本邦初公開のMR.BIGのビリー・シーン ベース・クリニック in FUKUOKA 1998 | バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

最近は昔のアナログ資料をスキャンしたり、デジタルで取り込むことが趣味のケースケです。

 

VHSテープを取り込んでいて、面白い動画を見つけました。

 

 

MR.BIGのビリー・シーンさんのベースクリニックの秘蔵映像です。

 

 

今回紹介するビデオではカットしていますが、リハーサルシーンでは僕がお世話している様子が映っていて懐かしいと思ったよ。

 

このクリニックは1998年に福岡のイムズホールで行ったと記憶しています。

このビリー・シーンのベースクリニックをなぜ行うことになったのかを記憶を頼りに書きたいと思います。

 

大前提として当時SNSとかフェイスブックなど無くて、外国人のトッププレイヤーとコンタクトをとるのは至難の業だった時代。

 

 

僕は当時、福岡スクールオブミュージック専門学校(当時はFCA)の職員の2年目だったと思う。

 

その当時の学生がビリー・シーンを呼んでくれと僕にリクエストしました。

経緯は忘れたけど「呼んでくれなかったら辞める」みたいなことを言ってきた。

 

そして、僕(僕たち)に対して「どうせ呼べるわけ無いだろ。この能力なしめ! 」くらいの勢いで文句を言われたように思う。

 

そして、僕の性格を知っている人はわかるだろうが、「おまえっ!!呼べたら土下座せーよ!!」とまでは言わなかっただろうが、それくらいの気持ちで「だったら呼んでやろうじゃねーか!!!」となったとおぼえている。

 

そこで、同僚のダグ・ロスさんというベーシストと相談しながらナイアシン(というサイドプロジェクト)のツアーで日本来ている時に福岡に立ち寄ってほしいとメールして聞いてよ〜とお願いしたのだ。

 

↓このライブのときの来日だねっ

 

 

 

当時は芸能人のメールを探すのも大変だし、そもそも見つかっても連絡がつくのかな〜???みたいな時代。

今ならフェイスブックでいつでも話しかけられるけどさ。

 

結果的にナイアシンのツアー終わりに東京から福岡へ移動して来てくれることになった。

 

簡単そうに書くけど、ギャラ交渉とか、予算作ったりとか会場費とか色々と知恵を絞ってやったんだ。

僕も28歳くらいだったからイベントのプロダクション経験値も低くて大変だった。

 

 

今の僕の知識だったら「ビリーさん、ここにあるベーアンでとりあえずやってくださ〜い。」

とお願いできるだろうが、当時は外タレというのは雲の上の存在、今よりも普通に会話してくれる存在ではないと思ったし、

アーティストもSNSなんてしていないから、一般人とは大きな壁みたいなものもあった。

 

ビリーからは「アンペグのSVT2台用意してっ」て言われて、結果的に1台は東京から飛行機で空輸したように記憶している。

ナイアシンのツアーで使ったヤツだっけかな?!すごいコストを掛けてさ。

 

それくらい、当時はビリー指定のアンペグSVT(アンプ)が無いとやってくれないって思い込んでいたんだ。

 

今だったら、前記したみたいに「この高いギャラなんで勘弁してこのベーアン一台でお願げーします〜。」って頼むだろう(笑)

 

とりあえず、すべてが大変だったという記憶があるが、前半戦は学生のバンド合戦の審査員をしてもらい、後半にベースクリニックをして、最後にトゥービー・ウィズ・ユーというビルボード1位になった彼たちの曲をゴスペル演奏でプレゼンとして終わるという内容を作った。

 

 

映像を見てわかると思うけど、アンペグSVT2台でこの音です。

 

ディストーションとか、そういうのを繋いでいないの。

記憶ではMXRの小さなコンプを使っていたような気がする。

当時、ビリーはレコーディングスタジオのようなラックコンプを使っている印象だったので、

「こんなんでい〜の???」と質問したり、ベースを触らせてもらったりさ。

めちゃくちゃ質問したのを覚えている。

 

でさ、話をぶっ飛ばして、ここですごいトラブルがあってさ。

事前にベーアンの音作りを入念にしていたのに、当時のアホな学生がベーアンのつまみをゼロに戻しやがった。

学生が使いまわししているベーアンだと、たしかにリハ後で戻す必要はあったかもしれないが、

まーそんなことはしなくてもいいという話だが、どこのバカが戻したかわからないが、つまみをリセットしやがった!!!!

