『幻の旅路』大湾節子のブログ
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Travel Photography and Music - Ear Worm・私たちのこと

*3/1  2am

夫の転倒を防ごうとして体をひどく捻り、電流が背中を走りました。

脊髄骨折の激痛で今も尚、休んでいます。4/17

 

 

Lake Thun, Switzerland

 

 

Hunegg Castle, Switzerland

 

 

Lake Luzern, Switzerland

 

 

Oberhofen, Switzerland

 

 

Europe

 

 

Around the World

 

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Ear Worm
 

多分昨年の夏の終わり頃だと思う。

毎日、ハモンド・オルガンの単調な旋律が繰り返し聞こえてくる。

近くの教会からか、お隣からかと、あまり気にしなかったが、それが朝も晩も一日中流れてくる。

聞いたことのない曲で、馴染みがないが、何回も流れてくるので、メロディーは頭に入る。

気をつけてみたら、なんと朝起きた時から、寝る時まで24時間中、耳の奥で流れている。

調べてみたら、Ear Worm

耳障りなことこの上ないが、治療法もないらしい。

 

「音楽なしでは生きていられない」と、大層なことを言っていたが、音楽をいつも流していたせいだろうか、アンデルセンの童話『赤い靴』ではないが、靴が脱げなくなって踊り続けた女の子のように、私も音楽が頭から抜けなくなってしまった。

 

知らない単調な曲が、いつの間にか、『マダム・バタフライ』の『ある晴れた日に』のアリアに変わった。

好きな曲だったが、24時間、休むことなく耳の奥で流れてくると、いささかうんざりしてくる。

なんとか逃げ道はないか、と色々と検索し、結局、他の曲が流れるように、頭の中のコンピューターシステムを変えることにした。

それで、色々と自分の好きな、というより、好きだった曲を頭の中に無理にインプットする。

好きな曲というより、今は過去の話だから、好きだった曲とはっきり言っておく。

いくら好きな曲でも、何十回、何百回と聞かされると、正直言って、否定的な感情しか湧いてこない。

 

それでも、初めに流れていた憂鬱な曲よりもマシなので、そのままにしているが、なんともかとも、嫌な現象が頭にこびりついてしまい、これが一生続くのかと思うと憂鬱になってくる。

ビジュアルな幻覚症状と同じような現象で、この場合、聴覚の方に同じ現象が生じたらしい。

 

どんな曲が途切れもなく流れるかというと、以下のような曲。

気がつくと、壊れた昔のレコードのように、途中から同じ旋律が繰り返し流れて、終わりがない。

無理に次の曲に自分で操作しないと、変わらなくて、大抵気がつくと、『マダム・バタフライ』に戻っていることが多い。

クラッシック音楽も登場するが、さわりの部分だけ。

全曲は、私の頭の中に正確に入り込んでいないのだろう。

これも途中から、単調な旋律が繰り返される。

バイオリンの曲もピアノ曲も、古いハモンド・オルガンの演奏で、色で例えると灰色。

明るい曲も皆同じモノトーンの印象になっている。

 

1. Madam Butterfly “One Fine Day”

2. Begin the Beguine

 

 

3. Fly me to the Moon

 

 

 

4. Love is a Many-Splendored Thing (映画『慕情』のテーマソング)

5. Stardust

6. Estrellita エストレリータ

 

 

 


7. Sound of Music

イタリアの民謡も登場する。

8.  オーソレミオ

9.  帰れソレントへ

10. アマポーラ

11. ボーラーレ

クラッシックはこんなような曲。

12. Romance (ショスタコーヴィチ)

13. Second Waltz (ショスタコーヴィチ)

14. Grand Canyon Suite, On the Trail (ファーディ・グローフェ)

15. 前奏曲とアレグロ (クライスラー)

 

生きている間、美しい音楽を聴き続けていたいと願っていたが、まさか、こんなことになろうとは。

なんでもやり過ぎるとー私の場合は、音楽の聴き過ぎー朝から晩まで、音楽を聴きながら仕事をしていたーこんな結果になるので、お年寄りの私から若い人に警告しておく。

なんでもやり過ぎはいけないよと。

 

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P.S.

