映像の世紀バタフライエフェクト「カラシニコフ銃1億丁 史上最悪の殺人兵器」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

う5月20日、NHK総合で映像の世紀バタフライエフェクト「カラシニコフ銃1億丁 史上最悪の殺人兵器」が放送されてました。興味があったので早速みました。

放送の解説は、以下の通りです。

「人類史上、最も多くの人を殺した武器」と言われるカラシニコフ銃。80年前、ソ連で密かに生まれたこの銃は、誰でも簡単に扱え、故障知らずで、1丁10ドルから手に入る。

それゆえ、世界へ広がった。アメリカが敗れたベトナム戦争でも、アフリカ内戦の無差別殺りくでも、そして繰り返されるテロでも、使われたのはカラシニコフ銃だった。

人々の憎しみに取りつき、コントロール不可能なまでに巨大化したモンスターの記録である」とあります。

(ハマスのカラシニコフ銃)

冒頭にハマスによるイスラエルの襲撃から始まります。364人が死亡。40人が人質になった。

戦闘員が手にしているのは、人類史上、最も多くの人を殺した武器と言われるカラシニコフ銃である。

1947年に誕生したAK47を原点とします。

(AK47)

全世界で1億丁作られた。だれにでも簡単に扱え壊れずらい。1丁10ドルから購入でき貧者の兵器と呼ばれてきた。

(ミハイル・カラシニコフ)

開発したのは、ソ連の銃器設計者「ミハイル・カラシニコフ」であった。ロシアでは、英雄として賞賛された。

アフリカの内戦では、わずか9才の子供でさえ兵士に変えた。

(独ソ戦開戦

1941年6月、ドイツは、ソ連に侵攻し独ソ戦が始まる。独ソ戦に加わっていたミハイル・カラシニコフは、ドイツのサブマシンガンを見て自分で開発しようとした。

(AK47)

6年間かかり1947年式カラシニコフの自動小銃(AK47)が完成する。扱いやすく、水、泥にも強く寒さ、暑さにも耐えれる丈夫なものである。毎分600発撃つことができ、部品が少なく安価で組み立てができた。スターリンは、カラシニコフの存在を隠し続けたが、1956年のハンガリー動乱でカラシコフの存在が明るみに出る。

(ブルガリアでの生産)

1955年ワルシャワ条約機構を成立させたフルシチョフは、軍事援助の強化に踏み切りカラシニコフ銃を供与した。

中国まで提供した。

中国製カラシニコフ銃が完成する。

(ベトナム戦争開始)

ベトナム戦争が始まる。南ベトナム民族解放線線は、ソ連の中国から提供されたカラシニコフ銃でアメリカ軍と戦った。アメリカ軍の開発した自動小銃M16、扱いずらく劣るものであった。

5万人以上の戦死者をだしたアメリカは、1973年ついにベトナムから撤退した。敗因の一つに、M16があった。

1979年ソ連は、アフガニスタンに侵攻した。

迎え撃ったのは、イスラム義勇兵であった。共産主義からイスラムを守るためであった。

(レーガン大統領のイスラム義勇兵支持)

イスラム義勇兵を支持したのは、アメリカ政府でぁった。ベトナム戦争の復讐と考えるアメリカは、資金と武器を提供した。武器は、カラシニコフ銃で、40万丁に上るとみられ中国製であった。当時、中国とソ連の対立は深まっていた。アメリカは、その対立を利用し、中国から輸入したのだ。イスラム義勇兵の中にオサマビンラディンがいた。

1989年、ソ連は、完全撤退する。

1991年、アフガンの戦費が重くのしかかりソビエト連邦は崩壊する。あり余ったカラシニコフ銃を処分する武器商人が現れる。ビクトル・ボウトである。

(ビクトル・ボウト)

もとソ連軍に所属し、GRU(ソ連参謀本部情報総局)に勤務していた。混乱に乗じ軍の飛行機を調達して貨物会社を設立した。東欧諸国の武器(カラシニコフ銃)をアフリカに売りつけた。冷戦の時代、米ソの代理戦争が起こったいた。冷戦終結後アフリカから米ソは、手を引いた。アフリカには、武器だけ残され内戦が激しさを増していった。内戦を戦う両陣営に武器を売りつけ内戦がさらにエスカレートしていった。ボウトの築き上げた総資産は、6千億円以上と言われている。ボウトの悪名は、世界中に広まった。戦場に駆り出されるのは、子供だった。幼い子供達でも数時間で扱いを覚えられる。

2008年、おとり捜査でビクトル・ボウトは、逮捕される。逮捕されても、カラシニコフ銃の拡散は、止まることをしらない。

カラシニコフ銃は、各地で打倒アメリカの象徴になっていった。ヒズボラ、フーシー派、ISは、皆カラシニコフ銃を使った。

2013年12月、カラシニコフ死去。ロシアで国葬となる。ロシアは、国を挙げて武器を各国にうりつけている。2017年アメリカ製カラシニコフ銃が発売された。アメリカでの乱射事件で使われるのもカラシニコフ銃であった。2022年、ウクライナ侵攻でも両陣営でカラシニコフ銃は使

(ビクトル・ボウト、ロシア帰国)

われている。2022年12月、アメリカ・ロシア囚人交換でビクトル・ボウトは、ロシアに帰国した。いまも毎年20万人以上がカラシニコフ銃により命を奪われ続けている。今年の3月、モスクワのコンサートホールを襲ったテロ事件、ここでもカラシニコフ銃が使われていた。人類最後の日がくるまで銃はなくならないと言うカラニコフの話で終わっています。

自分は、テレビでISの戦闘員が常に保持している自動小銃が気になっていました。カラシニコフ銃でした。

驚いたのは、アフリカの内戦では、9才の子供に覚せい剤を打って戦闘員にしてカラシニコフ銃を使わせているのです。子供は、上司の命令には、絶対服従で殺人を繰り返してました。その武器の供給に死の商人と言われているビクトル・ボウトが暗躍していました。ロシア人です。

プーチンは、殺人兵器製造者の死を国葬にしました。

ビクトル・ボウトは、ウクライナをなぜもっと早く侵攻しなかったのかと怒るのです。ロシアという国は、国を挙げて武器を各国にうりつけています。この様子だと、ロシアのウクライナ侵攻は、そう簡単には、終わらないと思いました。

内戦で100万人が殺されジェノサイドと呼ばれているルワンダ内戦でも、AK47が使われてました。新しいのは、2023年10月、ハマスによるイスラエル襲撃、2024年3月、アフガニスタン過激派によるロシアコンサート会場乱射事件にもカラシニコフ銃が使われていた。

言えることは、使いかつてのいいカラシニコフ銃が頻繁に使われたのでした。もしカラシニコフ銃がなかったら、内戦、襲撃事件が起こらなかったのかと考えると、無くても別の兵器で発生したと思われます。兵器としてのカラシニコフ銃の優秀性は、確かに認めますが殺人兵器の作成者を国葬にするロシアの考えを疑いました。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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