あれからー『幻の旅路』に登場した人々(3)
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(9)ディーニュのホテルの子供たちーノエミ
1 『幻の旅路』より ディーニュのホテルの家族と
2 『幻の旅路』より ディーニュのホテルの家族と
3 『幻の旅路』より ディーニュのホテルの家族と
ホテルのオーナー、ミスター・リコーが亡くなった後、長女のノエミが後を継いで、ホテルのマネージャーになった。
でも、彼女は料理をするのは大得意だが、お客の接待が苦手。
母親にテーブルを回るのは任せていた。
2017年にディーニュを訪れた時は、お母さんは初期のアルツハイマーになっていた。
ホテルは昔のまま。
格式のある独特な雰囲気を持ったホテルだが、今風ではない。
友だちのドミニクをランチに招いたら、彼女、大学でビジネスを教えているせいかとても辛口の批評家。
幾つも空席のあるレストランを見回して、壁紙も古いし、ひと昔のホテルだから、これでは商売上がったりだ、と言っていた。
ホテルの家族は私にとっては家族同然。
3人の子供たちはすっかり成長して、ノエミはホテル経営、ライオネルは消防士、マリエルは心の病気があるので休み休み仕事をしている。
でも誰一人結婚していないから、ホテルの後を継ぐ人もいない。
ミセス・リコーは美しい女性で年取ってもそれは変わらなかったが、2018年、2回目に訪ねていった時は施設に入っていた。
2021年にはコロナに感染して亡くなった。
ノエミからいつもこれからどうしていいか迷っているというメールが届く。
山の家をレンタルにして、そこでレストランを開こうかとも考えているが、先のことを考えると不安になると書いてあった。
現在、ホテルは閉鎖している違いない。
私がずっと昔訪れた時は、村の人たちがいつもランチに来ていたし、盛大な結婚式があったりして、それは、それは、楽しい賑やかなホテルだった。
いまはアルプスの北風が吹く谷間にひっそりと建物だけが残っている。
昔が華やかだった故に、なおさら悲しさと寂しさが交錯する。
子供たち3人に今すぐにでも会いに行きたいが、何せこの体と現状を考えると絶対不可能。
とても残念だ。
ディーニュのホテルや町の様子がわかる動画
(10)ドミニク
1981年、フランスのお城めぐりをしていた時に、城を案内してくれたドミニク。
頑張り屋さんで努力家。
2010年だったか、『幻の旅路』を編集している時だった。
アメリカに来て、ロス・アンジェルスにも寄ってくれた。
得意の英語を使って、インターナショナル・ビジネス大学の教授になっていた。
娘が通っていたサンタ・バーバラの大学のキャンパスを案内したり、パロス・バルデスをドライブしたり、楽しい時間を過ごした。
ドミニクを案内したパロス・バルデスとサンタ・バーバラの動画
2017年、2018年とディーニュを訪れた時、マルセーユから車を飛ばして会いにきてくれた。
前向きな飾らない人柄で、猫ちゃんとハズバンドとマルセーユから少し離れた古い町に住んでいる。
しっかり者の彼女、老後の計画もきちんとできていて、経済的に困らないように、自分の名前でアパートを持っていると言っていた。
(11)ベニスのホテルで出会った大学教授の親子
もう2度と会うことも連絡することもない人たちだが、心に残っている人たちがいる。
その中の一人、二人といったらいいだろう。
心に残っているというと、何か特別な意味があるように聞こえるが、実は私の恥ずかしい経験に結びついているので、思い出したのである。
これは話すのには勇気がいるが、私がひどく『ケッチった話』である。
1981年、ベニスを訪れた時、島中が洪水で、宿泊したホテルも冠水した。
そのホテルで出会った大学教授とその娘の話だが、島を訪れた後、キャフェテリアで食事をし、私が少しばかりのリラが足りなくて、大学教授に立て替えてもらった。
確か、50円ぐらいだったと思う。
正確な金額は忘れてしまったが、とにかく少額である。
あれと思ったのだが、彼はその時、いいですよと言わなかった。
もちろん翌日返金したが、彼らとのお付き合いもそれでおしまい。
それから何十年も経った時のこと。
今度は、私がひどくケチをして、それがいまだに気に掛かっている。
どうしてそのような行動に出たか、自分でも理解できないのだが、確かに、その時の一瞬の判断で、「割り勘にしましょう」と私から申し出たのだ。
しかも、たった800円のトマトジュースの代金を支払ってあげず、そう言った私の『ケチ根性』。
余りのケチさに、自分でも呆れてしまうが、どうもわからない。
言っておくが、私は決してケチな人間ではない。
話はこうだ。
『幻の旅路』を母校の小学校に寄贈しようと、学校を訪れ、校長先生と学長先生にお会いした。
帰り際に、学長先生からアメリカに移住したい女性がいるので会って欲しいと頼まれた。
それでその彼女に会ったのだが。
韓国人で、日本人男性と結婚している。
小柄なとても可愛い、誰でも好きになりそうな感じの女性だった。
日本人好みの韓国女性と言ったらいいだろうか。
日本にいるのがとても楽しそうで、仕事も持っていて、周囲の人たちからも優遇されているような印象を受けた。