2023、クラス会の返信にこんなことを書いていました。

『こんな生活の中で、一番の楽しみは友人が送ってくれた日本茶を朝一番に飲むこと、大海原に浮かんでいるような満月を眺めること、それにクラッシック音楽を流しているラジオを聴くことです。

お茶はすぐになくなってしまいますが、目が見える限り、耳が聞こえる限り、満月も音楽も一生楽しめます』

大好きだった音楽も、24時間、休みなしに流れてくると、いささかうんざりしています。

 

 

Joshua Bell - Estrlllita

 

 

Dimitri Shostakovich- Romance


 

『私たちのこと』

 

友人から思いやりのあるメールが届いても返事が出せない。

私からの報告は病気の話ばかりで、同じことの繰り返し。

読む方もうんざりするだろうと思うと気が進まない。

それで相手には悪いのだが、返信を送っていない。

 

もう少し正確に言うと、今の私には、返事を書く時間も余裕も、それに体力もない。

それが、第一の理由だ。

毎日、ひどく疲れて、脚を上げて休まないと、体が動かないのだ。

 

11月だったか。

ひどく疲れて、夕食後、うとうとして、椅子から転げ落ちた。

いつも椅子に腰掛ける時は、脚を下に下ろしておくと腫れてくるので、ヨガの姿勢、つまり、行儀が悪いが、あぐらをかいて座っている。

そんな格好で座っているから、居眠りをしたら、体ごと床に投げつけられた。

強い痛みで目が覚めたが、幸いなことに、近くにあった三面鏡にもぶつからず、骨も折れていなかった。

今も、夕食後は1日の疲れが出て睡魔が襲ってくるが、椅子の上では、目を瞑らないようになんとか頑張っている。

 

ここ数年、夫の介護、それに自分の足と脚の自己治療に時間が取られ、少しでも時間があると、ソファーに横になって休んでいる。

 

昨年の11月から、世界中のニュースから遠ざかり、テレビも見ないし、ラジオも聞かないことにした。

実は、11月はひどく落胆した月で、それ以後、ニュースを見るのが嫌になった。

時間もないこともあるが、Guardian USAのサイトも一切見ていない。

当然、コンピューターの前に座る時間も少なくなった。

 

2022年、夫は病院の駐車場の階段を踏み外して転倒して以来、急激に症状が進んできた。

昨年もたびたび転倒し、その度に911を呼んだり、救急車で緊急病院に運ばれたりと、息つく暇がない。

救急車が運んでいってくれた所は、近くの病院で設備も対応もひどく悪く、午後3時にチェックインしたのに、解放されたのが翌朝の3時だった。

 

その病院には2度と行きたくないと言って、なんとか大きな転倒は極力避けているのだが12月も、クリスマスの前日、真夜中に転倒。

私が24時間、そばに付き添っていたらいいのだが、ベッドから起こして、パジャマを脱ぐのを手伝った後、隣室の自分のベッドに横になっている間に、彼はバランスを崩して倒れてしまった。

3週間前に転倒した時の傷が治っていないのに、また同じ肘や膝を怪我している。

今回は尾骨を打った。

完治する暇がない。

幸い、今回も骨も折れていなくて、自宅治療しているのだが、これからは、夜中、彼が用を済ますまで、ずっと側についていることにした。

 

24時間の完全介護とは言わないが、彼の手足になっているので、いつでも呼ばれたら、飛んでいかないといけない。

と言っても、問題は私の足と脚。

夕方からは腫れがひどくて、歩行が極めて難しい。

20、30分でも、脚をあげて休まないことには、歩けない。

 

