ぼく、ロンです。



(あっという間に時は経ち)先週末のこと

「仙石原のすすき草原が見たい」というママの希望で

ぼくの家族は箱根に出かけて行きました。


ぼくは悲しきかな、お留守番です。



「でもだって、こんなに絶景のすすき野原だったんだよ。」

ママが言います。









「白金色の、ロンの瞳の色に似た、すすき野原だよ。」










ママはこの風景を見ながら、


この本のことを思い出していたそう。



『ごんぎつね』






作:新美南吉

絵:黒井健

出版社:偕成社






ごんぎつねの絵本の中でも、


この黒井健さんの柔らかなタッチの挿絵のついたこの絵本が、いちばん好きなのだそう。



この絵本を隅々まで見ていると、


すすきはもちろん、


秋の草花が丁寧に描かれている。




さて、『ごんぎつね』。



少し前にママは、「ごんぎつねの読めない小学生たち、、、国語力崩壊の惨状」という記事を読んだんだって。



なにやら、、、



「子供たちが抱えた生きづらさをめぐっての取材を通し感じた問題点は、「言葉の脆弱性」であり、



彼らはボキャブラリーが乏しいことによって、自分の感情をうまく言語化できない、論理的な思考ができない、双方向の話し合いができない、ことにより生きづらさが増す。


そして現在、平均的なレベルとされる小・中学校、高校でも、現場の先生たちが子供たちの国語力に対して強い危機感をもっていることがわかり、

子供たちが言葉によってものを考えたり、社会との関係をとらえる基本的な思考力が著しく弱い状態にあるという。」


といった趣旨の内容(一部編集しています)だったんだって。


そしてその一例として、小学4年生の授業で、


「ごんぎつねの登場人物、兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があり、


教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたところ、各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだした」


と。



そして記事は、こう続く。



『お葬式はなんのためにやるものなのか、母を亡くして兵十はどれほどの悲しみを抱えているかといった、社会常識や人間的な感情への想像力がすっぽり抜け落ちている。』

(2022年7月30日配信『文春オンライン』より)


(共感できなかったにせよ、記事の是非はともかく)

ママはここまで記事を読んで、衝撃を受けたそう。


えっっ、『ごんぎつね』を題材にした授業で


教師が、生徒に聞くところ、そこっ???


もし、ごんぎつねの読めない子供たちが増えているのだとしたら、

それは大人の責任なんだろう、

導き方の問題なんだろう、

とママは思ったそう。


じゃ、『ごんぎつね』のテーマって、いったいなんなのだろう。


ママは、大人になってから、ずっとそれが分からないんだって。


いたずらを後悔し善意を持って償いをするごん、そうとは知らず火縄銃でごんを撃つ兵十。


その物語の悲劇的な終わり方に、絶望しか感じないんだって。


さて、作品中の17ページの挿絵で

いたずらをしたことを後悔して考えこむ、ごんの姿に

こちらのぼくの写真がそっくりなのだそう⬇︎






もしこの本をお手にとる機会があれば、

ぜひ見てみてください。