映画「鬼畜」感想 | リタイアライフのつぶやき

リタイアライフのつぶやき

65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

4月20日、BS松竹東急で映画「鬼畜」が放送されてました。興味があったので早速みました。

原作 松本清張「鬼畜」

監督 野村芳太郎

俳優 緒形拳 岩下志麻

1978年松竹映画 110分

「舞台は埼玉県・川越市。印刷屋を営む宗吉(緒形拳)は、妻・お梅(岩下志麻)に隠れ、料理屋の女中・菊代(小川真由美)を妾として囲い、7年の間に3人の子供を産ませていた。しかし宗吉の印刷屋は火事で設備の大半を失い、再建しようにも得意先の大半を大手の印刷会社に奪われ、融資の都合もつかず火の車。菊代に月々の生活費も渡せなくなっていた。生活に窮し業を煮やした菊代は3人の子を連れ、印刷屋に乗り込んできた。

愛人と隠し子の存在を知ったお梅は激怒し、子供たちの前で菊代と宗吉を攻め立てる。そして翌朝、菊代は印刷屋に子供たちを置き去りにして姿を消した。父として、なんとか子供たちを家に置いてやりたいと思う宗吉だったが、はなから「他人様の子供」など育てる気の無いお梅は、子供たちに鬼のようにつらく当たるのだった。まさに虐待そのものだったが、気弱な宗吉は子供たちに「おばちゃんの傍に行ったらだめだぞ」といい含めるのみだった。

ついに末子である次男・庄二が、お梅による育児放棄の末、衰弱死する。お梅は残りの子供も処分することを宗吉にせまり、宗吉は長女・良子を東京タワーに連れて行き、置き去りにする。さらに長男・利一をも毒殺しようとするものの果たせず、2人で涙に暮れる。

それでもお梅は譲らず、宗吉は息子を連れ、東海道新幹線に乗った。それは利一の死に場所を探すための、あてのない旅だった。やがて能登半島にたどり着き、日本海を臨む岸壁で、宗吉は利一を海に落す。利一は、漁師に助けられ命をとり止めたが、刑事達に事情を聞かれても、黙秘を貫くのだった。しかし利一の持っていた、石版印刷に使う石材のかけら(利一はこれを石蹴り遊びに使っていた)から足が付き、川越の印刷所に能登の警察が来訪。宗吉は殺人未遂の容疑で警察に逮捕される。

刑事に付き添われ、宗吉は北陸の警察を訪れる。自身を崖から突き落とした父を目のあたりにして、利一は涙を堪えながら「父ちゃんなんかじゃないやい!」「知らないおじさんだよ!」と否定する。そんな利一にすがりつき、宗吉は後悔と罪悪感で号泣するのだった。」以上が概略です。

過去に原作を読んで感想をブログで「長男が何度も殺されかけても最後まで親をかばったところでは、涙が止まらなかった」と書きました。今回も同じで涙が止まりませんでしたが、かばったのは、逆に親を見捨てたともとれました。利一の親をにらんだ眼をみて親にあきれたのかなともとれました。ストーリーが解っているので虐待のシーンを見るのがつらく、2回に分けてみました。

ただ、子役の演技がせりふの棒読みで、今のテレビの子役と比較するとこの当時は、ずいぶん劣っていると思いました。もう少しうまいと感動も違うのかなと思いました。

ここまで悪人になれるのかという映画で特に梅子を演じる岩下志麻が残酷ですが、自分の子でもある3人を殺そうとする宗吉演じる緒形拳がもっと悪いです。パンの中に青酸カリを入れて食べさせようとするが味がまずいと吐いてしまいますが、それを無理やり口に入れるシーンは、見ていてつらくなりました。自分が殺されるという殺意を感じていたかもしれません。小説では「父ちゃんと遊びに来て、眠くなったので眠った。その間に落ちた。」それしか言わず、父の名前、自分の名前等何を聞いても応えず、父をかばったのです。しかし、映画のように「父ちゃんなんかじゃないやい!」「知らないおじさんだよ!」という台詞は、小説にはないのです。

この台詞がないのに親をかばう切実さを小説のほうで感じたのは不思議でした。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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