脚(下肢静脈瘤)の手術は2回したが、一向に痛みが消えない。

同じクリニックの別の専門医に相談に行ったら、これ以上の治療法がないと言う。

何か別の病気があるのではないかとも言われて。

結局、いつもやっていること、圧縮靴下を履きなさい、たびたび脚を上げて休みなさいと、役に立たないアドバイスをもらう。

 

手術などで良くなった例がいくつも載っているが、私みたいに、一向に効果がなかった患者さんもいるのではないだろうか。

圧縮靴下は、ほんの数時間は履いていられるが、その後は、キツくて、痛みが倍増する。

度々脱いで、しばらくしてから、また履き直してと、1日に何回もその繰り返しをしている。

 

足底(難治性足底腱膜)の方も、相変わらず痛い。

痛いところが真っ赤になっている。

この言い方は大袈裟かもしれないが、焼石や剣山の上を歩いているような痛みがある。

 

フィジカル・セラピーを受けたり、12月はステロイドの注射を打ったが、脚の腫れ(下肢静脈瘤)からくる痛みが強くて、効果があったのかどうかわからない。

 

痛い足底をカバーして歩いていたら、すっかりバランスが崩れてしまい、びっこを引き始め、歩行が困難になった。

そのうち、近い距離も歩くのがきつくなり、杖から歩行器に変わったが、夕方からは、歩行器の助けを借りても、歩けない。

 

夕食後の食器をカウンターに運ぶ数歩でさえ、難しい。

立っているのも痛いし、歩くのもきつい。

カウンターの上に、ゆすいだだけの食器が並ぶ。

今までは寝る前に全て片付けていたのに、今は、食器洗いは、翌朝に回す。

外にゴミを出すのも難しくなってきた。

 

夕方から晩にかけて、夫の介護が一番必要な時に、歩行が困難でどうにもならない。

夜の時間帯に介護のヘルパーさんを頼みたくても、小さなアパート、他人が側でうろうろされても、かえってストレスになるので、頼めないでいる。

 

それでも、昨年から、土曜日の午後5時間、介護のヘルパーさんをお願いし、今年から日曜日の数時間、家政婦さんの助けを借りることにした。

今まで料理を届けてくれた友人の黒人夫婦には、お金を払うことにして、好きな料理を作ってもらうことにした。

これでだいぶ楽になりそうだ。

 

昨年11月、夫は専門医が処方した薬を飲んで、幻覚症状が3週間ほど続きひどい目に遭った。

ドクターは、彼がひどく疲れて何もするエネルギーもないとこぼしたので、強い薬を3つ、処方したのだが、最初の1つ目の薬の副作用が幻覚症状。

この薬は腎臓の悪い患者は飲んではいけないとある。

ドクターは彼の腎臓に小さな腫瘍があることや弱っていることを知っていたのだろうか。

2つ目の薬はステロイドが入っているもの、3つ目は麻薬と言われている薬、どれもこれも強過ぎて、もちろん最初の1つで懲りたので、飲むのをやめている。

 

毎日、いつも何かハプニングがあり、本人も介護する方も気も心も休まる暇がない。

年末ギリギリまで、新年早々、フィジカル・セラピーの人が来たり、朝8時から、血液や尿検査があったり(彼の場合、外出ができないので、すべて家庭訪問になっている)と、病人のいるうちは、クリスマスも正月もないようだ。

 

イギリスの劇作家、シェークスピアの戯曲『お気に召すまま』の中で、彼が書いた名言の1つを思い出す。

「この世は舞台、人はみな役者だ」

All the world’s stage,

And all the men and women merely players.

