと関係なく、風邪や喘息で緊急事態になることなんて、昔からあるんちゃうん。

 

インフルエンザで学校休校なんて日常だったじゃん。

 

僕はちょっと過剰かなと思う。

たしかに医療崩壊も問題だよね。

ただ、陽性というだけで入院させたり、ホテル監禁したら、当然そうなるよ。

陽性でも症状が出ない人もいるよ。

 

もちろん、軽視はしていないけども、過剰にビビるのも違うかなと思っている。

 

正しく恐れて、正しく経済を回す。

 

来年も引き続き感染防止対策と付き合う一年になりそうだからさ、新しい生活様式でみんなが動き出さないと。

 

そろそろエンターテイメント業界もやばいでしょ。

 

もともと、エンターテイナーって「武士は食わねど高楊枝」の精神の人が多いから。

SNSで弱音をいう人も少ない。

だから、エンターテイナーが蔑ろにされている感が強い。これはイカン

大きな声をあげているところは注目し、黙って耐えていると無視されるのはイカン。

 

来年は感染防止対策を講じながら、エンターテイメントは復活させないといかん。

 

一回崩れた文化を戻すのはとても大きなパワーが必要になるし、みんながそれを求めたときにアーティストやエンターテイメント場は力尽きている可能性が高い。

流石にライブハウスだって2年目の自粛は厳しいで。

 

正しく恐れて、正しく経済を回すことをみんなでやろう。

 

アーティストには経済的なことで支援しよう。

CD を買うこと、ライブを見ること。

 

好きなアーティストにお金を落とさないと、よくあるお店が潰れる時にさ「最近は行ってなかったけど良い店でした。残念」みたいにSNSに書く人は最悪や。

 

残念だったら、普段から贔屓にして金を落としてやれ。

みんなが行かないから潰れるんだ。

 

最近、大阪のハードロックカフェの閉店が告知された。

SNSでは残念の言葉が溢れているけど、大半の人はここ一年来店せんかったやろ!

そりゃ閉店するよ。

 

やはり、なくなった時に残念ですというくらいなら、今日からお金を落としにいこう。

 

正しく恐れて、正しく経済を回す。

 

ライブを復活させるために、例えばチケットに医療機関へのサポート税をかけようよ。

チケットも値上げしてさ、ミュージシャンのギャラの相場をあげていこう。

何もしないことは確かにリスクにはならないけどさ、正しく回して正しくお金を回さないと。

マジで経済的な閉塞感を習慣にしてしまったら、本当に金を落とさない文化が定着してまう。

 

僕ももしかしたら来春にはベースレッスンを値上げするかもしれん....(未定)

衛生対策で除菌したり、できるだけ同じ日に複数の来校を密接させないようにしているし。

自分自身の感染防止対策に経費もかけているしさ。

 

レッスンが減るから値下げだと続かんから、レッスン料をあげても一回の利益をあげないと続けられん。

 

感染しない対策と同時に経済的な対策を考えないといかん時期だな.....

 

 

ただせっかくのクリスマス、今日くらいは能天気に感染対策しながら楽しみましょう。

 

今日はこの辺で。

 

#MerryChristmas

こんにちはケースケです。

 

皆さん、年末はいかがお過ごしですか?

外出自粛みたいな雰囲気でいつもの年末の賑わいの無い名古屋の栄からです。

 

今日は次男マサキの21歳の誕生日です。

 

 

今は早稲田大学の3回生なんですけど、立派なバイク乗りになり成長してくれました。

 

この紹介だけだと、ただの親バカブログになるので、多少は子育ての参考にして頂ければと思って今日は書きますね。

 

 

ちなみに長男23歳は照明エンジニアとして主にプロモーションビデオやCMで活躍しています。

まだまだ助手レベルですが、関わった作品は大物ばかりなんですよ。

 

 

最近では 映画『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』にも照明助手として参加。

エンドロールやパンフレットにもクレジットもされているようです。

 

娘は高校3年生で進学校に通っていて、来春は大学受験です。結果が良いと良いな〜🌸

 

 

ちなみに僕は大学中退で音楽専門学校卒、ミュージシャンとしても、有名でもないし対して結果も出せていない。

中学・高校は所謂【素行不良】の子供でした。ヤンキーではないけどな。

 

一般的にいうと僕は学歴は低いほうですし、僕と家内は教育ママとパパでもない【放任主義】の子育てやったと思います。

 

それでも立派に子供が育つということが今まさに子育てしている方に少し参考になったらと思います。

 

 

 

ちなみに僕は名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校で副校長/ 教務部長です。

そういった経歴からわかるように、ものすごい数の学生(生徒)を見てきました。

 

その中でやはり【成功しない学生】と【成功する学生】というのはいるわけでして、その中でご家庭での子育てが大きく影響していると感じる事例はいくつもありました。

 

成功は子供達自身の努力に委ねられる部分が大きいですが、その努力をする為の根本的な力は家庭環境で養われると思っています。

 

