司馬遼太郎「故郷忘れじがたく候」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

司馬遼太郎の「故郷忘れじがたく候」を読みました。

本の裏表紙には、以下の事が書かれています。

「十六世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。

以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの

痛哭の詩「故郷忘じがたく候」ほかに、明治初年、少数で奥州に遠征した官軍の楚さんな結果「惨殺」細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」二篇を収む。とあります。

「故郷忘じがたく候」は、実際、今から慶長の役(1597~98年)で、日本軍は10万人という兵力で朝鮮半島南部、全羅北道の南原城を攻め落とし薩摩の島津義弘が、陶工70余名を捕らえ日本に連れ帰ろうとしました。

しかし、戦いに敗れ、亡くなる陶工も多く、結果的には、17名が身分を与えられ望郷の悲しみに耐えながらも苗代川(現在の美山)に定住し、やがて高雅で気品に満ちた薩摩焼を完成させました。

幕末、薩摩焼を長崎経由で輸出して得た巨利はのちの倒幕のため一財源となり、また、慶応末年のパリ万国博覧会に薩摩藩独自で出品した12代沈寿官の白薩摩は異彩を放ちました。

2019年、92才で亡くなられた14代沈寿官さんを主人公にした短編です。370年前に連れてこられ拉致され、帰化せしめられても姓名を変えていません。

その14代が自分の生きる道について迷っておられた時のことでしょう、父の13代が14代を庭先に呼び、次のような話しをされたそうです。『息子を、ちゃわん屋にせえや』わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目もそれだけしかない、と13代が言って諭したとあります。

やみがたい望郷の念を抱きながら、朝鮮人としての誇りを持ち、薩摩人以上に薩摩人で、日本人以上に日本人として、活躍された14代沈寿官の話です。「国内初の大韓民国名誉総領事に就任するなど、日韓の文化交流に努めたことでも知られている。2000年、母校早稲田大学より芸術功労賞を受賞。2010年、旭日小綬章を受章。」(wikipediaより)

最後までご覧になりありがとうございます。
 

 

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