モミアゲスピードのお兄ちゃん ありがとう | バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

先日の12/01にモミアゲスピード代表である関口友孝さんが急逝されました。

 


左端が関口友孝さん 右が弟の文孝さん

 

先日、オフィシャルブログにて弟さんから告知されたこともありますので、僕はここで思い出を書きたいと思います。

 

 

 

 

僕がモミアゲスピード代表である関口友孝さん(以下、お兄ちゃん)にあったのは15年前(2005年)モミアゲスピードが開店してまもなくのことだったと思います。

 

ちょうど出会って1年くらいの時だけど、インタビューが続きで掲載されましたこともありました。

インタビュー場所がモミスピだったですからね。

 

https://www.virginharley.com/interview/prointerview30/

 

 

 

バージンハーレー初期のWEB時代です。

僕が36歳、お兄ちゃんが38歳。

 

当時はスポーツスターに乗っていた頃ですが、別のショップへ通っている道中にこの珍しい名前のショップを見つけました。

そこで飛び込んでからのお付き合いになりました。

 

 

僕は開店から数年はショップツーリングもよく一緒に行っていました。

トップの写真はモミスピでのツーリング回数がトップになって表彰されてTシャツをもらった時ですね。

ここに紹介できないくらいの膨大な量のお兄ちゃんの写真がありますから。

 

本当によく一緒に走ったなと思い出します。

 

 

これはうちの奥さんにボルティ改をプレゼントしたときの様子です。

自宅にサプライズで納車に来てくれました。

これが10年くらい前かな。

今でも愛車としてガンガン乗っていますよ。

 

僕はモミスピに通いだしてからバイク熱がさらに熱くなり、モミスピ開店から3年後の2008年には僕はハーレーダビッドソンのディーラーであるバルコムモータースに飛び込むことになります。

 

ディーラー時代はモミスピへはお客としてではなく、業者同士として純正パーツの取引や中古車のことなどをお互いにやりとりしていました。

僕はディーラーマンだったこともあり、純正パーツの型番を探すことなどは得意だったので、情報交換したりしたな〜って思い出します。

 

ディーラーマン時代は正規ディーラーのバイクをカスタムバイクショップに持ち込むことはタブーな感じだったので、時々面倒みて頂くみたいな感じになったな。

 

その後、バルコムを退社してからハーレーダビッドソンのダイナやSRのチョッパーを所有していたころもよく通っていな〜って思います。

 

 

うちのたこ焼き屋さんの開店祝いを持ってきてくれた時です。これも10年前ですね。

 

 

本当にいつも楽しませてくれる人でした。

 

4年くらい前にはその時に愛車が無かった僕はハーレーを探しにお兄ちゃんのとこに頻繁に相談に行っていました。

 

ただ当時ハーレー熱が冷めかけていたこともあり、現在のヤマハXS650チョッパーを別ショップで買って乗ることになりました。

 

また生活の大半が名古屋になっていたので、広島ではバイクを自分で触りたい衝動が強くなって、修理やカスタムでモミスピさんに行くことがここ数年は極端に減ってしまったと思います。

奥さんのバイクは見てもらってりしていたのですがね...

 

 

こういう書き方をするとネタのように思われると嫌なのですが、この急逝の前に久しぶりにモミスピにいってカスタム相談したいなと計画していたんですよ。

ブログやSNSは毎日フォローしていたからね。

ちょうど最後のブログネタがホイールの話題だったこともあり、その相談にいこうと久しぶりに思いついた矢先でした。

今丁度、スプリンガーフォークかガーターフォークに交換したかったんですよね。

 

 

 

おにいちゃんは僕がライブハウスをしているときも練習に来てくれたり、本当に良くしてくれた。

当時は起業してお金がなさすぎて趣味でバイクを持つなんて考えられなかった時代です。

 

当然、客にもならない暇つぶしに行っている僕なんですが、ライブハウス経営で辛くなるとお昼はショップにいって、中華の出前を一緒に食べて話をしたことも思い出します。

 

ライブハウス経営で気が滅入っていたときに、もしもモミスピへ息抜きにいけなかったと思うと.....

自営業という面で随分と相談というか、参考にさせていただきましたからね。

 

お兄ちゃんは無類の音楽好きということもあり、僕がモミスピに通うようになったのも、バイクと音楽との融合ってとこもあるし、僕がミュージシャンをやめてバイク業界に転身したのも、お兄ちゃんを見ていてバイク業界のほうが面白いって思ったからでしょうね。

 

そうそう、モミスピでうちの次男が犬に噛まれたときは、お兄ちゃんが運転して僕と一緒に病院にいった。

その後はとても次男を気遣って、ほんとうに色々としてくれた。

 

そんな次男は今は大型免許をとって、バイクで旅をするのが大好きな青年になったよ。

次男とバイクに乗って店に顔だしたかったな......

 

本当にお兄ちゃんのことは突然過ぎて、当然お店を一緒にやられている弟さんはもとより、ご家族の方も気持ちの整理も未だについていないことだと思います。

僕自身もまだショップにも行っていないこともあり、実感として薄いのが正直なところです。

 

ただ、思い出を風化させたくないので、ここに書くことにしました。

 

あの無敵の象徴のような人が...なんで....という思いです。

 

ここ数年はイベントやキャンプであって挨拶するくらいで、店に入り浸ることもなくなったのが、本当に悔やまれる。

 

本当にただただ悲しいという表現しか無いです。

 

お兄ちゃんの死から学ぶことというのは

 

「人生は一度きり」

「人生を思いっきり謳歌する」

「会いたい人には会えるときに会うこと」

「人に優しく、人に笑顔を残せる人生でありたい」そんなことを思いました。

 

お兄ちゃん、安らかにお休みください。