正確な解釈はどうだかわからないが、少なくとも今の私たちは、夫は病人の役を見事に演じ、私は介護人の役を見事に演じている。

 

人生、それぞれの段階で、それぞれの役(役割)を演じないといけないようで、今の私にできること、あるいは、することは、この役を演じ切ることだろ。

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*2台とも新車同様に、大切に使っていたボルボは手放しました。

今はすべてAmazon Targetなどの配達に頼り、外出はドクター以外しません。

 

『今になって後悔すること』

 

自分が歩けなくなって、スモン病で歩行困難だった姉が度々休んでいた姿が重なります。

彼女に対して、自分の思いやりのなさに深く後悔し反省しています。

自分が老いて、義母に対して、これも十分な理解も思いやりもなかった、思慮不足の自分を深く後悔し、反省しています。

若さからくる無知や誤解。

『結納金は猫一匹』の中に登場する義母を見つめている、私の若さからくる無知や誤解を今頃になって気がつきました。

大いに反省しています。

 

病気も老いも、なんでも自分がその身になってみないと、わからないものです。

親しくしていた友人にも思いやりや理解がなかった自分を深く反省しています。

機会があったら深く謝りたいです。

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『スキャニングの作業』

 

1日のうち、99.9%は夫の介護と、自分の脚と足の治療に時間が取られています。

ほんの0.1%以下。

残った時間と体力で、30年、40年前に撮ったネガフィルムのスキャニングをしています。

なんのためにしているのかわかりませんが、これをやっている時だけが、まだ前向きに生きている証拠です。

 

スキャン後の写真は、大昔に撮った美しいイメージが蘇ってきます。

こんなシーンがあったのだとか、こんな海岸線を歩いたのかとか、若かりし頃、まだ歩けた頃に記録した画像が再現します。

1978年、79年、80年と2度と訪れることのない土地の風景や人々の写真は、是非残しておきたいし、なんとか紹介したいですが、このプロジェクトが終わるのは、何年も先のことでしょう。

一生、終わらないかもしれません。

 

Film Viewerでフィルムを選ぶ作業から、Nikon Super Cool Scan 5000EDを使ってスキャンし、Nikon Captureのソフトウェアで、編集し、どんなイメージか記録しています。

初めから最後までの工程をのべ時間で計算すると、1枚のフィルムに1時間以上かかっているようです。

それぞれの器具の使い方をすっかり忘れて、実際作業に取り掛かるまで、2、3ヶ月かかりました。

スキャナーもソフトウェアも今は製造していなくて、古いコンピュータ(ApplePower Book)でした、作動しません。

Color Management Spyder 3 Pro

どの器具もいつ壊れるかわからない器具を使っています。


 

 

 

Setsuko Owan Travel Photography YouTube & Music

 

Okinawa, Japan

 


Malaga Cove & Palos Verdes, California

 

 

Santa Barbara, California

 

 

People

 

 

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What a Wonderful World

 

 

Setagaya, Tokyo

 

 

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Entrevau and Digne, France

 

 

Digne, France

 

 

Lake Annecy, France

 

 

Annecy, France

 

1 『幻の旅路』より モンテカルロのホテルでコンタクトレンズを紛失する 

2 『幻の旅路』より ニースで、心の目が覚めた時のこと 

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That Day, That Moment

 

 

That Day, That Moment (Santa Barbara Photograph Exhibition)

 

 

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Saint-Saens, Elina Garanca: "Mon coeur s'ouvre a ta voix"

オペラ『サイモンとデライラ』のアリア

 

 

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Setsuko Owan 旅の写真 YouTube

https://www.youtube.com/channel/UC51JX3ZQCzSmurSkx12APQw/videos

 

 

あれからー出会いとつながり『幻の旅路』に登場した人々(1)

『幻の旅路』に登場した人たちは、あれからどうなったでしょう。

私の近況も含めて、3部にわたってお話ししましょう。

*画面を大きくしてご覧ください。

 

あれから(1)

(1)ジョルジュ・プレートル(ウィーン交響楽団の終身名誉指揮者)

Georges Pretre Conductor (1924-2017)

(2)ジャン・ピエール (Jean-Pierre Ronssin)

(3)ファニー

(4)スイスの友だち:マーラさん

(5)エリザベス

(6)シロ

 

あれから(2)

(7)バイオリニストのマーク

(8)バイオリニストの亀井由紀子さん

 

あれから(3)

(9)ディーニュのホテルの子供たちーノエミ

(10)ドミニク

(11)ベニスのホテルで出会った大学教授の親子

(12)私自身のこと

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(1)ジョルジュ・プレートル(ウィーン交響楽団の終身名誉指揮者)

   Georges Pretre Conductor (1924-2017)

 

覚えていますか?

