限界センサー、届く警戒音。 | 天然石ジュエリーのCanecryのブログ

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例えば人間とそっくりそのまま同じロボットをgoogle社とかホンダ社とかエゥーゴとかティターンズとかが開発したとしたら、それはロボットなのだろうか、それとも人間なのだろうか。

そのロボットは有機コンピューターによる高度な人工知能を搭載していて人間並の思考回路を持ち、皮膚センサー等により視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を感じることが出来る。喜怒哀楽を表現するプログラミングが施されており、精巧な樹脂の肌はそんじゃそこらのアイドルなんかより美しい。人間と同じよな食べ物を口から摂取して体内でエネルギーに転換して活動が可能であるし、トイレでの排泄も行う。

そんな人間そっくりの人工物は人間なのか、ロボットなのか。

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イスラム国が奴隷制度の復活を宣言したらしい。人間が売り買いされるのだ。そんなことはあってはならぬと並々ならぬ嫌悪感を覚えるが、これはわたしの生理的な感情による怒りなのか、それとも合理的な説明がつく事柄なのかが難しい。合理的になぜそれが悪いことなのかを考えてみよう。

アニメの世界名作劇場『トム・ソーヤの冒険』に黒人奴隷のジムというキャラクターが登場する。トムの育ての親であるポリーおばさんは黒人奴隷のジムに酷い扱いをすることもなく(トムがイタズラしたらムチで打つけどね)、朗らかに接しているのでジムは普通にトムの家の雑用をこなし、生活の糧を得ている。奴隷というよりも使用人である。ジムはポリーおばさんに感謝しているし、ポリーおばさんもジムに感謝している。当時のアメリカには奴隷制度が残っていたとは言えど、これは幸せな姿である。

まずもって我々は『奴隷』という単語に嫌悪感を抱く。『殺人』という単語にも同様の忌々しさを覚える。それは何故か。簡単に言うと、自分は他人の奴隷にもなりたくないし、殺されたくもないからだ。人間の作った『法律』と謂うものは『自分がされたくない事』で出来ている。

『自分がされて嫌なことは、他人にしてもいけません』日本人なら幼稚園で習う風習・言葉だ。相手は自分を写す鏡であるから、殴ったらば殴り返される、愛すれば愛されるのだ。当たり前の話である。

みんなー愛してるぜ!(←なんか80年代のロックバンドみたいなノリ)

おやすみなさい。

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