映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

1月4日、BS12で映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」が放送されてました。興味があったので早速みました。

監督 佐伯清

俳優 高座健 池部良 三田佳子

1966年東映映画 150分

内容(wikipedia、movie walker)

 

「時は昭和初期。花田秀次郎は宇都宮の石材採掘請負業を営む左右田組(そうだぐみ)の客人であった。

秀次郎の弟分である周平は、恋仲であるくみが左右田組親分の息子に惚れられていることを知りながら駆け落ちをする。秀次郎は駆け落ちは自分の差し金だと左右田組の親分に話を通しに行く。

駆け落ちは許されたがその代わりに、同じく石材採掘請負業を営む対抗組織である榊組(さかきぐみ)の親分を斬る事を命ぜられ殺す。

三年の刑期を終えた秀次郎は真っ先に榊組の親分の墓参りに行くが、墓前で偶然に榊組親分の妻(八重)子(和夫)に出会う。何も知らない和夫は秀次郎に甘え、八重も心よく秀次郎を家に招いた。

今では石切場は、左右田組がはばをきかせ、幸太郎を失った榊組は、未亡人八重の必死の努力もむなしく斜陽の一途をたどるばかりであった。

そのころ榊組には、この山の持主田代栄蔵の口ききで陸軍省から石千トンの注文が舞いこんでいた。榊組は今までの不況をこれで一気にもり返そうと張切つた。

だが一方の左右田組は御用達の注文から外され面白いはずはなく、手段を選ばぬ非道ぶりで、榊組の仕事を妨害した。またそのころ、影に陽なたに八重を助けて罪のつぐないをしようとしていた秀次郎も、八重をだまし続けることが出来ず、幸太郎殺しを八重に告白した。

ちょうどその時、幸太郎と八重を結ばせるため自から身を引いて満州に渡っていた榊組の元幹部畑中圭吾が帰ってきた。

事情を知った圭吾は秀次郎と対決した。しかし八重が必死に二人を止め、二人はその場を去った。が、目指すところは二人とも同じだった。

寅松のいる左右田組に向う途中二人はばったり顔を合せた。志を一つにする二人は、互いの非をわび、ガッチリと手をにぎり合った。

まず圭吾が、単身左右田組に殴り込み、宗二と相討ちで倒れた。そして次は壮絶な死闘の末秀次郎は寅松、弥市、徳三を斬った。よろめきながら一人山を降りる秀次郎の背中の唐獅子牡丹が鮮かであった。」とあります。

最初思ったのは、長谷川伸原作の「沓掛時次郎」と似ているということでした。博徒、沓掛時次郎は、ある日、一宿一飯の恩で三蔵いう男を斬る事になるが、倒した三蔵の妻子を面倒を見ることになり、ついに身元を白状するが、妻子は、好意を抱くようになるという話です。

一宿一飯の義理で、何も関係のない人を殺すという不条理の世界に生き、殺した人から頼まれごとをうけるという義理が発生し、義理を果たすうちに、人情が生まれるという長谷川伸の世界です。この映画も、客人であるがゆえに、面識もない親分を殺すことになり、殺した幸太郎の妻子に好意を寄せられる点が似ていました。この映画(昭和残侠伝シリーズ)の特徴は、時代設定は、昭和初期。新旧のヤクザ勢力の対立を描き、主役が高倉健、準主役が池部良でおおむね池部良は敵対勢力に与しながら高倉健と友情で結ばれ、最後は二人揃って殴りこみに行くのがパターンです。

今回もそのパターンは、変わらず高倉健と池部良の二人が雪降る中、殴り込みに行きます。その時、高倉健の「唐獅子牡丹」の歌がに流れ、映画館では、「待ってました」と声がかかります。

それにしても寒くないのでしようか、服は、ダウンコートでなく着物です。靴は、長靴でなく雪駄です。やはり、かっこいいです。下の動画をご覧ください。

懐かしくて仕方がない感じでした。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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(昭和残侠伝 唐獅子牡丹)