12/23-1/9オーストラリア17日間の旅
この日程になったのは
Kirraの3回忌に立ちあえる日程で、
年末年始の飛行機の繁忙期を避けたから。
飛行機が安くなる期間を調べたらこの日程でした。
Kirraのママ(Kerry)には
「好きなだけ泊まれば良い」
「Hirokoのお世話を楽しみにしてる」と
言ってもらっていたものの、
私の日本人的な感覚では
「長くても3泊、本当の本当に長くても1週間が最大」。
長いかなと思いながら聞いてみたらOKとのことだったので
遠慮なくホームステイさせてもらうことになりました。
お土産にはペアの漆器を買いました。
私も欲しくなるような素敵な漆器。
安くはないけれど、はたと気づきました。
「2週間もお世話になるのに、
これではちょっと寂しい。。。」
そしてママに尋ねました。
「日本から何か、必要なものはありますか?」と。
漆器は私が良いと思って選んだけれど、
他の物は必要とされる物を持っていきたいと思いました。
その返事は
「日本ではお土産が大切な文化で重要だという事は
知っているけれど、私たちにはプレゼントは重要じゃないから、
何もいらない。オーストラリアで楽しむためにとっておきなさい」
ママに優しくされて泣きそうになって
(いや、泣いて)、
Kirraの命日にも泣くんだろうな、
命日を前にも泣くかもな、と思っていたら
もう既に大泣きする出来事が起きました。
出発を前に、髪を切りに行きました。
20年間友人に切ってもらうために
片道1時間半かけて通いました。
やはり遠いので、今年いっぱいで終わりにしようと
思っていると友人に伝えると、
サービスでパーマをあててくれるとのこと!
彼女の裁量で出来上がった髪型は
内巻きワンカールパーマでした。
またオーストラリアにあの時と同じ髪型で行くことに
不思議な縁を感じました。
私、一切注文してないのに、同じ髪型になった。
そしてその日の夜、私はとある男性に電話で「サヨナラ」を
伝えようと思っていました。
でも彼は忙しくて「また明日かけるね」と5分ほど話して
約束して切りました。
その後当時の写真を探したらありました、
高2の私、今と同じ内巻き1カール。
写真を見たら、
Kirraとの思い出がますます鮮明に思い出されて、
またあの時のようにKirraに髪を乾かしてもらいたくて、
会いたくて、会いたくて、涙が止まりませんでした。
もう、Kirraには会えない。。。
泣きながら、思いました。
「私、どうして生きている人にサヨナラ言おうとしてるのだろう!そんなこと、してはいけない!!」
Kirraのお気に入りの日本語の「ゼッタイダメ」が
聞こえた気がしました。
Just in timeでKirraが教えてくれた。
後悔せずに生きること、
生きている人に「サヨナラ」を言わないこと。
この2つを大切にします。
ビーチでKirraを感じてまた色んなことを感じる事は
間違いないと思っていましたが、出発前からこんなに
Kirraが話しかけてくれるなんてと驚いています。
良い驚きでもあり、オーストラリアでどうなるかなと
不安になったり緊張したりしています。
出発するまで忙しくて、
「南半球は夏だ」と夏服をなんとか
パッキングして、朝の5時20分に迎えに来てもらった
タクシーの車内でようやく一息ついて
天気予報を見たら最高気温38度になる日もあれば
最低気温13度の日もあるやーん!
やってしまいました、夏服しか持って来てない!
でもママに甘えて服は貸してもらうことにします。
Kirraの訃報は、
2011年にKirraと一緒に東京に来た友人が知らせてくれました。
彼女と出会っていなければ、知らないままでした。
去年のママとの再会は、24年ぶりでした。
これほど時間が空いているのにこんなによくしてもらえる
不思議なご縁に感動して、しっかり見てきます、色んなことを。
【Day-1 スケジュール】
・5:20タクシーピックアップ
・8:00伊丹発ー成田
・成田10:50ーメルボルン23:00
・時差は2時間
・今日は空港近くのホテルに泊まって
明日電車で2時間半の旅。
ママのところへ行きます。
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☆① - この旅の目的 [12/23-1/9 オーストラリアの旅]
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