尾川永次のブログ -154ページ目

尾川永次のブログ

小説、ポエム、旅日記などなど徒然なるままに行きたいと思っています

「せめて一日置きにしてくれないか?」
毎日のように風呂で格闘を続けて半年近く。体育会系の屈強な男ならいざ知らず、
へなちょこ系の貧弱おじさんではさすがに辛い。俺は母親と親父に提案した。

納得はしてない。むしろ不満げだ。
だが自分が迷惑を掛けている事も理解はしているのだ。
本人にとっても痛し痒しなのだろう。明確な返事の無いまま
風呂は一日置きになり、少しだが気は楽になった。

それから数ヶ月。自力で風呂から出られなくなる中、もう一つ心配事があった。
それは糖尿からくる血管の狭窄による足の冷えだ。
父は寒いからと温風ヒーターの前に座り足を暖める毎日。
厚手の靴下を履いてるとはいえ低温火傷が心配だった。
何度も離れるように言っていたのですが聞く耳は持ってくれませんでした。

そして三月のある朝。再び母から叫びに似た声で呼ばれたのです。
下に降りてみると父が布団の中で震えていました。
「親父!」
「なんでもない・・」
今度は意識はあるようだが明らかに普通ではない。もしかすると肺炎かも。
状態からして急を要する様に観えた。
「病院に行こう。病院に」
「いい。行かない」と拒まれたが肺炎なら命に関わる。
一時間後父は救急車で病院に運ばれた。

敗血症だった。


日本では多分と言うか絶対に許可されないとは
思いますが出来るならやってみたい。

ヘリウムガス風船で上空散歩。

  尾川永児のブログ

  夜景が綺麗だろうなー。







「返事できますか、Iさん?私の声が聞こえてますか?」
救急隊員が親父の耳元で問いかけると小さな呻き声が口から漏れた。
聞こえているのかいないのか、分かっているのかいないのか・・。
それさえも分からないほど小さな呻き声が・・。

そんな親父を観て心に去来した始めて死を意識した瞬間だった。

やがて引き受けてくれる病院がみつかり救急車は四十分ほど離れたK病院に向けて
親父とお袋を乗せて走り出した。

「もう少し遅かったら危なかったかもしれませんね」
一時間後に到着した病院で医者から言われた言葉だった。
低血糖で危険な状態になっていたようだ。
点滴をして二時間後に親父を連れて病院を後にした。

後日分かったことだが通っていた医者からは色んな薬や漢方をもらっていたようだが
服用していたのは血糖値を下げる薬だけだったようだ。
それもでもまあ、なんとか事なきを得た。そう思っていたが、これを境に
親父の状態が変っていった。
転寝をするかテレビを観ている。
そして風呂から出られなくなり、食事も母親に食べさせてもらう。
でも酒と風呂だけは欠かさない毎日。

母に世話をやかせている姿は子供返りとでもいうのだろうか。
甘えている。そんな風に観えた。

親父は小さいときに両親から離れ親の愛情が希薄な人生を送ってきていた。
もしかすると親父が一番欲しかった物は妻の愛ではなく母親の愛なのかもしれない。

私にはそう思えた。