第6章。

1983年のこと。

『バーデン・バーデンに再度訪れる』のエピソード。

その中で、帰りの駅のホームで、一際目立つ親子を見かけて、その時の感想を述べていますね。

垢抜けない田舎町のどこにでもあるような駅の構内に、真っ赤なコートを着た母親やハイヒールの娘、それに父親の3人、彼らの周囲には特別な囲いがあって、近づけない雰囲気でした。

そんな彼らの顔立ちについて、私は極めて厳しい批評を述べているのです。

普通でしたら、そんなことも気にせず、口にしないのですが、彼らの持つ独特な雰囲気が、周囲とそぐわず、違和感を覚えて、そんな酷評をしました。

 

それから何年も経って。

2008年ですね。

お正月にウィーンからの生中継で、ウィーン交響楽団の演奏がテレビで放映されました。(ニューイヤー・コンサート)

素晴らしいですね。

カメラが、指揮者の表情を捉えます。

「あれ、どこかで見た顔だ」

 

そうだ、忘れもしないバーデン・バーデンの駅の構内で見た父親です。

確かに、この人です。

タクシードに身を包んだ彼は、私が駅の構内で感じた印象とは全く違って、美しい笑みを浮かべ、楽団を指揮しています。

 

なんとこの男性、ウィーン交響楽団の首席指揮者だったのです。

私が見かけた時は、彼は59歳。

フランス人です。

それで周りのドイツ人たちとは違った雰囲気を持っていたのでしょう。

それに世界的に有名なウィーン交響楽団のトップの指揮者だったとは、当然、特別なオーラを放っていて、それが威圧的にも思えたのです。

 

『高い独創性と華やかな創造力を持つ指揮者と評される』と、音楽界では超一流の一流と言っても過言でない最高の指揮者。

 

私の無知もいいところです。

何せ、なんの知識も無しに、外観だけで判断し、批判していたのですから、これこそ穴があったら入りたいという心境です。

それに心底から深く謝りたい。

 

彼の指揮するYouTubeを観ました。

本当に素晴らしの一言です。

改めて彼の表現溢れる指揮者ぶりを見て、感激しています。

 

 

 

The 2010 Vienna Philharmonic New Year’s Concert with Georges Pretre


 

 

 

Bizet: Video Sinfonia in do Maggiore/Georges Pretre/Orch Scarlatti Rai (19.1.1973)

 

(2)ジャン・ピエール (Jean-Pierre Ronssin)

 

1章から第7章まで、全ての章に登場するフランス人の男性。

映画一筋に生きてきて、今ではパリの映画界ではかなり有名な監督で、シナリオライターで俳優です。

フランスではアメリカのアカデミー賞に当たる、名誉あるセザール賞で脚本賞を獲得しています。

 

ずっと前に『幻の旅路』を送りましたが、戻ってきました。

多分いらないのだろうと思って、長い間放っておいたのですが、最近になってメールで問い合わせたら、送って欲しいと返事がきたので送りました。

今度は無事着いたようです。

 

昔と同じ住所に住んでいます。

パリの真ん中ですが。

 

1992年でしたか、夫とパリを訪れた時に、招かれて、モロッコの料理、クスクスのランチをご馳走になりました。

夫と彼は、『小津監督』や『溝口監督』、それに『アニエス・ヴェルダ監督』など、映画の話で盛り上がっていました。

コンピューターが普及し始めた頃で、ジャン・ピエールは近代器具の弊害を述べていて、僕は絶対コンピューターは使わないと言っていましたが、今はどうでしょう。

その時も質素な暮らしをしていましたが、本を出版する時に連絡したときも、生活は楽ではないと書いてありました。

最高の映画賞を獲得していても、経済的な成功とは結びつかないようです。

映画(芸術)の道一筋を今なお追求し続けている彼には、到底頭が上がりません。

 