 

ビリーが登場してプラグインした瞬間に鬼のような表情になったが、結果的にはパパパってつまみをイジってクリニックスタート。

結果的にはいつもの音がしていたわけだが、そこでプロというのを見た。

あっという間に音作りして、あの音がするのよ。

プロというのはテクニックも大切だけど、オリジナルのトーンを楽器とアンプだけで作れるという事。

 

プリアンプがどーたらこーたらとか、歪がどーこーとYou Tubeでぶつくさ言ーとるのが結構あるが

プロはアンプ直で問題ないんだよ。

 

 

話を戻して、実際に彼のベースを試奏した印象は↓

 

弦高が低すぎて弾けない〜でした。

 

弦高が低いと言われている自分がこの人のベースはマジで弾けないと思ったのです。

それくらいに弦高が低いのです。マジでビビりました。

 ※ちなみに国内でも借りたベースが弦高低すぎて弾けないと思ったのはトッププロのJXXOさんのベース。

 

あの弦高だと、所謂ジャコ・パストリアス的なミッドの効いたブリブリとした音が出ないのです。

僕は比較的、リアピックアップ使ったジャコっぽいトーン、またはゲイリー・ウィリスのような音のほうが好きなので、対極のセッティングやな〜って思った。

 

それ以降「西本さん弦高低いですねっ」と人に言われても「いや〜高いほうですよ」と答えるようにしています(笑)

 

とにかく、ビリー・シーンさんというと複雑なエフェクターとか機材を使っているイメージがあるけど、ぶっちゃけSVT一発であの音だせるんだよね〜。

生音の時点でフレットに当たる音で歪んでいるような音。

彼の生音はまさにディストーションサウンドだったんですよ。

 

 

ちなみにロサンゼルスで彼の手伝いをした時はフルセット(ピアースのプリアンプ時代)を使っていたけど、ビビるくらいにローの無い音だった。

ステージ上で彼と同じ位置で聞いたんだけど、驚くほどのディストーションの量でさ本当にびっくりした。

常に不必要なローは出さないと言っていたし、ミッドレンジの大切さを言われていたので、実感としてそう思った。

 

僕の経験として彼と何度が一緒に仕事出来たことで、彼とは違うアイデンティティを身に着けなければならないと思ったし、明確に彼と比較されないようなスタイルをどうすべきかがわかった。

 

 

話を戻して、このライブ後には一緒に飲み屋にいって大騒ぎをしたんだけどさ、彼が女好きなので、結構たいへんで、僕はファンというかリスペクトしていたこともあるので、飲めて嬉しいと思った反面。

面倒くさいのでビリーさんをほって逃げて帰って寝てーなと思った記憶もある(笑)

 

ビリーさんとはアメリカ留学時代にレッスンを受け、そしてこの時に帰国後に初めてお仕事を一緒にし、その後ロサンゼルスで彼のライブの手伝いとステージ上での撮影というのをやらせて頂いた。

 

そしてその数年後にはビリーさんと一緒に現在KORNという世界的なバンドのドラマーのレイルジアーさんのビデオに出演した。

ビリーシーンさんと自分の名前が一緒にクレジットされたときは嬉しかったことを覚えている。

 

今では相当な有名人でないとドキドキすることも無いし、海外のミュージシャンといっても、スーパートップレベルのセレブ以外は、僕たちが恐れおののくほど別世界の人ではないとわかっている。

 

だけど、当時というのは外タレ=神であり別世界の人だったからね。

 

良い時代。

 

逆に言うと、今ではそんな彼らもギャラを払えば、日本人のYouTubeネタでも、すぐベース弾いてくれそうな感じになってしまい、なんか寂しい〜時代やな〜と思う。

 

僕たちの80年代という時代は外タレは神であり、手が届かない存在だったのにさ.......

 

今の子達はそういう雲の上の存在的な憧れは少ないだろな〜。

 

高校生に「誰を目標にしていますか」って聞くと、たいていは知らない地元のアマチュアバンドだったりするしな。

夢を目指すのに自分には負荷を掛けない世代、ハングリー精神は培われにくくて可愛そうな時代とも思う。

 

ということで、大昔のビリー・シーンさんのベースクリニックのネタでした。

 

今日はこの辺で!!!