1993年 ロサンゼルスからサンフランシスコへ車の旅/ シュラプネル・レコーズ の思い出 | バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

こんにちは

懐かしい紙焼き写真をスキャナーで取り込むのが趣味です。

 

 

先日はサンフランシスコにあるアルカトラズ島について書きました。

 

今回はサンフランシスコです。

 

 

ロサンゼルスからサンフランシスコは大体614kmくらいです。

広島から静岡くらいだと思えばいいですね。

 

 

当時の愛車は何度か紹介していますが、↓

 

 

フォルクスワーゲンのラビットのオープン。

所謂ゴルフという車種です。

アメリカ留学生活でオープンカーを乗っていたのですからね(笑)

恵まれた時代でした。

とはいえ、この車は帰国直前にはリアのデフがおかしくなって、タイヤが外れる寸前まで行きました(T_T)

廃車寸前をコリアンタウンでだまくらかして売却して難を逃れたという逸話も。

※騙してというよりも査定ミスで切り抜けたというべきか....(苦笑)

アメリカは車検がないので、入手は安くてもさ、ボロボロの個体も多くて大変でした。

 

このころは快適に走っていましたが、なにせナビゲーションなどない時代です。

まじで道に迷ったら、強盗に襲われるか、ガス欠だと死ぬかもと恐怖で走っていたものです。

 

英語も片言だったし、無謀だといえばそ~ですけど、楽しんだなと思います。

 

 

サンフランシスコはとにかく坂が多い。

映画のカーチェイスシーンでよく出てくる風景で感動しました。

 

ロサンゼルスの住んでいたハリウッドとは全く違う感じです。

 

ちなみにハリウッドに住んでいた頃はチャイニーズシアターという名所から徒歩3分の場所で毎日チャイニーズシアターを通って生活していました。

 

ちなみに当時はシリコンバレーなどという言葉は知らなかったので、そんな場所には観光には行っていません。

1993年当時、学校にはコンピュータはすでにありましたが、まだまだコンシューマ用ではなかったですからね。

 

 

 

坂が多いと言いましたが、マジで下り坂は恐怖なくらい。

そして車高が低いと腹をスッて走れない環境です。

 

バイクのチョッパーの世界でフリスコカスタムというサンフランシスコ・スタイルのチョッパーがありますが、あれば現地に行かないとピンとこないでしょう。

この町をベタベタの車高では走れたものではないのです。

 

 

左: 弟、右が僕(当時 23才、今52才)

 

 

走る場所すべてが、映画で見たことありそう〜な感じです。

ただ、ここには住みたくない。

坂が多すぎて徒歩だと死ぬでしょう。

完全、車社会ですね。

 

 

ここが最も有名な坂の名所くねくね坂の「ロンバードストリート」

初めて車で来たらサンフランシスコは運転の恐怖ですよ。

 

そして、そこからゴールデンゲートブリッジへ

 

 

 

ちなみに、ここを通った経緯は当時、速弾きギタリストだと知らない人はいないシュラプネル・レコーズ (Shrapnel Records)にデモテープを持っていくためでした。

創始者はマイク・ヴァーニーでこの人がイングヴェイ・マルムスティーンやポール・ギルバート、トニー・マカパイン、リッチー・コッツェンとかを発掘しました。

 

僕は当時、ベーシストとしてマイク・ヴァーニーに認められたら成功すると思っていました(笑)

 

そして、インターネットもない時代なので、サンフランシスコのノバトというクソ田舎の町にあるシュラプネル・レコーズに押しかけてデモテープを渡せたらデビュー出来ると思っていました。まじで甘ちゃんだけどさ。

 

 

結果的には留守にされていて会えなかったけど、日本人なんて来ることが無い街の人からは、「おまからワザワザそれで来たのか?」とかびっくりされ、シュラプネル・レコーズの横にあったレコード店には日本にないくらいのシュラプネルのレコードが鎮座していて、感動しました。

 

結果的にはその後、当時はシュラプネル御用達の現在KoRnのドラマーであるレイ・ルジアーさん、現在アリス・クーパーバンドのグレンソーベルさんとか、シュラプネル縁のあるミュージシャンと仲良くなったわけなので、ツアー中にこのエピソードを話すと。

 

「ケースケ、お前バカか!! あそこに雇われてもレコーディングのギャラなんか1円もねーぜ!」

「あそこで良いならいくらでも紹介してやるよ!」みたいに笑われたものです。

 

インペリテリのドラマーだったグレンさんに「インペリテリとかシュラプネル系とかに紹介してよ〜」って頼んだら「ギャラ安いのになぜそんなにやりたい??」と不思議がられたことも(笑)

 

当時はシュラプネル・レコーズに入れたら大成功して、世界的に有名になって大金持ちだと思っていたのですよ。

 

今思えば、単なる速弾きギタリストレーベルでして、別にそんなジャンルで食えるわけは無いのですけど、当時は信じて疑っていなかったのですね。

 

若造の考え方だと思うけど、ただ、そういう無鉄砲さが発揮できて情報の少ない時代で良かったです。

 

今なら、ネットで調べてYou Tubeを送れば一瞬でコンタクト出来るし、そもそもレーベルに入る意味も無い。

自分の演奏を投稿してバズれば、まあまあ有名にはなれる。

 

ただね、僕たちは今ならそれだけのことを車で見知らぬ田舎へ夢を持って走った。

結果よりもプロセスが大切だと思うんだ。

 

僕はその無鉄砲さから人格形成をしたと思うし、そこで得た経験が自分の人間性の柱になっている。

 

 

 

インターネット社会は便利だ。

 

ただ、自分の目で見て、空気をすったという経験はインターネットでは出来ない。

 

 

 

52才の自分

 

今は別にそんなにアグレッシブな生活、冒険心のある生活はしていない。

ま〜この歳で冒険してベンチャーしまくるのも、色々とリスクがあるしね。

 

ただ、若い時に冒険したことは本当に良かった。

 

いや、長らくそういう気分は忘れていたけど、紙焼き写真をスキャンして簡単に思い出を辿れるようになると、自分という人間がどうやって、こうなったかを俯瞰で見られるようになる。

 

 

 

僕が面倒を見ている学生君たちに伝えたいのは、もっともっと世界を見てほしいということだ。

 

インターネットで見える世界では無く、異国の文化にふれること。

 

そして、夢を叶えるために行動をすること。

 

学校と家の往復でYouTubeに投稿する程度では駄目だ。

 

若い時には冒険をするべきだ。

留学で得た知識と技術も大切だったけど、それよりも車でアメリカを走り回ったことのほうが人生において大きな意味を持っていると思う。

 

そんなことを感じた昔の写真でした。