Awards: Cesar Award for Best Writing

Nominations: Cesar Award for Best Writing

1 『幻の旅路』より ジャン・ピェールと歩く 

2『幻の旅路』より ジャン・ピェールと 

3『幻の旅路』より ジャン・ピェールと 

(3)ファニー

 

私にとっては妹のようなイタリア人女性、ファニー。

お父さんもお母さんもずっと前に亡くなって、大きなうちに一人暮らし。

この家のことで、銀行とのやりとりがうまくいかず、ずっと頭を痛めている。

どことは言わなかったけれど、体調もすぐれないらしい。

弟のポールも離婚したと書いてあった。

なんだか昔と違って元気がない。

いまは、姉弟ふたりで、ベニス・マストレのうちに住んでいるのかもしれない。

いつか連絡してみよう。

 

(4)スイスの友だち:マーラさん

 

ホテルの持ち主、バークハウザー夫妻。

ご主人が亡くなった後も、奥さんのマーラさんと、とても親しく行き来していた。

2016年、2017年、2018年、2019年と、彼女に4年続けて会ったが、クリスマスカードが来なくなり、2023年、彼女が亡くなったと知らせがきた。

 

私にとっては第2の故郷、いや第1の故郷と言ってもいいくらい、大好きな『ラングナウ』の町。

そこのホテルのオーナーと友だちになって、スイスに行く時は、ホテルに隣接しているアパートに泊まらせてもらった。

前回行った時も、マーラさんとランチを一緒にし、彼女の山の家に遊びに行ったり、近くの山にケーブルカーで登ったりと、最高に楽しい時間を過ごした。

 

私にとっては姉のような存在だった彼女がいなくなったスイスは、いくら自然が美しくても、すっかり魅力がなくなった。

もう2度と訪れることのない『ラングナウ』やエメンタール地方、美しい思い出でだけが私の心をいっぱいにしてくれる。

 

マーラさんの山の家やアパートが写っているYouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(5)エリザベス

 

ベニスに行く列車の中で出会ったスイスの家族。

幸せいっぱいの人たちだった。

ところが、お父さんが朝日に目が眩んで対向車が見えず衝突事故で亡くなった。

お兄さんも交通事故に遭った。

体が不自由になって、会社を辞めて、お父さんが撮った鉄道列車の写真を編集して本を出版。

これはいいニュース。

 

お母さんが自転車に乗っている時に車と接触事故。

2018年に会った時は、杖をついてラングナウのホテルまで会いにきてくれた。

と、思いがけないことばかりが続く。

昨年連絡したら、今度はエリザベスのご主人がスキー場で事故死。

 

なんと次から次へと想像もつかないほどの不慮の出来事が重なる。

私が出会った頃は、家族全員健康で、とても幸せだった。

エリザベスは、夫が亡くなってから、生活が一変してしまったとメールに書いてあった。

今は老いたお母さんの介護で忙しくしているのだろう。

 

(6)シロ

 

7章に登場したシロとフィリップ。

スイスの片田舎のホテルで、電話をかけるのを親切に教えてくれたカップルだ。

シロは、アルコール中毒の夫と離婚して、彼の間にできた子供を育て上げた。

優しい性格だったが、お酒を飲むと人が変わってしまったフィリップ。

離婚して間もなく亡くなった。

 

シロは同じ国鉄に勤めている男性と今は一緒に生活している。

彼にも子供がいて、おっとりした性格の男性らしい。

休暇になると、シロとパートナーの男性は、鉄道の旅をする代わりに、キャンピングカーでヨーロッパ大陸を旅行している。

この前スイスに行った時も、彼女とは湖を遊覧船で回りながら、ゆっくり話ができた。

マロングラッセを一緒に食べたのも楽しい思い出である。

 

スイスの湖畔の動画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*次のブログに続いています。

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