彼女の作品だったか、あるいは他の作家だったか、忘れてしまったが、スエーデンに養子に送られた韓国の子供たちについての本をくれた。
会話が終わって、席を立つ時、私はどうした訳か「割り勘にしましょう」と言った。
なんとしたことか。
ケチもケチ。
最高にケチなおばさんだ。
たった800円なのに、自分の分は自分で支払ってもらった。
さて、これからが本題。
その時の私の心理を色々な角度から分析してみると。
*私はもちろん絶対彼女に偏見など持っていない。
彼女が韓国の人だから、そうしたのではない。
*彼女自身、経済的に困っているようには全然見えなかった。
*とても可愛い魅力的な女性で、日本の社会でも、彼女を優遇しているように見えた。
*アメリカに夫婦で行きたいと言っているが、何が目的かわからない。
ただ、アメリカの方が生活しやすいからと安易な期待を持っているようだった。
*今回は私の方からではなく、彼女が色々と情報が欲しくて、私と会った。
*これから先、会うこともないだろう、あるいは、特別にまた時間を作って会う必要もない人に思えた。
と、まあ、そんな色々な理由で、「割り勘にしましょう」と、口から先に、ついその言葉が出てきてしまったのだ。
それから何年も後になってからも、この時の判断が正しかったかどうか、疑問に思う。
やはり年上の私が支払うのべきだったのではなかろうか。
いや、この場合、私の方が彼女のために時間を作って会ってあげたのだから、これでいいのだとか、色々考える。
自己弁護に過ぎないかもしれないが、極めて少額でも、奢ってやったり、割り勘にしたりという行為には、とても微妙な心理が働いている。
『幻の旅路』に出てきた大学教授の行動も、軽はずみに非難したが、彼も一瞬のうちに色々なことを考えて、そうしたのかもしれない。
ということは、私こそ思慮が足りなくて、批判されるべき立場の人間だったようだ。
それにしても、長年アメリカに住んでいて、見栄も、恥もなったのか、それとも合理性を追求する姿勢が身についてしまったのか、自分でもどちらかわからない。
多分、全部が当てはまるだろう。
とにかく、『ケチおばさん』の悪名のレッテルは一生ついて回りそうだ。
P.S.
*記事を載せてから、自分のとった行動について、また色々と考えています。
あの時、彼女の分を支払っていたら、こんなに迷うこともなかったのですが。
実は、私の場合、アメリカ留学を決心してから5年の月日を費やしました。
家族も親戚もいない国で、一人で生活することは、大変なことでした。
それに比べて、この女性は異国の日本でも、夫の収入で生活が安定して、快適に過ごしているように見えました。
夫婦揃ってアメリカ移住することも、とても安易に考えている印象を受けたので、これから先、これ以上、彼女の手助けをする必要もないと感じたのでしょう。
(12)私自身のこと
『幻の旅路』の中で次のエピソードを覚えていますか。
*ジュネーブに行く列車の中で一緒になったフランス人のお婆さん。
友だちを訪ねていく途中でしたね。
自分が年取って忘れっぽくなっているのを棚に上げて、色々と愚痴をこぼしていました。
2 『幻の旅路』より ジュネーブに行く列車のなかで
*フランス・リビエラの海岸。
モントンという町のレストラン。
むっつり顔で食事をしている老人たち。
話すことは、ここが痛い、あそこが痛いと病気のことばかり。
あるいは誰が亡くなったとか、暗い話ばかり。
これでは笑い顔など出てきません。
*列車の中で出会った足の悪いアメリカ人中年の男性、私に断りなく、私のスーツケースの上に両脚を載っけていました。
その時は失礼な男性だと思ったのですが。
実はね。
白状しましょう。
2019年、スイスに行った時でしたか。
私も脚が腫れて痛くて仕方がないので、空港に向かう朝の通勤列車の中で、座席の前に置いた自分のスーツケースですが、その上に両脚を載せていました。
もちろん靴は脱いで載せましたよ。
駅に着いた時に、お行儀が悪くてごめんなさいと一言謝ったら、体の方が大切だからとかなんとか返事が返ってきましたが、
「無作法な日本人のおばさん(おばあさん)だ」と思われたに違いありません。
『幻の旅路』より マルセイユに行く列車のなかで 余計な節介を焼く
本の中の私は、若くて元気で、足も痛くなく、いつも笑っていたけれど、今の私はすっかり年取って、上に描かれている老人たちの姿です。
何もかも、あれからすっかり変わりました。
『老いと病い』が同時に襲ってきて、その調整に戸惑っている私です。
先日ドライクリーニング屋さんに行ったら、お店の人が「疲れた顔をしているね」と言いました。
苦労して育てた養女が今はすっかり成長して、4月にはママになりました。
私も立派な『おばあちゃん』です。
次の世代が無事この世に生まれてきたので、私たち夫婦の使命も一応終わった気がしました。
将来がある赤ちゃんのニュースは、老いていく私たちに元気を与えてくれます。
『幻の旅路』は、日本中の図書館、大学、そして、アメリカにある日本語学校、日本語科目がある大学に寄贈しました。
このブログにも、いくつかハイライトのエピソードを引用して載せています。