今日はざっくりと子供が成功する子育てのキーワードを並べていきたいと思います。

 

  1. 子供の夢は全力で応援するべし
    僕は三人の子供達に自分の叶えられなかった夢の投影は絶対にしない。また進学しないと駄目とか大人の価値観も絶対に植え込まない。子供がやりたいことができる環境を作ること。財政的にサポートすること。
    この世の中で餓死は絶対しない。選ばなければ仕事なんてある。夢を追って失敗しても別にいいじゃん。
    夢が生涯に渡って成仏しない人生のほうがやばい。心から諦めることの大切さ。
     
  2. 子離れするべし
    成功しない学生の親は子離れしていない。例えば欠席連絡を親がしてくる。些細なことでいちいちクレームを親が言ってくる。学園生活における学生の人間関係の問題にいちいち親が介入してくる。こういう家庭で育つと子供は自立心がなくなって、特にエンターテイメント業界では絶対に成功しない。親は子供がプロになったときに付き人になるわけではない。
     
  3. 子供にかまっている以前に自分が輝け
    子離れしないにも関係するが、子供に夢を投影している暇があったら自分が楽しめ。自分を磨け。所謂、悪い意味でのステージママや過保護な親は自分の暇さを子供で補っている。いちいち子供に介入する暇があったら、自分がカルチャースクールに通って自分も成長すればいいのだ。
    ブクブク太っている癖に子供にエンターテイナーとして自分を磨けと言っても伝わらない。親が常に健康的でいきいきしていれば、子供は何も言わなくても成長する。
     
  4. 子供の前で夫婦お互いの悪口は言わない。喧嘩しない
    夫婦でリスペクトしあっていないことを見せるほど、子供が駄目になることはない。反面教師として成長するケースも極稀にあるが、学生を見ていて学業に集中できない原因は家庭内の問題である。家庭がガタガタしていると子供は集中力を欠いてしまう。特にエンターテイメントを目指すような時期に学生はそれ以外の不必要な問題に頭を悩ませる暇は無い。
     
  5. 子供のことは絶対に馬鹿だとか、お前は駄目のような否定をしない
    問題のある学生の親に電話すると大抵は無関心。これはいい意味で放任しているのではなくて、単に見放しているという意味の無関心。これは最悪じゃ。そして、自分の子供をバカとか否定的にいう奴(すでに親とも呼びたくもない)。そして、うちの子は出来ないと可能性を否定する奴。こういう家庭で育つと子供はポテンシャルを発揮できない能力で育つ。結果的に子供は親に褒められたくて頑張っているのだから。
     
  6. 子供扱いせずに仕事のことや財政的なことを理解させておく
    子供には仕事の尊さや大変を伝えておく。僕がミュージシャンだった時、そこから一転してバイク業界に38歳で入り大変だった時、ライブハウスを起業して超貧乏だった時、ライブハウスを売却する決断の時、名古屋で音楽専門学校に復帰する時。彼達は幼少期に僕が転職していく姿をリアルタイムで見てきた。甘い時も酸い時も見てきたと思う。

    奥さんが3丁目のたこボールという移動販売車を起業するときは皆で業態を考え、店名を考え、キャラクターを考え、たこ焼きに決まってからは全員で広島中のたこ焼きをブラインドテストして味を決めていったりした。
    自宅で平常は営業しているので、帰宅すると店頭で暑い日も寒い日も毎日仕事をしている母を見ていた。開店当初は閑古鳥が泣いていた。それからお客様が増えていった時代を体感して成長した。
 
もちろん、子育てにおいて反抗期もあったし、問題を起こしたこともあった。
現在進行系で成功しているとは言えないかもしれない。
ただ、僕は彼達は真っ直ぐに成長してくれたと思っている。
 
 
 
僕は今は自分の夢は凍結させている。
今は自分のことよりも子供達が大切だからだ。
自分の夢のために家庭は犠牲には出来ない。
 
バンドも組みたいしライブもしたい。
ただ、今はその力は財政を支えるための時間に当てたいと思っている。
 
来春に長女の大学の進路が決まれば、卒業させるまでのサポートだ。
 
少しずつ、子供達も自立をしていく中で僕も少しずつ50代の後半をどのように生きていくかを考え始めよう。
 
子供達が成長するように、僕自身もとどまることなく、次の新しいチャレンジをしたいと思う今日このごろ
 
この辺で!!

