
このトシになると、普通はまぁ自分の可能性とか将来性とか、いわゆる実力みたいなもんがかなり見えてきて、高望みしないと申しますか、夢を抱かないと申しますか、1日1日を波風立てないように生きていくと申しますか、ともかく、黄昏に近づいた己の人生という船を無難に操舵していきたいと願うものでございます。
いや、しかし、どうもね、そうはならないというか、そうしたくないというか、わたしの中の悪魔がささやくというか、「そうはなりたくねえな」という機運が近年にわかに高まっており、10代でもあるめえし、どういう精神構造だよ、と、自分を戒めておることもしばしば。なんなのでしょう?中年の危機ってやつでしょうか?
そもそもねぇ、昔っからあんま落ち着きたくないっていうか、常にワチャワチャしてたいっていうか、そういうところがありまして、世間では美白!紫外線は敵!みたいな風潮になっている昨今でも、無駄に反骨精神を発揮してしまい、へっ!知るかよ、ビーチでも日影になんかいかねぇぜ!とばかり、海でもガンガンと日光を浴びておりましたら、肩が日焼けしてなんかヤケドみたいなことになり、こりゃ、シミになるなぁ...と、後悔にむせび泣く日々なのでございます。いや、バカかよ。
もともと恥の多い、バカみたいな人生を歩んでおりますが、このトシになって頑固になったぶん、バカにも磨きがかかっており、己に向かっていく破壊力は、そりゃもう凄まじいものになっております。ああ、こんな感じで自己破壊を繰り返して最後にはアホな死に方をするんだろうなぁ...と、己の最後に想いを寄せたりもするのですが、なんだろうね、たぶんだけど、ヒトが生きてるってそんなもんなんですよ。無駄でバカなもんなんですよ。
と、開き直ったところで、なにか状況が変わるわけでもなく、なんらかの展望が開けるわけでもないのですが、少なくとも自分というものがバカで、しょーもないという事実には向き合っているので、まぁ、いいか、と。
自覚のないバカより、自覚のあるバカの方が、希望はあるのかな、とか思うのですが、よくよく考えてみると、たぶん幸せなのは自覚のないバカです。

先日、なんかナジミの釣り場で釣りをしていたら、釣り人のじぃさんがツカツカとわたしの釣りしてる場所にやってまいりまして、「ここは立ちションする場所なんだよ!」とか、軽くクレームをつけられました。
いやいや、立ちションて。まぁ確かに堤防の端っこで、テトラポッドの陰になってて、人目につきづらい場所だけど、立ちションて。つか立ちション自体が違法なんでクレームつけられる筋合いねーし!いやでも、まてまて、そんな場所でわたしは釣りしてたんかよ!うえええええ!とか色々な想いに、こうフンワリと包まれたのですが、まぁ、根がボーーーっとしてるもんでね、平常心を保ちつつ、こう答えました。
「気にしませんので、どうぞ」
じじぃ:「できるか!!!」
その後、なぜかなごやかなムードになり、釣りの話などしつつ、ミカンを貰いました。立ちションじじぃのミカン...
じじぃは立ち去り、どこかで立ちションしてきたらしい。いやよかったよかった。別にじじぃのちんちんとか見たくねーし...
さてこの場合、わたしとじじぃ、どっちが自覚のないバカで、どっちが自覚のあるバカなのでしょうか...いや、なんかそれを考える事にも意味なんかない。人生とはたぶんこういうものです。釣りと立ちションが取り結ぶ縁。ミカン。一期一会。




























