アマゾンプライムで映画「国宝」が見れるという事で早速入会して見ました。原作を読み感想を書かせていただきましたが、前々から見たいと思ってました。今回見て実によくできた映画だと思いました。
監督 李相日
俳優 吉沢亮 横浜流星 渡辺謙
2025.6公開 174分
内容(wikipeia)
「1964年の長崎。任侠の一門「立花組」の息子・喜久雄は、抗争の最中に父・権五郎を目の前で失う。血飛沫の舞う雪景色の中で見た父の最期は、美と死が結びついた原風景として喜久雄の心に深く刻み込まれた。
天涯孤独となった喜久雄は、宴席に居合わせていた上方歌舞伎の名門当主・花井半二郎に引き取られる。そこで出会ったのが、半二郎の実子・俊介だった。
俊介は生まれながらにして名門の血を継ぐ御曹司なのに対し、喜久雄は芸の世界とは無縁の任侠育ち。しかし喜久雄には、人を一瞬で惹き込む異様な色気と、女形としての天賦の才があった。2人は兄弟のように育ち、同じ舞台に立ち、互いを高め合う。
学校帰りに踊りを磨き、父である半二郎から厳しい稽古を叩き込まれながら、歌舞伎役者として成長していき、やがて転機が訪れる。
半二郎が事故で舞台に立てなくなった際、本来なら跡取りである俊介が選ばれるはずだった代役に、半二郎は喜久雄を指名した。
その舞台で、喜久雄は観客を圧倒する。客席は熱狂し、「血筋」ではなく「才能」が舞台を支配した瞬間だった。しかしその成功は、俊介の誇りを深く傷つける。今まで対等だったはずの関係は崩れ始め、俊介は嫉妬と劣等感に苦しみ、喜久雄もまた「自分が奪ってしまったもの」に苦悩する。
さらに喜久雄は、芸を極めるために人間らしい幸福を次第に捨てていく。愛情より舞台を優先し続けたことで幼なじみの春江との関係もすれ違い、喜久雄にとって歌舞伎とは職業ではなく、自分の存在そのものになっていった。
一方の俊介は、血統ゆえに周囲から期待されながらも、才能の差に押し潰され、一時は歌舞伎の世界から逃げ出す。その中で父、半二郎は糖尿病になり、視力を失いながらも白虎を襲名することを決める、
三代目の半二郎は8年の間音信不通となった俊介ではなく喜久雄に渡すこととなるが、心の内では俊介に対する想いを持ちながらも襲名式で吐血して絶命する。
しかし、彼もまた歌舞伎から離れて生きることができず、再び舞台へ戻ってくる。後半では2人の人生は、もはや友情ではなく、芸に取り憑かれた者同士の宿命として交差していく。
喜久雄は各地を流浪しながら芸を磨き続け、伝説的女形・小野川万菊の存在に強烈な影響を受ける。万菊は「芸のために人間を捨てた怪物」のような存在であり、喜久雄はその境地に憧れながらも恐れていた。
やがて喜久雄は、愛も家庭も安定も捨て、舞台だけの人生へと沈んでいく。その中で万菊が病床の中で喜久雄を歌舞伎の世界に戻すことを頼み、再び歌舞伎の世界に戻ってくる。
再び俊介と舞台に立ち再出発に進む最中、俊介は父の持病の糖尿病の「血筋」まで受け継いでしまい、足を切断せざるを得なくなる、それでも舞台に立ちたいという願いで無理をして舞台に立ったことで遂に曾根崎心中の演目を演じきった後に息を引き取る。
そして長い年月の末、人間国宝にまで上り詰め、日本一の女形として称えられる存在となる。喜久雄は代表演目『鷺娘』を舞う。雪のように舞い散る紙吹雪の中、かつて父を失った夜と同じ“白い景色”が重なる。
観客は熱狂し、舞台はまるで人ならざるものが舞っているかのような神々しさに包まれる。その瞬間、喜久雄はようやく、自分が人生すべてを犠牲にして追い求めていた景色へ辿り着く。しかしそれは同時に、普通の人間としての幸福を失い尽くした果ての到達点でもあった。」以上が概略です。
映像の世界は、美しく、音楽と相成って感動を与えてくれます。特に二人(吉沢亮、横浜流星
)の演技は、二人息がぴったりでここまでくるのに相当な努力をしたと思いました。演目も「二人道成寺」、「二人藤娘」、「曾根崎心中」、「連獅子」、「鷺娘」等豊富です。
個人的には、喜久雄が国宝になったのは、だれにもまねのできない「阿古屋」(琴・三味線・胡弓の三曲を阿古屋自ら演奏する)を映画の中にはなかったのが残念でした。読書の感想にも書きましたが現実でこれを演じるのが坂東玉三郎です。映画で徳次は少年期のかたき討ちシーンくらいとの程度ですが、小説では、喜久雄の傍にいて守ります。初め準主役かと思いました。
途中、北海道から中国大陸に渡り事業に成功しますが、映画では大幅カットでとても残念でした。映画では、誰が演じるのか楽しみでしたが。
やはり、小説では、上下合わせて800頁ありますので、内容を絞りこみ作者の意図をくみとり、監督独自の視点で作り上げたと思います。
素晴らしい映画と思いました。
最後までご覧になりありがとうございます。
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