 

先日の12/01にモミアゲスピード代表である関口友孝さんが急逝されました。

 


左端が関口友孝さん 右が弟の文孝さん

 

先日、オフィシャルブログにて弟さんから告知されたこともありますので、僕はここで思い出を書きたいと思います。

 

 

 

 

僕がモミアゲスピード代表である関口友孝さん(以下、お兄ちゃん)にあったのは15年前(2005年)モミアゲスピードが開店してまもなくのことだったと思います。

 

ちょうど出会って1年くらいの時だけど、インタビューが続きで掲載されましたこともありました。

インタビュー場所がモミスピだったですからね。

 

https://www.virginharley.com/interview/prointerview30/

 

 

 

バージンハーレー初期のWEB時代です。

僕が36歳、お兄ちゃんが38歳。

 

当時はスポーツスターに乗っていた頃ですが、別のショップへ通っている道中にこの珍しい名前のショップを見つけました。

そこで飛び込んでからのお付き合いになりました。

 

 

僕は開店から数年はショップツーリングもよく一緒に行っていました。

トップの写真はモミスピでのツーリング回数がトップになって表彰されてTシャツをもらった時ですね。

ここに紹介できないくらいの膨大な量のお兄ちゃんの写真がありますから。

 

本当によく一緒に走ったなと思い出します。

 

 

これはうちの奥さんにボルティ改をプレゼントしたときの様子です。

自宅にサプライズで納車に来てくれました。

これが10年くらい前かな。

今でも愛車としてガンガン乗っていますよ。

 

僕はモミスピに通いだしてからバイク熱がさらに熱くなり、モミスピ開店から3年後の2008年には僕はハーレーダビッドソンのディーラーであるバルコムモータースに飛び込むことになります。

 

ディーラー時代はモミスピへはお客としてではなく、業者同士として純正パーツの取引や中古車のことなどをお互いにやりとりしていました。

僕はディーラーマンだったこともあり、純正パーツの型番を探すことなどは得意だったので、情報交換したりしたな〜って思い出します。

 

ディーラーマン時代は正規ディーラーのバイクをカスタムバイクショップに持ち込むことはタブーな感じだったので、時々面倒みて頂くみたいな感じになったな。

 

その後、バルコムを退社してからハーレーダビッドソンのダイナやSRのチョッパーを所有していたころもよく通っていな〜って思います。

 

 

うちのたこ焼き屋さんの開店祝いを持ってきてくれた時です。これも10年前ですね。

 

 

本当にいつも楽しませてくれる人でした。

 

4年くらい前にはその時に愛車が無かった僕はハーレーを探しにお兄ちゃんのとこに頻繁に相談に行っていました。

 

ただ当時ハーレー熱が冷めかけていたこともあり、現在のヤマハXS650チョッパーを別ショップで買って乗ることになりました。

 

また生活の大半が名古屋になっていたので、広島ではバイクを自分で触りたい衝動が強くなって、修理やカスタムでモミスピさんに行くことがここ数年は極端に減ってしまったと思います。

奥さんのバイクは見てもらってりしていたのですがね...

 

 

こういう書き方をするとネタのように思われると嫌なのですが、この急逝の前に久しぶりにモミスピにいってカスタム相談したいなと計画していたんですよ。

ブログやSNSは毎日フォローしていたからね。

ちょうど最後のブログネタがホイールの話題だったこともあり、その相談にいこうと久しぶりに思いついた矢先でした。

今丁度、スプリンガーフォークかガーターフォークに交換したかったんですよね。

 

 

 

おにいちゃんは僕がライブハウスをしているときも練習に来てくれたり、本当に良くしてくれた。

当時は起業してお金がなさすぎて趣味でバイクを持つなんて考えられなかった時代です。

 

当然、客にもならない暇つぶしに行っている僕なんですが、ライブハウス経営で辛くなるとお昼はショップにいって、中華の出前を一緒に食べて話をしたことも思い出します。

 

ライブハウス経営で気が滅入っていたときに、もしもモミスピへ息抜きにいけなかったと思うと.....

自営業という面で随分と相談というか、参考にさせていただきましたからね。

 

お兄ちゃんは無類の音楽好きということもあり、僕がモミスピに通うようになったのも、バイクと音楽との融合ってとこもあるし、僕がミュージシャンをやめてバイク業界に転身したのも、お兄ちゃんを見ていてバイク業界のほうが面白いって思ったからでしょうね。

 

そうそう、モミスピでうちの次男が犬に噛まれたときは、お兄ちゃんが運転して僕と一緒に病院にいった。

その後はとても次男を気遣って、ほんとうに色々としてくれた。

 

そんな次男は今は大型免許をとって、バイクで旅をするのが大好きな青年になったよ。

次男とバイクに乗って店に顔だしたかったな......

 

本当にお兄ちゃんのことは突然過ぎて、当然お店を一緒にやられている弟さんはもとより、ご家族の方も気持ちの整理も未だについていないことだと思います。

僕自身もまだショップにも行っていないこともあり、実感として薄いのが正直なところです。

 

ただ、思い出を風化させたくないので、ここに書くことにしました。

 

あの無敵の象徴のような人が...なんで....という思いです。

 

ここ数年はイベントやキャンプであって挨拶するくらいで、店に入り浸ることもなくなったのが、本当に悔やまれる。

 

本当にただただ悲しいという表現しか無いです。

 

お兄ちゃんの死から学ぶことというのは

 

「人生は一度きり」

「人生を思いっきり謳歌する」

「会いたい人には会えるときに会うこと」

「人に優しく、人に笑顔を残せる人生でありたい」そんなことを思いました。

 

お兄ちゃん、安らかにお休みください。