新生バレー部
私がバレー部を辞めてから、何ヶ月も経ったある日、
Jさんに、「バレー部の大会を見に行こう」と誘われた。
いやだった。
でも、私にとって「Jさんからの誘い」は絶対なのだ。
見たくない試合を見に、某大学へ。
札教大男子バレー部は、私の見たことのない選手も入り、新しいチームになっていた。
……ひどい。
惨敗。
「辞めてよかった」とはさすがに思わなかったが、「このチームに俺がいなくてよかった」と思ってしまった。
ただ、バレーを続けている選手がうらやましかった。
バレーがしたい。
でも、このチームではプレーしたくない。
この相反する気持ちが私の中で渦巻いていた。
その後、バレーがしたいという気持ちを押し殺して学生生活を送っていた。
「あんなチーム、入りたくない」
「なんでバレーを辞めたの??」
何度も繰り返されるこの質問にイライラしていた。
失恋が原因だと思っている人もいたようだ。
そんな単純なことで誰が辞めるもんか。
「あんなチームでやりたくないから」
と、冷たい答えを返すことしか私にはできなかった。
Jさん
今まで、何度もバレー部をやめようと思った。
自分がしたいバレーができないから。
サークルのような部活に飽き飽きしていた。
でも、一人の先輩(以下、Jさん)が、私のしたいバレーと同じバレーを目指していた。
「この先輩と一緒にもう少しがんばってみよう」
私は、Jさんがいるからバレー部を続けられた。
Jさんの引退、秋季大会。
正直、当時の私はJさんにしか心を開いていなかった。
Jさんが、心の支えだった。
だから、私もこの大会で最後にするつもりだった。
結果は、1勝3敗。
同じ志を持ってバレーに打ち込んでいた先輩が引退してしまうというさびしさと、
最後の最後までチームのために何もできなかった自分が悔しくて、
号泣した。
そんな私を見て、「ありがとう」と言いながら一緒に泣いてくれたのも、Jさんだった。
「次からは、俺がJさんのようにならなければ」
と、心に決めた。
私は、バレーを続けることにしたのだ。
秋季大会後の練習。
私は、大会で怪我をしてしまったので、数日間はマネージャーをしていた。
「いつから練習できるようになる??」
チームの皆は、私の早期復帰を願ってくれていた。
「選手」としての私を必要としてくれている。
これは私にとって、とても喜ばしいことだった。
「Jさんのような、チームの心の支えになれる選手になりたい」
という目標ができてしまったから。
翌週、怪我は完治していなかったが、
「選手」として練習に参加した。
マネージャーとしてコートの外にいたときは感じなかった。
「いつもの練習と何かが違う…」
Jさんがいない。
私は、Jさんのような選手になるため、
普段見せないようなやる気を皆に見せた。
しかし、私はJさんにはなれなかった。
やはり、私は「心の支え」になれるような器ではなかったのだ。
私は、Jさんにしか心を開いていなかったから。
その時、
本当に「横山拓史」という人間を必要としてくれているのか、という疑問が私の中で生まれてしまった。
そこそこバレーができる「選手」であれば、別に誰でも構わないのではないかと。
これが、私が一度バレー部を辞めた理由だ。
今思うと、これは私の被害妄想でしかなかった。
自分のことしか考えていない自分に
当時の私では気づくことができなかった。
染みる
溜め息のわけを聞いてみても
自分のじゃないからわからない
だからせめて知りたがる
わからないくせに聞きたがる
あいつの痛みはあいつのもの
分けてもらう手段がわからない
だけど力になりたがる
こいつの痛みもこいつのもの
(真っ赤な空を見ただろうか/BUMP OF CHICKEN)
染みます。
非常に染みてきます。
自分のことしか考えられていない、今の私に「喝」をいれるかのようなこの歌詞。
染みる。