尾川永次のブログ -130ページ目

尾川永次のブログ

小説、ポエム、旅日記などなど徒然なるままに行きたいと思っています

 

⑤ 『家族』


「おじいちゃん!」

 

「え?」

足元を観ると孫の啓太が私の足に、しがみついていた。

小学三年生の啓太は長男、直哉の息子だった。


「啓太ちゃん!」章子が驚いた顔で言った。


 

「こうなると思ったんだ」

 

その声に振り向くと、直哉が夫婦で立っていた。

 

「直哉、何でここに・・・?」

 

「何でって、休み取るの大変だったんだぞ。急に行くって言いだすし、

 しかも布引観音まで歩くって聞いたから、四日間、終電近くまで

 残業して、やっと有休とったんだからな」


 

「お母さん大丈夫ですか?」直哉の妻、千鶴が心配そうに声を掛けた。

 

「千鶴さん…」

 

「おばあちゃん、大丈夫?」

 

「啓太ちゃんの顔観たら、おばあちゃん元気が出たみたい」

 

「無理すんなよ」

 

そう言うと直哉は章子に背を向けて、しゃがみ込んだ。

 

「俺がおぶって行くよ」


 

新平は驚いた顔で言った。

 

「お堂までは、かなりの山道だ。お前一人で章子を背負って、

 そこまで行くのは無理だろう


「よく言うよ。自分だってやろうとしてたくせに」

 

「出来るところまでやろうとしてただけだ」

 

「心配すんなって。もう少ししたら、三枝子が、だんな連れて来るんだよ。

 そうしたら、交代しながら登ることになってんだ」


 

「そうか。すまないなー、お前たちに迷惑掛けて」新平は神妙な顔で言った。

 

「俺だって親孝行がしたいと思う時もあるんだよ」


そう言って歩き出した直哉の背中に、思い詰めた顔で新平が声を掛けた。


「新平・・・」

 

「何?」

 

「俺は、俺は、仕事ばかりで親らしい事は何もしてやれなかった。

 本当にすまないと・・・」

 

 すると、直哉は立ち止まり、前を向いたまま言った。

 

「俺も三枝子も親父の背中を観て育ったんだ。それでいいじゃないか」


 

「・・・・」

その言葉に新平は俯いたまま、何も言えなくなっていた。


 

「おじいちゃん、泣いてるの?どこか痛いの?」

 

「眼にゴミが・・」と言いかけた新平が言い直した。

 

「嬉しく泣いてるんだよ」

 

「何で?」

 

「啓太のお父さんが優しくて、かっこいいからだよ」

 

「うん、お父さんかっこいいもん」

 

嬉しそうに答えた啓太と手を繋いで歩く私の前を、

涙ぐむ章子を背負い、直哉が一歩、また一歩と、

お堂へと山道を登って行く。


 

「お父さーん。お母さ--ん」


その声に振り返ると、三枝子達が手を振りながら歩いて来ていた。




④  『約束』


翌朝九時。



「行こうか」

「はい」
新平が差し出した手を掴んだ。

翌日、深緑溢れる千曲川沿いの駐車場に車を停め、

そこから布引観音に向けて二人は歩き出した。


駐車場からは直ぐに険しい山道となる。

健常者でも片道十五分は掛かる距離だ。

衰えた章子の足で、どこまで行けるのか、不安の中での登山となったが、

歩き出して五分、章子に疲れが見え始めた。



「少しやすもうか」

「そうね」

立ち止まって、弱々しく息を吐いた章子に、

この先の山道を歩けるとは思えなかった。


「これを」

「え?」

新平は背負っていたナップザックを章子に渡し、


背を向けてしゃがみ込んだ。

「貴方、どうかしたの?」

「昨日、約束しただろう。俺がおぶって行くと」


章子は驚いた顔で言った。

「何言ってるの。あれは冗談よ」

「俺は冗談を言ったつもりはないよ」

「無理よ。貴方だってもう若くはないんだから」

「お前の一人や二人、どうってことはない」

章子は新平の背中をじっと見つめた。

けっして広くは無い背中が、あの日のように大きく見えた。


「いいから、早くしろ」
「はい」
章子は新平の肩に手を回し、背中に乗った。

「しっかり捕まってろよ。よいしょ」
新平は章子の杖を使い、立ち上がった。
「ほんとに大丈夫?」
「ああ、軽いもんだ」
心もとない足取りで新平が歩き出した。

「どうだ、全然大丈夫だろう」

だが、それもまた五分とは続かなかった。

「はあ、はあ」
息が切れ始めた新平に章子が言った。
「貴方、降ろして。もう十分よ」
「まだまだ」
駄目よ。貴方が倒れたら私困るわ。お願い」

新平は立ち止まり、章子を降ろした。

「情けないもんだな。歳を取ると言う事は」
新平はナップザックからお茶のペットボトルを取り出し、投げやりに飲んだ。

「そんなこと無いわ貴方の足だって怪我してからは昔と違うもの。
 そうだわ!貴方、行って来て。お願いだから」
 

口を真一文に引き結んだまま、じっと山道を

観ていた新平が振り向いた。


 「ここじゃなくてもいい。二人で行ける所に行こう」
「でも、せっかく来たんだから…」

すると、新平は少し悲しげな笑みを浮かべて章子に言った。
「俺はお前と行きたいんだ」

「貴方・・・」

その時だった。

いきなり私の足に何かがしがみ付いた。



③  『愛しくて』

「疲れて寝れないかい?」
「ううん。大丈夫よ」

床に着いて三十分程して、寝返りを打った章子を観て、新平が訊いた。

「明日、布引観音まで歩けそうか?」
「勿論よ。でも、しんどくなったら貴方におぶってもらうから、心配してないわ」
「おう、任せてくれ」

章子は出会った頃を思い出していた。
慣れないヒールを履いてデートした時、くじいて歩けなくなった自分を
新平がおぶってくれたことを。

この人となら、共に歩いていける。
新平の背中で、そう思ったことを。

だが七十を過ぎた夫の足で、自分を背って険しい山道を
二十分も歩くことなど、不可能だと、章子にも分かっている。
勿論新平もだ。

言葉だけでも甘えたかった、そんな気持ちからだった。

少しすると、薄明かりの中、ぼんやりと天井を観ていた新平の布団に、
章子がそっと入って来た。

「ん?どうした?」
「いい?」

思いもかけない章子の行動に、一瞬戸惑いを見せた新平だったが
笑顔を浮かべて受け入れた。
「ああ」

章子は新平の腕に頭を乗せ、細くなった腕を新平に胸に廻した。

章子の温もりが、息遣いが、伝わってくる。
幸せな時間のはずなのに・・・。

何も出来ない無力感で新平の胸は押しつぶされそうな気がした。

すると、章子が上目遣いで新平に言った。
「こんな風に寝るなんて、何年ぶりかしら? 」
少し大きく呼吸した新平が、少し緊張した声で言った。
「眼を。眼をつぶってくないか」

「え?」
今度は章子が不思議そうな顔をしたが、直ぐに気が付いたらしく、
静かに眼を閉じた。

新平は章子の唇に、自分の唇を重ねた。
すると章子の眼から、涙が一筋、こぼれた。
新平が章子を抱き締め、章子もそれに答えた。

「貴方と一緒になれて、本当に良かった」
「俺もだ」

子猫の様に俺の腕に身を委ねる章子が愛しかった。

今が。
今が、いつまでも続いてくれたら…。
儚い夢を俺は願っていた。