歴史秘話ヒストリア「日野富子」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

「9月18日、NHK歴史秘話ヒストリア「私はなぜ悪女になったのか 最新研究 日野富子」を見ました。

番組の解説は、以下の通りです。

「室町幕府8代将軍足利義政の妻・日野富子。高利貸しで蓄財に励み、息子・義尚を将軍にするため「応仁の乱」を引き起こした、日本史を代表する「悪女」とされてきた人物だ。しかし近年、悪女ではなかったとする説が唱えられるようになった。むしろ、蓄財したお金で応仁の乱を終わらせ、息子というより足利家や幕府全体のことを考え行動した人物だったというのだ。なのになぜ富子は「悪女」とされたのか?最新研究からナゾに迫る。」とあります。

実は、日野富子に関しては、海音寺潮五郎「悪人列伝」(近世編)の中のトップででてきます。

内容は以下の通りです。

「富子は、子供に対する溺愛に駆られて応仁の乱の原因を作ったり、その権力を利用して金を集め、それを大名らに高利で貸し付けたばかりでなく、コメの買い占めをやったりして、大いにもうけた。さらに富子は、応仁の乱で焼失した皇居を造営するという名目で京都に入ってくる道筋に7ヶ所の関所をもうけて通行税をとってもうけた。一番大事なところの欠けている才女であったといえよう。」この程度で、日本三大悪女と言われていますが中国の悪女から比べると、とても悪女といえないと自分では思っています。

今回、「歴史秘話ヒストリア」では、実は、蓄財したお金で応仁の乱を終わらせるために大名を国に帰す手助けに使っていたという事で、息子というより足利家や幕府全体のことを考えた行動だという事です。

この番組では富子はなぜ「悪女」とされたのか最新研究から以下の事がわかったようです。

応仁の乱後、将軍の力を見せようと足利義尚は、近江へ、足利義稙は、河内へ攻め入るが義尚は、病死し、義稙は、細川政元に捉えられ逃げ、義政の弟(政知)の次男(義澄)を富子は、将軍にするが富子本人は57才で死亡する。その後、細川政元が暗殺されたため、山口に逃げていた義稙は立上り将軍に復帰する。義稙の下に、かつてのライバルである畠山(尚順)と細川(高国)が手を結ぶことになった。トップは仲良くなったが下の重臣達は不仲であり、なんとかしようとした。そのため「応仁記」に和解の理由を記することになり、父、祖父の代では、畠山、細川は仲良く硬い絆で結ばれていることとした。不自然な筋書きのため、誰かを悪人にする必要がでてきました。そこで日野富子を応仁の乱の原因にし、幕府重臣の団結のため、日野富子を「悪女」にしたという事です。

これを聞いて、思わずどこかの国が同じようなことをしていると思わずにはいられませんでした。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

 

 

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