イタリアのワイン、その中でも特にトスカーナのワインが好きです。
パッと明るく、インパクトも強い銘酒が多いと思います。

フランスはメドックのいわゆる格付けワインと呼ばれるモノもそれなりの本数を
飲んだとは思います。
もちろんめちゃくちゃ美味いモノがほとんどです。

でも、自分の味覚を司る脳のど真ん中に響くワインはあまりありませんでした。

好みの問題なのだと思います。
おフランスの高貴な味は貧乏家育ちの僕の舌にはきっと贅沢なのです。
(その他の国のそれぞれのワインが高貴ではないと言うことではありませんよ!!)



3年前に開かれた愛地球博。
妻(当時彼女)がスタンプラリーにハマり、結構な回数を行ったと思います。

何回か万博を訪れたある日、会場のブースのひとつみたいな感じで、
ワインの卸業者が試飲サービスをしているスペースがあるのを見つけました。

会場を歩き回って疲れていたのもあり、

     「ただ飲みしてくかっ!!」     と、僕。


懇切丁寧にそこのスタッフが僕らに入り込む。

決して悪くはないが特に気に入るワインが出て来るワケでもなく

     「ふーん、こんなもんね。」     と、僕。

席を立って帰ろうとする度に、新しいワインが出て来る。

そして、お味のランクも上がってきて・・・


結構な種類、量を飲ませてもらいました。
でも、ズバっ!!とくるモノはなく・・・

これだけ『ただ飲み』して、
買わずに帰るのは若干気が引けましたが、気に入るモノがないのに無理矢理買うのもねぇ・・・


再び帰ろうと席を立った時、そのスタッフが、

「ちょっとお待ち下さいっ!!とっておきのをお出しします!!」

あれだけただ飲みさせて、それこそ本当にただで帰したんじゃあ、
上司からの大目玉は避けられないでしょうから勝負を賭けて来たんでしょうね、彼も!!


結果は・・・負けました。

ロスタイムぎりぎりにカウンターで決められちゃいました。



   『コリオールヴィンヤード シラーズ 2002』



またもや長くなってしまったので続きは明日の『シラーズ3』で・・・



『ワイン』カテゴリなんかを起こしたもののどれだけのことが書けるのか・・・。

モルトなら素人なりに適当なことをチョイと語れる程度には知識もあるとは
思うのですが、ワインはねぇ・・・


お気に入りのイタリア料理店もしくはお気に入りの焼き肉店
(その他のお店にももちろん食べに行きますが、大半はこの2店舗)で、
赤ワインのフルボディを妻(当時彼女)と空け、その後行き着けのバーの
どこかひとつに飲みに行く(基本モルト)というのが、ドリーが生まれる前の僕らの
日常的な遊びでした。


モルトについてはそれぞれのバーのマスターがいろんなエピソードや
そのモルトのパフォーマンスなどについて語ってくれるので、
自然と自分自身の知識として身についてはいくのですが、ワインは・・・


ワイン・・・大好きです・・・。
でも飲むのはチーズなどのつまみとではなく、料理と一緒がベストです。

なので、ワインバーと呼ばれるようなお店には行ったことがありません。

イタリア料理店で飲む時は、その日の食事のメニューを決め、
それに合うワインをシェフにチョイスしてもらう。

焼肉店で飲む時は、ワインのリストがそれほど多くはないので、
何となく飲むモノが決まっていく。

当然、それぞれのお店、バーのようにカウンターでゆっくりと・・・ではありません。

イタリアンのシェフは少し手が空くと、僕らの席まで来てくれて
会話をすることも多いのですが、ワインについての質問をすると、
簡単に済ませて一言。

「美味けりゃいいじゃん!!知識なんていらんよ!!俺らプロが料理はもちろん、ワインなんかのお酒も勉強して、お客さんに美味いモノを出す。それでいいんだよ!!」

と、ごもっともな見解で返されちゃうんですよね。

なので、大した知識は身に付かず・・・

自分で調べて「学ぶぞー!!」ってことにするよりは、
美味しく楽しく過ごしている、その場のそのテンションで知りたい感じなんですよねぇ。

勝手ですかねぇ、僕って?

でも、それぐらいのテンションである趣味があってもいいような・・・
僕はハマり過ぎちゃうと見境がつかなくなってしまうので・・・



あっ!! 全然本題にも入らずこんなにも長々と・・・。



タイトルの『シラーズ』の一言も出て来ませんでしたが、
続きはまた明日の『シラーズ2』へと・・・ってことにさせて下さい。




大好きな作家の一人、重松清さん。

初めて読んだ作品

     『小さき者へ』

表題作を含む短編6編からなる小説。


最初のストーリー、『海まで』

これひとつ読んで僕は、『この小説家の作品は全て読もう!!』と、思いました。

まだ、全ての作品を読破してはいませんが、読み終えた作品の中でも
かなり秀逸な作品だと個人的には思います。



『海まで』についてもいずれこのブログ内で書きたいとは思いますが、
今日は表題作『小さき者へ』を・・・。



重松さんの作品はほとんどの場合、読み終えた時(読んでいる最中もかな)胸が痛くなります。
でも決して不快な気持ちが残るワケではありません。
そのことこそが重松作品の魅力なんだと思います。

作品の中に明確なメッセージはあまりありません。
読み手がどう判断するかというメッセージは含まれていますが・・・。



ドリーが生まれてすぐの頃、この作品を読みました。

正直、この頃の僕に父親という立場の自覚がしっかりとあったワケではないと思います。
どちらかと言うと、自分はまだ子供の立場として生きていたと・・・。
なので、自分自身の父親、母親とのあれこれに重きを置いて読んでいたように思います。



主人公は登校拒否の14歳の息子を持つ父親。
息子との直接的な関わりを持つ代わりに、手紙を書くというストーリー。

日々、その手紙を書いているうちに主人公は自分が14歳だった頃のことを書き始める・・・



ここで、主人公の父親(登校拒否の息子の祖父)が出て来るのですが、
その父親が本当に大事なところで息子(主人公)に発した一言が、
親である者の核でなければいけないであろう言葉だったのです。
もちろん親としてだけでなく、あらゆる人へ、そんな気持ちを持てたなら・・・と言う言葉です。



涙が止まりませんでした。
一体、世界中のどれだけの人が、この言葉を言えるのでしょうか?

心からそんな一言を言える大切な人が自分の周りにどれだけいるのか・・・
そんな人が幸福なことにいたとしても、はたしてその言葉をかけることができるのか・・・

また逆に自分に対してそんな言葉をかけてくれる人はいるのか・・・

過去のこと、これから先の未来のこと、いろんなことが瞬時に頭の中を駆け巡り、
涙が止まらなくなったのです。



その言葉とは

     『一緒に拾う』

これ以上のことを書くのは止めておきます。

是非とも、自分自身で読んでその暖かさ、優しさ、強さを感じて下さい。

僕なんかのつたない言葉の羅列では、
その本当の良さ(深さ)を伝えきることは出来ないので・・・。



先に、重松さんの作品はあまり結論じみたメッセージは含まれていないことが多いと書きました。
が、しかし、この作品は強いメッセージを発している作品ではないかと僕は思います。



もしもこの先、とても困難なことにブチ当たる時が訪れたら、
どんなに少なくとも、ドリーと妻にだけはこの言葉をかけたいと思う・・・